辿り着くはパナケイアの空  第十四章


 その夜以来、大佐はオレを食事に誘ってくれるようになった。とは言えいつもいつも奢って貰ったのではいくら相手が高給取りの上司とは言っても気が引ける。
「折半で行けるとこなら一緒に行きます」
 ある時オレがそう言えば大佐は意外そうに目を瞠ったが、何を言うでもなく頷いた。それからと言うもの、オレと大佐はオレでも行けるような気が置けないような店で、ある時は大いに食べ、ある時はのんびりと酒を交わしたりした。
「大佐、この間魚が旨い店、みつけたんスよ」
 今日もオレは執務室で書類に埋もれる大佐に向かって言う。大佐はオレなんかよりずっと忙しかったから、新しい店を見つけてくるのはもっぱらオレの方だった。
「今日は会食ないっしょ?どうかなと思って」
 そうオレが言えば大佐は書類を書いていた手を止めて机の上の山を見る。ふぅとため息をついた大佐は、眉間を揉みながら言った。
「会食はないが書類が山積みだ。今日こそ何とかしないと中尉に撃たれる」
「そんなのいつもの事じゃないっスか」
 大佐が本気になればこれくらいの書類の山は大したものではない事くらい、とっくに知ってる。
「それともそんな店には興味がない?」
 意地悪くニヤニヤと笑って言えばムッとした大佐がオレの腕を掴んだ。
「可愛くない奴だ」
 大佐は掴んだ腕をグイと引いてオレの事を引っ張り寄せると、もう片方の手でオレの髪をわしわしとかき混ぜる。
「うわっ、なにするんスか!せっかくセットしたのに!」
 喚いて逃れようと腕を引けば、抵抗もなくするりと抜けた腕にオレは背後に倒れそうになって慌てて踏ん張った。
「も……危ないじゃないっスか」
「お前が悪いんだろう?」
 ジロリと睨むオレの視線なんて意にも介さず大佐はニヤニヤと笑い返して言う。それから書類の山に手を伸ばして一番上の束をとって言った。
「まあ、せっかくだ。どれほど旨いか確かめてやろう」
「うわー、可愛くねぇ。別に無理しなくても嫌ならブレダでも誘うっスから」
 本当はブレダよりずっと大佐と行きたかったけど苦労してセットした髪を乱された腹いせにそう言ってみる。そうすれば大佐がムッとしたようにオレを睨んだ。
「ハボック」
 その声に込められた奇妙な迫力にオレは思わず口を噤む。
「……嘘に決まってんでしょ」
 ちょっとした腹いせなのにそんな怒らなくてもいいじゃないか。ボソリと言った言葉に大佐はハッとしたように目を見開いた。
「……書類を片づけるからコーヒーを淹れてくれるか?」
「アイ・サー」
 オレから視線を外してそう言う大佐に答えて、オレは執務室を出た。


「おう、ハボ。今夜みんなで飲みに行こうって言ってんだけど、お前予定空いてる?」
「ごめん、今日は大佐と飲みに行く約束してっから無理」
 夕方、ブレダがそう言ってオレを誘ってくる。みんなで飲みに行くのも楽しいけど先約は大佐だからそう答えればブレダは眉を顰めた。
「お前、最近よく大佐と飯食いに行ってねぇ?」
「そう?そうかな」
「そうだよ」
 首を傾げるオレにブレダが言う。オレ達の会話を聞いていたフュリーが口を挟んで言った。
「今週に入って二度目ですよ」
「先週も二回か三回行ってましたな」
 フュリーに続いてファルマンまでがそう言う。週に何度一緒にメシを食ってるかなんて意識したことなくて、思わずキョトンとすればブレダが言った。
「まさかなんか弱みでも握られてるんじゃないだろうな、ハボ」
「じゃなかったら一緒に食べに行かないと燃やすって脅されてるとか」
「はあ?そんなわけないだろ」
 なにやらとんでもない事を言い出すブレダ達にオレは心底呆れかえっていう。どうしてオレが大佐に弱み握られたり脅されたりしなくちゃならないんだ。
「だって、大佐だろ?散々悪い噂聞いてるじゃねぇか」
「そうですよ、脅されてるなら一度中尉に相談した方がいいです」
 オレが大佐と食事にいく理由が脅されているからだと決めつけているブレダ達にオレは腹が立ってくる。ガタンと乱暴に席を立つとみんなを睨みつけて言った。
「オレが大佐と飯食いに行くのは楽しいから!大佐は勝手な噂とは全然違うんだからな!」
 噂なんて、そんな一番信憑性に欠けるものを信じてるなんてどうかしている。オレは驚いて見上げてくるブレダ達に「馬鹿!」と怒鳴りつけると司令室を飛び出した。


