辿り着くはパナケイアの空  第二十二章


「焔の錬金術師ってあれだろ?イシュヴァールで敵も味方も構わず焔ぶっ放したっていう」
「凄かったんだってな、まるで悪魔みたいだったって」
 一体誰がそんな噂流してやがるんだ。オレは内心ムカムカしながらも何も言わずに笑みを浮かべてみせる。そうすれば男たちは勝手に肯定の意味と取って「おお」だの「やっぱり」だのと騒ぎだした。
「実際どうなんだよ、マスタング大佐の下にいて怖い思いとかしたことあるのか?」
 噂ばかりが先行する焔の錬金術師の真の姿を知りたいとばかりに、男たちが興味津々で聞いてくる。オレは大佐がどれだけ誠実で優しい人か、噂が根も葉もなく好き勝手に言われているものに過ぎなくてその事でどれだけ大佐が傷ついているか、こいつらに話して聞かせたかったけどそれをこらえてため息をついて見せた。
「とにかく気の短い人でさ。こんなとこで怒るか?ってとこで怒るから、いつ燃やされるかともう毎日が緊張の連続で」
 オレはそう言うとぺたりとテーブルに懐いた。
「ああ、オレもハリソン大佐の部下になりてぇ……」
 ため息混じりにそう言えば男たちが顔を見合わせる。
「大変そうだなぁ」
「まぁ飲めよ。俺の奢りだ」
 気の毒そうに言って男たちは新しいジョッキをオレに勧めた。そうしてその晩、オレは男たちと酒を飲みながらしてもいない日頃の苦労を延々と話して聞かせたのだった。


 次の晩もその次の晩もオレは心猿亭に行ってフォード大尉の部下たち相手に酒を飲み、愚痴を言って聞かせた。三日も続けて飲み交わせばもういい加減遠慮もなくなって、男たちも言いたいことを口にするようになる。フォード大尉やハリソン大佐の事を褒めまくるオレに、アーレンという男が言った。
「今関わってる案件が終わったら多分またハリソン大佐が慰労会してくれそうなんだよな。よかったらそん時アンタもくれば?」
「え?いいのか?部外者のオレが参加しても」
 キタキターッと内心思いながらオレはそれを顔に出さず、驚いたように目を瞠る。そうすればアーレンが頷いて言った。
「構わないさ。それに日頃からいい人材みつけたら連れてこいって言われてるし」
 アーレンはそう言ってニヤリと笑う。それならとオレは頷いて、その時には是非呼んでくれと頼んで店を後にした。


「ただいまっと」
 演習を終えてオレは司令室に戻ってくる。ガタガタを椅子を引いて座りながら机に目をやればアーレンからの電話メモが残っていた。
「あ……決まったんだ、慰労会」
 メモには先日会った時に話していた慰労会の日時が書いてある。いよいよ来たかとメモの日時を頭に入れてメモを手の中でクシャリと握り潰した時、ガチャリと執務室の扉が開いて大佐が顔を出した。
「ハボック、コーヒー」
「あ、はい」
 言ってすぐに引っ込んでしまった大佐に頷いて、オレは給湯室でコーヒーを淹れてくる。ノックもせずにコーヒーを載せたトレイ片手に執務室に入れば大佐がオレを見上げて言った。
「もう慣れたがな、ハボック」
「何がっスか?はい、コーヒー」
 言われた意味が判らずオレは首を傾げながらコーヒーのカップを机に置く。大佐はやれやれとコーヒーを啜ると今書き終えたばかりの書類を手にとって言った。
「すまんがこれをハリソン大佐のところへ持っていってくれるか」
「ハリソン大佐っスか?」
 思いがけず大佐の口からその名前を聞いてオレは内心身構える。それでも顔にはそんな事はおくびにも出さず大佐から書類を受け取った。
「それとハボック、今度の週末、予定はあるのか?」
「今度の週末?」
「ああ、実はジャズコンサートのチケットが手に入ってな。お前、前にジャズが好きだと言っていただろう?一緒にどうかと思って」
 そう言えばいつだったか一緒に食事をした時、音楽の話をしたことがあった。オレがジャズを好きだと言うのを聞いた大佐が、意外そうな顔をしながらも今度一緒に聞きにいこうと言っていたのを思い出した。
「あ、でも……」
 今度の週末と言えばさっきのメモに書いてあった日付と一緒だ。せっかくの大佐の誘いだけど今回ばかりは優先順位はあっちにあった。
「すんません、今度の週末はちょっと」
 申し訳なさそうに答えれば大佐が僅かに目を見開く。きっとオレが断るなんて思っていなかったのだろう、大佐は少し傷ついたような目をして言った。
「そうか、それは残念だ。ならこのチケットは誰かに譲ることにしよう」
 その言葉を聞いてオレは罪悪感に駆られる。それと同時に大佐が他の誰かを誘う気はないのだと判って、心のどこかでホッとしていた。
(オレって勝手)
 大佐の誘いを断っておきながら、大佐がオレ以外の誰かと一緒に出かけるのは嫌だなんて。そもそもオレにそんな事いう権利なんてないのに。大体なんでこんな事思ってるんだろう、オレ。
 そんな事を考えていれば大佐がオレをじっと見つめる。それから軽く肩を竦めて言った。
「最近私はフラレてばかりだな。私の誘いが迷惑ならそう言ってくれ」
「え?」
 突然そんな事を言われてオレは目を丸くする。大佐はコーヒーのカップを両手で包み込むようにして啜りながら言った。
「ここのところ誘ってもちっとも一緒にでかけないだろう?」
 確かにここ暫く、心猿亭の方へ行くのに忙しくて大佐の誘いを断る日々が続いていた。でも、どうして心猿亭へ行くのか、その話をすればハリソン大佐の話もしなければならずそれを大佐に話すわけにはいかなかった。
「それはちょっとその……野暮用で忙しくて……。でもっ、大佐の誘いが迷惑だなんて思った事、ないっスから!」
 それでも誤解されたままなのは悲しくてオレはそう叫ぶ。大佐はオレの勢いに押されたように目を丸くしたが、次の瞬間ホッとしたように顔を綻ばせて言った。
「そうか、ならいいんだが」
 そう言う大佐に近づくとオレは机に手をついて大佐の顔を覗き込むようにして言った。
「今夜一緒にどうっスか?酒が旨い店があるんスよ、ね?」
 そう言えば大佐の顔が笑みに崩れる。
「そうだな、それならさっさと仕事を済ませなければ」
「そうっスよ。って言うオレもだ。締め切りの書類があった」
 あの書類今日の夕方が締切だ。オレが思い出して言えば大佐が「おいおい」と笑った。
「出かけようとして残業になったというのはなしだからな」
「その台詞、そのまんま大佐に返しますよ。じゃ、後で!」
「ああ」
 大佐が笑って頷くだけで何故だか胸が熱くなる。オレは笑って大佐に手を挙げると執務室を後にした。


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