辿り着くはパナケイアの空  第十六章


「───いちょう、…隊長!」
「えっ、あっ、なにっ?」
 肩を掴んで揺さぶられて、オレは漸く自分を呼んでいる声に気づく。肩を掴んだ手の続く先を見れば、副官の軍曹がオレを睨んでいた。
「なにじゃないです。どうしたんです、ボーッとして」
 とりあえずオレの意識が自分に向いたことで軍曹は掴んでいた手を離す。気がつけば軍曹だけでなく周りにいた隊員達が皆、オレを見ていた。
「いや、その……ちょっと気になることがあって……」
「気になること?小隊の中のことですか?」
「そうじゃない、お前らの事じゃないよ。ちょっと別件」
 さっき偶然聞いた話が頭から離れない。あの連中が大佐に何かしようとしているのかもしれないと思えば、気になって仕方がなかった。だが、そんなオレに軍曹が言う。
「隊長の立場になれば色々気になることも考えることもあるでしょう。でも今は演習の時間です。ちゃんと演習に集中して貰わなくちゃ困ります。たとえどんなに気になることがあってもその気になることに対処する時、隊長の手足となるあたしらが上手く動けないんじゃ話にならないでしょう?」
「軍曹」
「今すぐどうにか出来ないことをうじうじ考え込むより演習に集中して隊としての能力を上げた方が、最終的に役に立つと思いますがね、あたしは」
 諭すように言って軍曹はオレを見上げる。確かに今ここで考えてもすぐにはどうにもならないのなら、目の前の演習に集中すべきだ。ここできちんとやったことはオレにも、()いては大佐の為にもなるだろう。
「ごめん、軍曹の言うとおりだ。今は演習に集中しないとダメだよな」
 オレよりずっと年嵩で人生経験も豊富な軍曹はいつだってこうしてオレのことを修正してくれる。オレの言葉に笑みを浮かべる軍曹に頷いて、オレは部下達を見回した。
「よし、訓練再開だ。みんな、モタモタするなよ!」
「隊長こそ!」
「今度ボーッとしてたら遠慮なしに叩き込みますよ!」
 そう言って拳を見せる部下達に、オレは笑って演習を再開したのだった。


 演習を終えたオレはシャワーを浴びてさっぱりすると、簡単なミーティングをして司令室へと戻る。煙草を取り出して火を点けながらオレは自席に腰を下ろした。
 演習中は頭から閉め出していた会議室で見た二人の事を思い浮かべる。あの二人なら知ってる。ジョージ・ハリソン大佐とデビット・ジェンナー少佐だ。昔ながらの堅実な作戦を立てる人で、裏を返せばそういう作戦しかたてられない堅物だ。錬金術師に対する考え方が二分する軍の中で、どちらの考えをもっているのか聞いたことはないが、少なくとも大佐に関して言えばいい感情を持っていないことは明らかだった。
(本気で大佐になにかするつもりなのか?)
 腹立ち紛れに口走ったことなのか、本気で大佐に何か仕掛けてくるつもりなのかはっきりしない。あそこで後を付けなかったことを激しく後悔しながらオレはガタリと席を立った。
(とりあえず中佐に報告、だよな)
 そう考えればこの間中佐が言葉を濁していたことが思い出される。あれはこういう意味だったのかとグッと手を握り締めて、オレは司令部を後にした。


『本当か?少尉』
オレの話を聞いて中佐が険しい声で言う。オレは公衆電話の上を指先で叩きながら答えた。
「ええ。実際何かする気なのかはまだ判んねぇっスけど。大佐にいい感情持ってないのは確かっスね」
 まだ判らないと一応言ったもののオレは八割方何かしてくると踏んでいた。
“これ以上は場所を移して話しましょう”
 ジェンナー少佐は確かにそう言っていた。それってどうするかこれから相談しようって事だろう?でもオレはその話はせずに中佐に言った。
「とにかくあいつらがどうするつもりなのか、もう少し調べてみます」
『そうしてくれ。それで、折りを見てロイにも話しておいた方がいいだろう』
「言いませんよ」
 即答でオレが答えれば中佐が一瞬口を閉ざす。それから少しして言った。
『少なくとも注意するようには言っておいた方がいい、これまでにも似たような事はあったんだ。あらかじめ注意を払っておくのとおかないのでは危険の度合いが───』
「言いません、大佐には」
 中佐の言葉を遮ってオレはきっぱりと言う。このことを大佐が知ったら傷つくに違いない。権力抗争なんて軍の中じゃ日常茶飯事だけど、それでもオレはたとえほんのちょっとでも大佐を傷つけようとするものから大佐を遠ざけておきたかった。
「大佐に知らせなくってもオレが大佐を守ればいいって事っしょ?大丈夫、大佐には絶対手出しさせないっスから」
『待て、少尉。ロイの立場は複雑なんだ。だから』
「中佐、オレに大佐のこと頼むって言ったじゃないっスか。大丈夫、任せて下さい」
『おい、少───』
 オレはそう言って中佐が何か言おうとするのに構わず電話を切ってしまう。要するに大佐の立場を拙くするようなことなしに、大佐を守ればいいんだろう?
「任せとけって」
 オレは誰にともなく言うと電話ボックスを出て司令部に戻った。


「あ、ハボ。大佐が呼んでたぜ」
 司令室に戻ればブレダが書類から顔を上げて言う。なんだろうと思いながら執務室の扉をノックしてオレは中へと入った。
「大佐ぁ、なんか用っスか?」
 呼んでたって聞いたけど、と言うオレに大佐はため息をつく。書類を書いていた手を止めてペンを放り出した大佐は、ため息をつきながらオレを見上げた。
「普通用事があるから呼ぶんだろう?ハボック」
「だから来たじゃないっスか」
 ちゃんと来たのにため息をつかれる理由が判らなくてオレは首を傾げる。そんなオレにそれ以上言うのは無駄と思ったのか、大佐はその話はそこで打ち切って別のことを口にした。
「視察の時間を三十分繰り上げたい。それから今夜の事だが、急に会食の予定が入ってな、すまんが───」
「ああ、気にしないで下さい。オレもちょっと野暮用できたんで」
「……そうなのか?」
「ええ。店は逃げないし、また今度にしましょう。視察の件は了解っス。他には?」
「いや、それだけだ」
「んじゃ、オレ、視察までに仕事片づけちゃうんで」
 三十分繰り上げるなら急がないと間に合わない。そう思って執務室を出ようとするオレを大佐が引き留めた。
「なんスか?」
「野暮用はデートか?」
「は?オレ、彼女いないって言いませんでしたっけ?」
 突然そんな事を聞かれてオレはキョトンとして大佐を見る。
「この間まではな。でもその後出来たかもしれないだろう?」
「出来ませんよ。そんな暇ないし、作る気もないし」
 オレがそう言えば何故だか大佐がホッとしたように見えた。
「えと、もういいっスか?」
「ああ、引き留めて悪かった」
 言って笑みを浮かべる大佐に軽く敬礼をして、オレは執務室を後にした。


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