辿り着くはパナケイアの空  第十五章


「子供の頃、家の近くに小さな川があってな、よくそこで釣りをしたんだ」
 と大佐は話をする。
「自分で仕掛けを作って、魚が好きそうな餌があると聞けば色々混ぜて調合して。誰が一番大きな魚を釣るか、友達とよく競争したものだ」
「へぇ、なんか意外っス。大佐は子供の頃から小難しい本を読んでばかりいたんだと思ってたっス」
 しょっちゅう仕事をサボっては、木の下のあの場所で分厚い本を開いている大佐の姿を思い浮かべてオレは言った。そうすれば懐かしそうに目を細めていた大佐が答える。
「本を読むのも好きだった。釣りをする傍ら本を読んでいて、魚がかかるまでの暇つぶしのつもりが本に夢中になって魚がかかったのに気づかなくて……。餌を取られたなんて事はしょっちゅうだったよ」
「あはは、大佐らしい」
 自分で仕掛けを作って釣りに行く大佐ってどんな子供だったんだろう。今だってこんなイイ男なんだから、子供の頃はきっとすごい美少年だったに違いない。オレがそう言えば大佐はニヤリと笑って言った。
「街の女の子達の初恋の相手は皆私だ」
「うわあ、しょってる」
 大佐の言葉に思わずそう言うオレに大佐はニヤニヤと笑っていたが、グラスに口を付けると言う。
「もっともそんな風にして遊んだのは小さいうちだけだったがな。開発が進んで街は綺麗になったが魚が住む川はなくなってしまった。本を読むのも川辺じゃなくて図書館に変わったよ」
「そうなんスか……」
 便利になるのはいいことだが、周りの自然が消えてしまうのは悲しいことだ。大佐は一瞬考えに沈むように遠い目をしたけど、次の瞬間オレを見て言った。
「お前の子供の頃はどんなだったんだ?故郷はどんなところだ?」
「ああ、オレもガキの頃は魚釣りしたりしてましたよ。でも釣りより泳ぐ方が多かったかな。んで、故郷はものっ凄い田舎っス」
 その証拠に今だって田舎だ。士官学校入って自分がいたところがどれだけ田舎か思い知って、本当にびっくりしたのだ。心底参ったと言うようにオレが言えば大佐がクスクスと笑う。
「お前が子供の頃もそのまんまだったんだろうな」
「どういう意味っスか、それ」
 馬鹿にされてるんだろうかと思いながら聞けば大佐が答えた。
「そのまんま、素直で可愛くて太陽みたいだったんだろうと思ったんだ」
 そう言って優しい笑みを浮かべて見つめられてオレは何故だかドキドキしてしまう。
「おだてたって何も出ないっスよ」
「おだてたつもりはないよ」
 わざとぶっきらぼうに言っても変わらず優しい口調で返されて、余計にドキドキが激しくなる。
(おちつけ、オレ!なに大佐相手にドキドキしてんの?!)
 大佐の視線を感じる部分がカアと熱を持って、オレはそれを誤魔化すために言った。
「でもまぁ、あの頃一緒に悪さした連中とは田舎帰ると今でも飲みに行くっスよ。田舎で何にもないけど、緑と綺麗な空気だけはあるとこっス」
「それだけあれば十分だ」
 大佐はそう言って笑うと一瞬口を噤み、それから付け加える。
「私も一度行ってみたいものだ」
「ほんとに?是非来て下さいよ」
 大佐の言葉が嬉しくて、オレはナフキンを取ると大佐のペンを借りて故郷の町の名前を書いた。
「一緒に帰れたらオレが案内しますし、大佐一人でも両親や姉貴がいるから。大佐が行ったらすっげぇ歓迎してくれると思います」
「そうか」
 本当にいつか一緒に行けたらいいのに。
 オレの故郷の名を記した紙ナフキンを丁寧に畳んで懐にしまう大佐を見つめながら、心の底からそう思ったオレは今度は逆に問い返す。
「オレが大佐の故郷に行ったら案内して貰えます?」
 てっきり笑って頷いてくれると思っていたが、オレの言葉に大佐は一瞬動きを止めた。痛みをこらえるように細めた目を一度閉じ、それからオレを見る。
「私の故郷はもうなくなってしまった」
「え?」
 それってどういう意味だろう。
「戦争に巻き込まれたんスか?」
 オレの住んでいたところは田舎だったから直接戦闘に巻き込まれるようなことはなかったけれど、それでも戦争の影響は色濃く現れていた。大佐がいたところはもっと都心のようだからもしかしたら戦火に巻き込まれたのかもしれない。だが、大佐の次の言葉はもっと衝撃的なものだった。
「私が燃やしてしまったんだ」
「……え?」
「覚え立ての錬金術を上手く制御出来なかった。燃え盛る焔は瞬く間に街を飲み込んでしまったよ」
 大佐の言葉にオレはなんと言っていいかわからず絶句する。目を見開いて見つめるオレを見つめ返して大佐が言った。
「私が恐ろしいか?ハボック。もう、私の側にはいたくない?」
 そう尋ねる黒曜石の瞳に様々な感情が浮かんでは消える。オレは大佐の視線をしっかりと受け止めて答えた。
「いいえ…いいえ、大佐。オレは大佐の事恐ろしいとも大佐から離れたいとも思わないっス。だって大佐はその時の痛みをしっかりと受け止めて同じ過ちは二度としないっしょ?だったら怖いことなんてなんもないっス」
「ハボック……」
「大佐の故郷がなくなってしまったのは不幸な出来事だけど、それならオレの故郷を故郷だと思えばいい。今度一緒に行きましょう」
 ね、と笑えば大佐が泣きそうな顔で笑った。
 今まで大佐はどれだけ傷ついてきたんだろう。出来るならこれからはオレが大佐を傷つける全てのものから守ってあげたい。出来るなら大佐の傷を癒してあげたい。
 そんな事を考えながらオレは大佐と酒を酌み交わしていたのだった。