 終業時間を過ぎてから席に戻れば、みんなで飲みにでかけたのだろう、もう誰も席には残っていなかった。オレは一つ散らかったままの自分の席に腰を下ろしてため息をつく。
 どうしてみんな大佐の事を悪く言うんだろう。根も葉もない噂ばっかり信じて、どうして大佐の事を知ろうとしないんだろう。
(そりゃオレだって大佐の事全部知ってるわけじゃないけど……)
 それでも大佐が怒りに任せて誰かを燃やしてしまうような人じゃない事は知ってる。甘いもの好きでサボり魔で、でもその気になればあんな書類の山なんて屁でもない事も知ってる。
 そしてなにより。大佐の焔がとても美しいことを、オレは知っている。
(あの焔を見たらきっと大佐がどれほど高潔で純粋な人かって判るはずなんだ)
 ブレダ達にも判って欲しいのに。オレがそう思った時、執務室の扉が開いて書類を抱えた中尉が出てきた。
「あら、まだ仕事?ハボック少尉」
「いえ、そろそろ帰るとこっスけど。中尉は……夜勤でしたっけ」
「ええそう。書類のチェックをしなくちゃだから退屈しなくて済みそうよ」
 中尉はそう言いながら後ろをチラリと振り向く。そうすれば眉を下げて情けない顔をした大佐が出てきた。
「待たせたな、ハボック」
「や、そうでもないっス」
 大佐の声にオレが答えて立ち上がれば中尉が「あら」と言う顔をする。
「食事の約束?」
「ええまあ」
 もしかして中尉もオレが脅されて一緒に食事に行くとでも思っているんだろうか。だが、中尉はにっこりと笑うと書類を机の上に置きながら言った。
「そう。羽目を外しすぎないようにね」
「……はい、中尉も夜勤ご苦労さまっス」
 そう言えばありがとうと頷く中尉を残して、オレは大佐と連れだって司令室を後にした。


「ここっス、大佐」
 そう言いながら店の扉を開ければ目の前に置かれた水槽に大佐が目を丸くする。水槽に近づくと銀色の鱗を煌めかせて泳ぐ魚を見て、大佐は楽しそうに言った。
「すごいな、この魚を食うのか?」
 ワクワクした声で言う大佐は子供みたいだ。店員に案内された奥の席に腰を下ろすとオレは言った。
「この店、生の魚が出てくるんスよ」
「生?」
 オレの言葉に大佐が目を丸くする。アメストリスじゃ生の魚を食う習慣はない。大佐がびっくりするのも当然だがオレはにっこりと笑って言った。
「びっくりするのも判るっスけど、騙されたと思って食ってみてください。すっげぇ旨いっスから」
 そう言って店員にオーダーする。少しして出てきた魚をまじまじと見つめる大佐にオレは言った。
「これ、ショウユっていうんです。これつけて食べてみて」
 言いながら小皿に黒っぽい液体を注いでやる。大佐はオレが言ったとおり魚をショウユにつけると恐る恐る口に運んだ。もぐもぐと味わうように咀嚼した大佐の顔がパアッと明るくなる。
「旨い、旨いな、これは!こんな風に食べたことなどなかったが、とても旨い」
 大佐はそう言って次々と魚に手を伸ばした。喜んで食べてくれるのが嬉しくてオレの顔に自然と笑みが浮かぶ。オレも皿にショウユを注ぐと大佐に負けじと手を伸ばした。
「これは刺身っていう料理法で、ずっと東の国では新鮮な魚をこうして食べるんですって。ちなみにこの魚は鯛」
「鯛?」
「大佐、海って見たことあるっスか?そこに住んでる魚なんですって」
 遠い海からこのアメストリスまで運んでくるのは大変な筈だ。刺身はこの店でも取り扱う量が少なく、決して安いメニューではなかったが、大佐が喜んで食べてくれるなら給料をはたいてもいいと思った。
「そう言えば子供の頃近くの川によく釣りに行ったよ」
 不意に大佐がそんなことを口にする。懐かしそうな声に思わずオレは尋ねた。
「大佐、釣りなんてしたんスか?聞かせてくださいよ、大佐の子供の頃の話」
 ワクワクして身を乗り出せば一瞬驚いたような顔をした大佐がクスリと笑う。オレの頼みを聞いて子供の頃のことを話す大佐の声を聞きながら、オレは楽しくて仕方なかった。


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