辿り着くはパナケイアの空  第二十四章


「大佐、お疲れさまです!」
 先に来ていた男の一人がそう言ってハリソン大佐を個室の一番奥の席へと促す。一斉に立ち上がった男達の間を縫うように歩いて席にたどり着いたハリソン大佐は、ぐるりと隊員達の顔を見回して言った。
「このたびはご苦労だったな。今夜は大いに飲んで食べて疲れを吹き飛ばして、次の任務に備えてくれ」
「「イエッサー!!」」
 ハリソン大佐の言葉に男達が一斉に敬礼する。ただ一人敬礼せずにじっと見ていたオレに、ハリソン大佐が視線を返して言った。
「新顔だな」
 そう言うハリソン大佐にアーレンが言う。
「ハボック少尉です、大佐。是非一度大佐と話をしたいと言うので呼びました」
「ほう」
 アーレンの言葉に頷いて値踏みするようにオレを見るハリソン大佐にオレは敬礼をして言った。
「ジャン・ハボックであります。お会いできて光栄です」
「所属は?」
 じろじろと見ながらハリソン大佐が言う。オレは相手を真っ直ぐに見つめて答えた。
「司令室つきです。マスタング大佐の護衛官を任されています」
 オレが言えばハリソン大佐の目が僅かに見開かれ、それからスッと細められる。大佐とは違うけど、それでも十分に鋭い眼光は存外に迫力があった。
「マスタング大佐のところか。彼はどうだね?錬金術師というのは上司にするには難しいだろう?」
「ええ、まあその……何とかやっています」
 聞かれてオレは困ったように目を伏せて見せる。ハリソン大佐は部下達を促して腰を下ろすと、酒を注文しながら言った。
「彼とは以前一緒に前線に立ったことがあるが……錬金術というのは悪魔の技だな。敵どころか味方まで巻き込んでも何とも思わない、とんでもない男だったよ」
 僅かに眉間に皺を寄せてハリソン大佐が言えば、部下たちが低く「おお」だの「やはり」だのと呻く。勝手な出任せを言うなと怒鳴りたいのを必死に押さえているオレに、ハリソン大佐が言った。
「いらぬ気苦労も多いだろう。今夜はゆっくりと飲んでいきたまえ」
「ありがとうございます、サー」
 ハリソン大佐はオレのために新しく酒を注文する。そのグラスを受け取って礼を言うオレに、ハリソン大佐が鷹揚に笑った。
「それで?今マスタング大佐はどうだ?相変わらずなのかね?」
「そうですね……なかなか錬金術を使う場がないので少し鬱憤が溜まっているように思えます」
「燃やしたくて堪らないというわけか」
 ハリソン大佐は吐き捨てるように言うとオレをじっと見つめる。オレの心を見透かそうとするように見つめてきたと思うと、口を開いて言った。
「少尉、君とはもう少し話をしてみたい。こんな大勢の席ではなくもっと個人的に」
「大佐が呼んで下さるなら何処へでも行きます」
「そうか」
 オレの答えに満足したようにハリソン大佐は笑みを浮かべる。その夜はそれ以上ハリソン大佐がオレに話しかけてくることはなかった。