 そんな話をしてから、一層オレと大佐は不思議に優しい時間を共有するようになっていった。ブレダ達は何かあったんじゃないかって相変わらず余計な心配してたけど、周りがどう言おうがそんな事はどうでもよかった。オレは大佐の監視者だったがこの頃になるとオレの中佐への定期報告は、大佐と何を食いに行ったかとかそんな事ばかりになっていた。
『なんかすっかりロイに懐いちまったな、少尉』
「懐いたって……別にそんなんじゃねぇけど」
 中佐にそんな風に言われれば何となく気恥ずかしくてオレは唇を尖らせる。ブツブツと言い訳するオレに中佐が笑って言った。
『まあ、お前さんみたいのが側にいれば余計なちょっかい出してくる奴もいねぇだろう』
「余計なちょっかいって嫌がらせとかっスか?」
『……まあ、そうだな』
 何となくはっきりしない中佐の物言いにオレは眉を顰める。だが中佐はそれ以上その事には触れずに言った。
『とにかく、これからもロイの事頼むわ』
中佐はそれだけ言って電話を切ってしまった。


「やべぇ、遅くなった」
 オレはそう呟きながら廊下を小隊の詰め所へと急ぐ。大佐がフケってくれたおかげで書類の提出が押せ押せになってしまい、演習を始める時間に食い込んでしまっていた。
「まったくもう……。一度中尉にシメて貰った方がいいかな」
 大佐の事を遠巻きに見守る連中が大勢いる中で、ホークアイ中尉は数少ない大佐に自然に接する一人だった。決して出しゃばりはしないが言うべき時は自分の意見をはっきり言う。時には書類を溜めまくる大佐を叱り飛ばすことすらあった。そんな中尉には大佐も一目置いているようで、何かどうしても大佐にやらせたい事がある場合には、中尉経由で頼むのが最も手っ取り早く確実な方法だった。
 オレはそんな事を思いながら普段あまり使わない通路へと足を向ける。詰め所にはこっちから行った方が多少ではあるが近い筈だ。使う人の少ない通路を急ぎ足で抜けてしまおうとした時。
「まったくセントラルも余計なものを押しつけてくれたものだ。焔の錬金術師だがなんだか知らんが、こっちに火の粉が飛んだらどうしてくれる」
「いっそ何も出来ないよう、手を回すことは出来ませんかな。ここなら我々のテリトリーだ。マスタングもこっちへ来て更に孤立しているようだし何とかなるかもしれません」
「なるほど、先手必勝という訳か」
 そんな会話が耳に飛び込んできてオレは足を止める。ひそひそと声を潜めた会話はすぐそこの会議室から聞こえてきているようだった。オレは足音を忍ばせて会議室の扉に近づく。建て付けが悪くて少しすいた扉の隙間から中を覗けば、物置と化した室内に二人の男が立っているのが見えた。
(あれは……)
 窓から射し込む光に照らされた横顔をオレはしっかりと脳裏に刻む。
「これ以上は場所を移して話しましょう」
 そう言って出てくる二人に気づかれぬよう、オレはそっとその場を離れたのだった。


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