辿り着くはパナケイアの空  第二章


「よ、ハボ」
「あ、ブレダ、おはよ」
 司令室に向かう廊下を歩いていれば、背後から肩を叩いてきたブレダにオレは答える。並んで歩きながらブレダが言った。
「いよいよ今日だな、マスタング大佐が来るの」
「ああ」
「消しとけよ」
「つけてねぇよ」
 火をつけていないオレの煙草を指さしてニヤニヤと笑いながら言うブレダの指を、オレはペシッと叩き落とす。ちょっとぐらい焦がされたら面白いと思っていやがるなと睨めば、ブレダが肩を竦めた。
「まあ、いずれにせよ嫌われないに越したことはねぇだろ?実際気に入らない同僚を燃やしたって話も聞くぜ?」
「マジ?」
 そんなこと中佐は一言だって言っていなかった。もしかしたら本物の危険分子なんじゃないかとオレが本気で心配になり始めた時、目の前に現れた司令室の扉を開いてオレとブレダは中へと入る。中へ入ればいつもとは違う雰囲気に司令室が包まれているのが判った。
「あ、おはようございます、ハボック少尉、ブレダ少尉」
「おはよ、フュリー」
「うす」
 オレ達の姿を認めたフュリーがすぐさま声をかけてくる。眼鏡の奥の瞳に緊張を滲ませてフュリーはオレ達の顔を見比べて言った。
「いよいよ今日ですねっ、僕、もう緊張しちゃって」
「色々噂もあるからな」
「そうなんですよっ」
 ブレダの言葉にフュリーが頷く。
「意見が合わない同僚燃やしたとかっ、言うこと聞かない部下を燃やしたとかっ」
「それ、ホント?」
 ブレダと同じような事を言うフュリーにオレは本気で心配になって尋ねた。そうすれば頷くフュリーの後ろから顔を出したファルマンも言う。
「私も聞きましたよ。かなり気が短くて容赦がないって話です」
(中佐〜〜〜ッッ!!んな話してなかったじゃんッ!!)
 そんな危険人物の監視をオレ一人でしろというのだろうか。こっちはごく普通の軍人なのに。オレが監視役だとバレたらソッコー燃やされるんじゃないだろうか。
 みんなとは違う理由でオレがドキドキし始めたとき、ガチャリと扉が開いた。途端、今までざわついていた司令室がシンと静まり返る。それぞれの席で直立不動の姿勢を取るオレ達の間を通り抜けて、黒髪の男は執務室の扉の前までいくと足を止めた。グルリと部屋の中の部下達を一瞥した男の顔を見たとき、オレはあげそうになった声を慌てて飲み込んだ。
(あの人!あん時の中庭のッ!)
『着任は来週だ、その時はよろしく頼む』
 そう言って手を差し出してきた男と目の前の男の顔が重なって、オレは心臓が飛び出しそうなほどびっくりした。
「今日付けで副司令官に着任したロイ・マスタングだ。よろしく頼む」
(この人がマスタング大佐だったのか…!)
 驚きに目を見開いて見つめていればオレの視線に気づいたのか大佐がこっちを向く。オレの姿を認めた瞳が僅かに見開かれた後、柔らかく解けるのをオレは呆然と見つめていた。


