辿り着くはパナケイアの空  第十章


「さて、ハボック。なにが食いたい?」
「腹が減ってるから何でも来いって感じっス。大佐こそ食べたいものないんスか?」
「そうだな……」
 答えるオレに大佐がフムと考える仕草をする。不意に何か思いついたようにパッと顔を輝かせたと思うと、大佐はオレに尋ねた。
「普段はどんなところへ飲みに行ってるんだ?」
「どんなって……安くて旨くてボリュームのあるとこっスよね、やっぱ」
 そう答えてしまってからオレは思う。大佐が普段行くような店はオレにはあまりに敷居が高くて行く気にもならないし、大佐からしてみればオレの行きつけの店では口に合わないこと甚だしいだろう。
「ええと、オレが行くようなところはきっと大佐の好みに合わないでしょうから、大佐が行きたいところでいいっスよ。あ、でもあんまり高いとこだとオレ、払えねぇけど」
 飲みに行こうと誘われた時はどうしてオレが?と思いはしたものの純粋に嬉しくて、行くと答えてしまった。だが、今になってなんだか急に気後れしてしまいオレは困ったように笑う。見つめてくる強い視線を受け止めきれずに俯くオレに大佐が言った。
「誘ったのは私だからな、私の奢りだ。それからせっかくだからお前がよく行く店に連れていってくれないか?」
「えっ?」
 思いもしない言葉にオレは弾かれたように顔を上げる。そりゃオレが行く店なら大佐の財布には全然響かないだろうけど、つか、そこならオレにだって払える。
「や、でもオレが行くのはそれこそ安酒場だし、大佐みたいな人連れてったら申し訳ないっつうか……」
 安くても安い店なりに旨いと思うし、オレにしてみれば変に気取った店よりもずっと腹も気持ちも満たされると思う。同僚や友人であれば「オススメだ」と言って頼まれなくても連れて行くであろうその店に、どうして大佐だとこんなに気乗りしないのか、オレは不思議でならなかった。
(これって見栄張ってるってことかな。大佐相手に見栄張ってなんになるって言うんだよ……)
 自分の心理が理解出来ずにオレ黙り込んでしまう。大佐は歩きながらオレを横目で見ていたが、足を止めて行った。
「私が誘ったのは迷惑だったか?」
「そんなことッ!そんなこと、ねぇっス!」
 不意にそう言われて、数歩先まで進んでしまったオレは振り向いて言う。自分を見つめてくる黒い瞳を見返してオレは続けた。
「ただ……オレは大佐を案内出来るような洒落た店、知らねぇし、なんか…カッコわりぃっていうか……」
 そう口にしてしまってからオレは、これが好きな女の子相手に見栄を張りたい男の心理だと気づく。
(馬鹿じゃねぇの、オレ。大佐は彼女じゃないんだし、大佐だってオレにいいとこに連れていって貰おうなんて期待してやしないんだから)
 そう思いながらももやもやする自分の気持ちを持て余しているオレに大佐が言った。
「別に洒落た店に連れていってくれと言ってるわけじゃない。普段お前が行く場所に行ってみたいんだよ」
 そう言う大佐をオレはじっと見つめる。その顔が優しい笑みを浮かべていることに気づいて、オレは一瞬キュッと唇を噛んでから言った。
「判ったっス。でも、行ってみて気に入らなくても文句言いっこなしっスからね」
 そんな風に言ってしまうのは万が一の為の予防線か。オレは今までになく緊張しながらこっちだと大佐を促した。


