辿り着くはパナケイアの空  第十七章


「ハボック」
 ガチャリと執務室の扉が開いて大佐が顔を出す。オレは短くなった煙草を灰皿に押しつけて立ち上がりながら言った。
「行きますか?」
「ああ、頼む」
 ちらりと壁の時計を見れば当初の予定よりきっかり三十分早い。妙なところできっちりしてるのが何となくおかしくてクスリと笑えば大佐が眉間に皺を寄せた。
「なんだ?」
「なんでもないっス」
 司令室を出ていく大佐の後について歩きながら答えると大佐が不服そうにオレを見る。そんな顔を見れば更にこみ上げてくる笑いを口元に寄せた手で隠すオレに、大佐は益々皺を深めた。
「ハボック」
 判らないのが不満だと声に載せて大佐がオレを呼ぶ。オレは大佐の半歩後を歩きながら答えた。
「普段は結構ずぼらなのに妙なところできっちりしてるなぁと思って」
「失礼な奴だな、私のどこがずぼらだ」
「だって」
 言って睨んでくる大佐にオレはクスクスと笑う。そうすれば大佐はツンと顎を上げて言った。
「時と相手を選んでるだけだ」
 それってどういう意味?オレって大佐に選んで貰ってるんだろうか。ついそんな考えが浮かべばなんだか無性に嬉しいと感じる自分に気づいて、オレは慌ててその考えを打ち消す。そもそもオレは大佐に選んで貰いたいなんて思っているのか、一体何のために?
「おい、ハボック」
 怪訝そうな大佐の声が聞こえてオレは大佐を見る。そうすれば益々眉間に皺を寄せるから、せっかくのいい男が勿体無いって考えていると。
「乗らないのか?」
 大佐の言葉と同時に吹き抜ける風を感じてオレはハッとする。気がつけばもう司令部の正面玄関をくぐり抜けオレ達は車の側に立っていたのだった。
「わ……すんません」
 慌ててオレが開けるより早く、大佐は自分で車の扉を開けて乗り込んでしまう。オレは急いで車を回り運転席に腰を下ろした。
「まったく……歩きながら寝てたのか?」
 クスクスと笑い混じりに言う声が背後から聞こえてオレは顔を赤らめる。早く別の話題にしてしまおうとオレはハンドルを握って尋ねた。
「ええと、いつもの通りでいいっスか?」
「ああ。ただ最後はラバトフラワーマーケットに変更してくれ」
 駅前の大きな花屋の名を口にする大佐をオレはミラー越しに見つめる。そうすれば大佐が苦笑して言った。
「手ぶらでは行きにくい会食なんでな」
 ああ、今日の会食の相手は女性なんだ。それもオフィシャルじゃなくプライベートなつき合いの。オレとのメシをキャンセルしても行かなきゃならないくらいのつき合いの、そんな女性と会うのか。そう思った途端、胸の奥がズキンと痛む。オレは慌ててミラーの中から目を逸らして正面を見つめた。
「昔世話になった人の娘さんでね。急にこっちに来られる事になったんだが、今夜しか時間がとれなかった」
「へぇ、そうなんスか」
 妙に言い訳がましく大佐が言う。オレはなんだか苛々して正面を見つめたまま言った。
「大佐から花を貰うなんて、女の子だったらすっごく嬉しいでしょうね。これがきっかけでおつき合いが始まったりして」
 自分で言った言葉にオレは何故だか動揺してしまう。それ以上何を言っていいか判らず唇を噛むオレの耳に大佐の声が聞こえた。
「彼女には婚約者がいて向こうに戻ればすぐ結婚式だ。今日はそのお祝いも兼ねてる」
「ッ?!」
 その言葉にオレは弾かれたようにミラーの中を見る。見つめてくる黒い瞳と目が合って、オレはホッと息を吐き出した。
「な、んだ……そうなんスか」
「ああ」
「なぁんだ……残念でしたね」
へへ、と笑ってオレはハンドルを握り直す。何故だかどっとこみ上げる安心感に、オレは全身の力が抜けるような錯覚を感じながら車を走らせた。


 視察から一度戻り大佐が何本か電話をかけるのを待って、今度はレストランに大佐を送っていく。大きな花束を持った大佐が颯爽とレストランに向かって歩く背中を見送って、オレは司令部に戻った。仕事の方はもう切りのよいところまで済ませてあるから残業の必要もない。それでもオレは人事部へ向かうと顔見知りの職員の女の子に頼んでハリソン大佐とジェンナー少佐の経歴書を出して貰った。それをきちんと畳んで胸の内ポケットにしまい司令部を出る。そのまま歩いて行きつけの店に行くと、一番奥のボックス席に陣取った。
「いらっしゃい、ハボックさん。今日は一人?」
「え?……ああ」
 そう言えば最近この店に来る時はいつも大佐と一緒だったことを思い出して曖昧に頷く。ビールと腹にたまりそうなものを幾つか頼んで早々に店員を追い返すとオレはポケットから二人の経歴書を取り出した。
 経歴書には出身地や軍での履歴が書いてある。二人とも士官学校を卒業後、そこそこの功績をあげながら階級を上げてきたようだった。
(ハリソン大佐とジェンナー少佐って同じ士官学校の出なんだ)
 ハリソン大佐の二年後にジェンナー少佐が入学してる。ということは二人はそんな頃からのつき合いだと言うことだ。卒業後は別々の場所に配属になったようだが、二年前にハリソン大佐が東方司令部に転属になった時から直属の部下としてジェンナー少佐がついてた。だが、そんなことよりオレの目を引いたのは。
「大佐と同じとこ、行ってる……」
 大佐がイシュヴァールに行ってるのと同じ時期にハリソン大佐もイシュヴァールに行ってる。
(この時なにかあったんだろうか……)
 戦場で何かあったとしても余程のことがなければ外へは聞こえてこない。大佐にその気がなくても勝手に向こうが不満に思っている事もあるだろう。
(近づくのが先か)
 このまま外から調べても判ることは限られているだろうし時間もかかる。ぐずぐずしていて大佐に何かされたら堪らない。
「お待たせしましたぁ」
 オレはビール片手に腹を満たしながらどうやって彼らの懐に入り込むか考えていた。


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