(この人がマスタング大佐……)
 遠くに大佐の声を聞きながらオレは呆然として見つめる。あの時も思ったことだが、真っ黒な髪に真っ黒な瞳のこの人は大層整った顔をしていてとても噂通りの人には見えなかった。
(つか、イイ男だよな。印象的っていうか、一度会ったら忘れらんない……)
 この司令部の人間じゃないだろうと聞いたオレに大佐は変なことを言っていたけど、もし一度だって見かけていれば絶対に忘れないだろうと思ったからそう言ったのだ。実際目の前で喋っている大佐はとても強烈だった。特にその瞳が。そんな事をつらつらと考えながら大佐を見つめていれば、不意に大佐が眉を寄せる。どうしたんだろうとぼんやり思ったオレの脇腹をブレダが思い切り抓った。
「……ッ!!なにする───」
「呼ばれてるッ、大佐に呼ばれてんぞ、ハボっ」
 いきなりの暴挙に思わず怒鳴ろうとすれば、ブレダが小声で言いながら視線で大佐を示す。ハッとして大佐を見れば黒い瞳が呆れたようにオレを見ていた。
「目を開けたまま寝ていたのか?ハボック少尉」
「しっ、失礼しましたっ、サー!!」
 考えに沈んでいて大佐の声が聞こえていなかったらしい。ヤバイ、燃やされるかもっ、と焦りながら直立不動で立っていたオレを大佐は暫く見つめていたが、やがてフンと鼻を鳴らして言った。
「まあいい、後で執務室へ来てくれ。それから」
 と大佐はオレに向けていた視線を移して言う。その強い視線から解放されてホッと息をついたオレの耳に大佐の声が聞こえた。
「ホークアイ中尉、ブレダ少尉、ファルマン准尉、フュリー曹長。今呼ばれたメンバーも執務室へ。以上だ」
 大佐はそう言うと執務室へ入ってしまう。張りつめていた空気がどっと弛んだ司令室の中で、ブレダがオレの腕を掴んで言った。
「ハボック、お前〜〜〜〜ッッ!!」
「少尉のせいで僕たちまで目を付けられちゃったじゃないですかっ!!」
「どうしてくれるんですッ?!」
 ブレダに続いてフュリーとファルマンにまで怒鳴られてオレは目を丸くする。
「えっ?そう言うことなの?」
 なんでオレがぼーっとしてるとブレダ達まで目を付けられるんだ?訳が判らずオロオロするオレ達にホークアイ中尉が言った。
「あなた達、何をぐずぐずしているの。行くわよ」
 言われてオレ達は声にならない悲鳴をあげる。それでも逃げるわけにもいかず、オレ達は中尉の後に続いて執務室へと入った。


「失礼します、大佐。ホークアイ中尉以下四名、参りました」
 そう言って大佐に敬礼する中尉にならってオレ達も敬礼する。大佐はそんなオレ達をぐるりと見回して言った。
「ご苦労。ホークアイ中尉には私の副官として、他の諸君にも私の補佐役として力を貸して欲しい」
「「イエッサーッ!!」」
 言われてオレ達は一斉に敬礼を返す。だが、次の瞬間にはどうしてオレ達がと顔を見合わせる事となった。そんなオレ達を見て大佐が言う。
「貴官らの経歴を見てこちらで選ばせて貰った。補佐役としてきっと大きな力になってくれると期待している」
 そう言われればご期待に添うよう鋭意努力しますとしか言いようがない。現在抱えている案件を説明するため中尉だけを残して執務室を出ようとすれば、背後から呼び止める声がしてオレは足を止めた。
「ハボック、話がある。残っていてくれ」
「えっ?あ、はい、大佐」
 そう言われてオレは仕方なしに執務室に残る。中尉が大佐に話すのを聞くとはなしに聞きながら、オレは窓の外を眺めた。
(話ってなんだろ……あ、護衛の話か)
 他に大佐がオレを話があると引き留める理由が思いつかない。少しして中尉が出ていくと二人きりになった室内で大佐がオレを呼んだ。
「待たせたな」
「いえ、特に急ぐものはないっスから」
 そう答えれば大佐が笑みを深める。
「そう言うときは嘘でも忙しいと言っておくものだ」
「そんなもんスか?」
 首を傾げるオレに大佐がクッと吹き出した。クスクスと笑いながら言った。
「中庭で会ったな」
「ッ、あの時は失礼しました!まさか大佐とは思わなくって」
 大佐だと判っていればもう少しちゃんとしたのにと思いながらそう言えば、大佐が首を振った。
「別に構わん。それよりあそこは少尉の指定席か?」
 あの時聞いたことと同じ事を大佐は尋ねてくる。オレは首を振って答えた。
「別にオレのってことはないっスけど、でも、あんなとこに来る奴は殆どいないっスね」
 中庭のあの場所は息抜きには丁度いい。だが、仕事の合間にわざわざあんな場所に行く軍人など皆無で、必然的にあの場所はオレの指定席になっていたのだった。
「だったら私もあそこを使わせて貰っても構わないか?あそこはとても気持ちのいい場所だ」
「別に構わないっスけど、大佐もサボるんスか?……っと、失礼しましたっ」
 言ってしまってから余計なことだったと慌てて口を押さえる。そうすればクククと笑う大佐を、オレは意外なものを見るように見つめていたのだった。


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