「ここ、なんスけど……」
 そう言って店の前で足を止めれば大佐の黒い瞳が店を見上げる。それから促すようにオレを見るのにオレは腹を決めて店の扉を開けた。
「いらっしゃいませっ!」
 入った途端威勢のいい店員の声が飛んでくる。馴染みの店員は普段オレが連れてくるのとは人種が違う大佐を見て一瞬目を見開いたが、なにも言わずに奥のブースへと案内してくれた。
「お飲物は何になさいますか?」
「えと、ビールでいいっスか?大佐」
 きょろきょろと店内を見回している大佐に聞けば頷くから、とりあえずビール二つと注文する。注文を通すために店員が行ってしまった途端、大佐が言った。
「こういうところに来ているのか」
 物珍しそうに言う大佐にオレは答える。
「ここにはブレダとか気心の知れた奴と飲む時に来てるんス。大勢で飲み食いする時はもっと安くて賑やかなとこに行くっスけど」
 流石に小隊の連中と飲んで馬鹿騒ぎするような店に大佐を連れていく気にはなれなくて、オレは普段行っている中でも比較的こじんまりと静かな店に大佐を連れてきていた。ここではよくブレダに色んな心配ごとを打ち明けて相談したり、愚痴を言い合ったりしている。ちょっと内輪な話も出来て、食事もオレ的にはなかなか旨いと思っている店だった。
「大佐、何食います?あ、今日のオススメ、鱸の香味ソースかけですって。牡蠣嫌いじゃなければこの焼き牡蠣も旨いっスよ」
「ここは魚介類がメインなのか?」
 オレが口にしたメニューを聞いて大佐が言う。そう言えば大佐の好みを全く聞かずに連れてきてしまったと、オレは内心焦りながら答えた。
「そうっスね、魚介が多いっスけど肉料理もあるっスよ」
 ええと、とパラパラとメニューをめくるオレに大佐がクスリと笑う。
「魚介類も好きだが意外と食べに行く機会がないから嬉しいよ。お前の気に入りのメニューはなんだ?それを食べさせてくれ」
 そんな風に言う大佐の顔をオレはメニューから顔を上げて見つめた。笑って頷く大佐に、オレは思わずホッとしてしまう。
「えと、それじゃあ太刀魚なんてどうっスか?今が旬だから旨いっスよ」
 そう言えば笑って頷いてくれるのが嬉しくて、オレはウキウキしながら料理を選んでいった。


 いい気になって二人で食うにはかなりの量を頼んでしまったと思ったが、それでも大佐はどの料理も旨いうまいと言ってペロリと食べてしまってくれた。
「旨かったな、大満足だ」
 店を出て夜風に吹かれて歩きながら言う大佐にオレも自然と笑顔になる。この店なら払えるからとオレは言ったが「いい店を紹介してくれた礼だ」と言って、結局大佐が奢ってくれた。
「気に入って貰えてよかったっス」
 オレは心の底からそう思いながら言う。大佐が満足してくれて本当によかった。そう思った時、にっこりと笑った大佐が懐から懐中時計を取り出して時間を確認した。
(ああ、そうか。もう帰る時間か)
 そんな大佐を見れば自然とそう思う。その途端、俄にまだ帰りたくないという気持ちが沸き上がって、ギュッと手を握るオレの耳に大佐の声が聞こえた。
「ハボック、よかったらもう少し飲まないか?」
 その声に大佐を見れば黒曜石の瞳がオレを見つめている。断られるのを恐れるような、そんな顔をしている大佐にオレの中に沸き上がった感情が何なのか、深く考えもせずにオレはその感情に蓋をして答えた。
「オレももう少し飲みたいって思ってたとこっス」
「そうか。それなら今度は私が行きつけのところでいいか?」
「それはいいんスけど……」
 大佐がいきつけのバーなんて言ったらオレの財布が三つあっても足りそうもない。そう思ったのが顔に出たのだろう、大佐はクスクスと笑って言った。
「今夜は奢りだと言っただろう?意外に遠慮深いな、お前は」
「だって、大佐に奢って貰う理由がねぇっスもん」
 そう答えれば大佐の表情が曇る。何か拙い事でも言ったかなと思った瞬間、大佐がニヤリと笑って言った。
「私とお前じゃ稼ぎが違う。それが理由にはならんか?」
「……思いっきり理由になる気がするっス」
 今夜の奢りなんて大佐にしてみれば露ほどでもないに違いない。
「だったら大人しく奢られておけ」
「アイ・サー」
 オレはおどけた調子で敬礼を返して、歩き出す大佐について歩きだした。


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