 バンッと勢いよくアパートの扉を開けてオレは中に入る。短い廊下を歩きながら上着を脱いだオレは、リビング兼ダイニングの小さなソファーの前で立ち止まった。ソファーが親の仇でもあるかのようにじっと睨んでいたオレは、ムカムカと込み上がる感情のまま手にした上着を振り上げる。唇を噛み締めバシッバシッと上着をソファーに叩きつけた。
「ムカつくッ!!」
 ハリソン大佐との短い会話を思い出せば腹が立って仕方ない。どうやって大佐の悪い噂が流されているのか目の当たりにして、オレはソファーを叩きながらハリソン大佐を口汚く罵った。
「死んじまえッ!バカヤロウッ!!」
 最後にそう叫んで渾身の力を込めて叩けば上着が手から飛んでしまう。オレはハアハアと肩で息をしながらソファーを見つめていたが、やがてドサリと腰を下ろした。
「こんちくしょうッ、今度会ったら息の根止めてやる……ッ」
 オレは物騒な事を呟いて両手に顔を埋める。そうして弾む息を整えようと呼吸を繰り返していれば、不意に大佐に会いたくなった。
「大佐……」
 一度会いたいと思うと、会いたくて会いたくて止まらなくなる。オレは乱暴な仕草で立ち上がり、そのままの勢いでアパートを飛び出した。一気に階段を駆け降り夜の街を大佐の家目指して走り抜ける。大佐の家につく頃には心臓は早鐘のように鳴り響き、過剰なスピードを出すことを強いられた脚はガクガクになっていた。オレはよろよろと大佐の家の大きな黒い門扉に縋りつく。見上げた家は暗く静まり返っていた。
「大佐……いねぇの?」
 もしかしたら誰かとジャズコンサートに出かけたのかもしれない。そのままその誰かと一緒に過ごしているのだとしたら。
「……そんなの、ヤダ」
 オレは呟いて門扉を掴む手の甲に顔を埋める。大佐がオレ以外の誰かにあの笑顔を向けているのかと思うと、胸が張り裂けそうに痛かった。
「おい、そこでなにをしている?」
 その時、誰何する声と共に懐中電灯の光が向けられる。大佐の家の周りを巡回している憲兵が疑わしげにオレを見ているのが判ったが、オレは答えずに門扉を握り締めていた。
「なにをしていると聞いているんだッ」
 答えないオレに憲兵が声を荒げる。グイと肩を掴んでオレの顔を間近から照らすと憲兵は言った。
「怪しい奴め、一緒に来て貰おうか」
 憲兵はオレの腕を掴んで門扉から引き離そうとする。その手を振り払って門扉にしがみつけば、憲兵は腰から銃を引き抜いた。
「さっさと一緒に来い!抵抗すると撃つぞ!」
 そう言う憲兵をオレはチラリと見たものの、手に顔を埋めて門扉にしがみつく。
「貴様ッ」
 と、カッとなった憲兵が銃を突きつけてくるのが判ったが、正直もうどうでもよくなっていた。
 そのままでいたら激昂した憲兵が引き金を引いていたかもしれない。でも、実際には足音に続いて聞こえた声が、憲兵の銃を下げさせた。
「よせ。ソイツは私の部下だ」
「マスタング大佐っ?」
 歩み寄ってくる大佐に憲兵が慌てて敬礼する。視線で憲兵を追い払うと、大佐は門扉にしがみつくオレを見て言った。
「なにをやっているんだ、お前は」
 振り向けば大佐が呆れたような顔をしてオレを見ている。その表情にオレはなんだか悲しくなって大佐を睨んだ。
「大佐がいないからいけないんでしょッ!今まで何処に行ってたんスかッ?ジャズコンサート行って、女の子と楽しく酒でも飲んでたんしょッ?」
 なにをバカな事を言っているんだろうと頭の片隅で思う。それでも言葉を止められなくて一気にまくし立てたら、今度はボロボロと涙が零れてきた。
「お前……酔ってるのか?」
「酔ってなんかいねぇっス!」
 実際今日の酒の席はちっとも酔えるような場所じゃなかった。オレは手の甲で乱暴に涙を拭うと大佐の体を押しやった。
「も、いい……帰る」
 大佐に会いたくて堪らなくて来たのにこれ以上大佐の顔を見ているのが辛い。矛盾する感情にどうしていいか判らず歩きだそうとするオレの腕を、大佐がグッと掴んだ。
「待て。……少し休んで行け」
 大佐はそう言うと門扉を開けてオレを中へと引っ張り込む。
「帰るってば!」
「いいから」
 オレの方が上背があるのに大佐の力に逆らえない。大佐は引きずるようにしてオレを家の中に入れると、そのままリビングへと連れていった。ドンと押されてオレは大きなソファーに倒れ込む。体を起こすより早く大佐が圧し掛かるように身を寄せてきて、間近からオレを見つめて言った。
「どうした?なにがあった?」
「……なにもねぇっス」
「そんな顔していて、なにもないと?」
 視線を逸らして答えれば大佐が苦笑混じりに言う。それでも何も答えずにいれば、大佐がオレの顎を掴んで無理矢理に大佐の方を向かせた。
「そんな顔をするな、ハボック……」
 大佐はオレを見つめてそう囁く。大佐の目って真っ黒で綺麗だって思っていたら、突然その瞳が目の前いっぱいに広がった。
「そんな顔をするな、ハボック……」
 唇が囁きを吹き込んでそのまま重なる。オレはソファーに押さえ込まれたまま何度も大佐にキスされていた。


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