辿り着くはパナケイアの空  第十一章


 大佐について歩いていけば段々と店の雰囲気が変わってくる。店先に立つ妖艶な美女が誘うように笑うのにドキリとして、オレは視線を足下に向けて大佐の後を追った。それでも時折気になってちらりと目を上げれば、明らかな秋波を送ってくるのが判る。普段なら絶対オレなんて鼻にもかけて貰えないような高級な美女がそんな視線を送ってくるのは何故だろうと思った時、その視線の行き着く先が大佐の横顔だと気づいて納得がいった。
(そりゃそうだよな、大佐、イイ男だもん)
 そう思うと同時に何故だが胸の片隅がツキンと痛む。意味の判らない胸の痛みにオレが首を傾げていると半歩前を歩いていた大佐が振り向いた。
「その角を曲がった先───どうした?変な顔して」
「えっ?そ、そうっスか?」
 すぐ先の角を指さして言いかけた大佐は、オレの顔を見て眉を寄せる。オレはといえば大佐が言うような変な顔をしていた意識がなくて、思わず両手で頬を押さえてしまった。
「お前」
 その仕草がおかしかったのか、大佐がプッと吹き出す。なんだか恥ずかしくて顔を赤らめたオレを、大佐は改めて促して角を曲がった。
 角を曲がった先は小さなバーが三軒ほど並んで建っておりその奥は行き止まりになっている。大佐はその中の一番奥の店の前まで行くと立ち止まってオレを振り向いた。
 その店はバーというにはわりと大人しい店構えで店の名をライトアップする灯りがなければ普通の家と間違えてしまったかもしれない。オレは扉を押し開けて入る大佐に続いて店の中に入った。こぢんまりとした店内はボックス席が二つほどある他はカウンター席しかない。大佐は案内を待たずに一番奥のカウンター席に腰掛けた。オレは大佐の隣のスツールに腰を下ろして店の中を見回す。照明を落とした店内は低い曲が静かに流れてとても居心地がよかった。
「何にする?」
 きょろきょろと店の中を見回すオレに大佐が尋ねる。咄嗟にカクテルの名前なんて出なくて「大佐と同じものを」と答えれば、オレ達の様子を見ていたバーテンダーが大佐に頷いて見せた。
「大佐、いつもここに来てるんスか?」
 少しして出されたグラスを手にそう尋ねる。そうすれば大佐がカクテルに口をつけて短く「ああ」と答えた。
「いい雰囲気の店っスね」
 大佐がこういう店に来るのはちょっと意外だったが、案外女性と一緒ならやたらと華やかな店よりこっちの方がいいのかもしれない。そんな事を考えたら美女と並んでグラスを手にする大佐の姿が目に浮かんで、オレは眉間に皺を寄せた。
「そう思っているようには見えない顔だな」
「え?」
 苦笑混じりの声でそう言われて、オレは大佐を見る。そうすれば大佐が手を伸ばしてオレの眉間の皺を撫でた。
「皺が寄ってる」
「えっ?!…あッ」
 皺を伸ばすように眉間に触れてくる指のヒヤリとした感触と、それとは反対に見つめてくる黒曜石の視線の熱さにオレはドキリとして身を引く。そうすれば大佐は特にそれ以上触れてこようとはせず、グラスに口をつけた。
「や、あの……オレなんかより女の子と一緒に来たかったんじゃねぇかなって。いつもはそうなんでしょ?」
 オレはそう言いながら大佐が触れた眉間を押さえる。普段より冷たく感じる皮膚と自分が口にした言葉に、胸の奥がざわざわとした。
「ここへ誰かを連れてきたのはお前が初めてだな」
「え?そうなんスか?」
 その時ポツリと大佐が言った言葉にオレは驚いて大佐の横顔を見つめる。ここなら女性だって気に入るだろうし、軍の関係者も来なさそうだからデートにはうってつけだろうに。
「あ、それともデート用にはもっと女の子向きの洒落た店を用意してるんスか?」
 オレがそう尋ねれば。
「私とデートしたがる女性などいないよ。いるとしたら商売女かよほどの物好きくらいだ」
 苦く笑って答える大佐にオレは目を丸くした。
「んなわけねぇっしょ?大佐、モテるじゃないっスか」
 そう口にすればオレの脳裏に大佐に秋波を送っていた美女の姿が浮かぶ。彼女だけじゃない、今考えれば司令部からこっち、通りを歩く間も店で食事をしている間も必ずと言っていいほど誰かしら女性の視線が大佐に向いていた。あれをモテると言わずして何をモテるというのだ。そうオレは言ったが大佐は手の中のグラスを見つめたきり何も言わない。何か拙いことでも言ってしまったろうかと心配になりだした頃、大佐が漸く口を開いて言った。
「それは彼女たちが私の事を知らないからだ。私が誰かを知ればみんな私から目を背けるさ」
「はあ?なんで?大佐、カッコいいのに」
 男のオレの目から見ても大佐はイイ男だと思う。女の子からみれば尚更だろう。納得がいかないという顔をするオレを大佐の黒い瞳が見つめてくる。その瞳に浮かぶ傷ついたような色合いにオレがドキリとした時、大佐が言った。
「私に触れられると燃やされるんじゃないかと心配になるそうだよ」
「え?」
「焔を生み出すこの指が触れたその場所から燃えてしまうんじゃないかと、怖くてたまらないそうだ」
 大佐はそう言ってオレに手を差し出して見せる。大佐の指は長く綺麗で、そのヒヤリとした感触を思い出したオレはムッと唇を歪めて言った。
「なんスか、それ。馬鹿じゃねぇの?」
 いくら大佐が焔を操る錬金術師だとして、触れただけで燃える訳ないじゃないか。
「そんなの、大佐にフラれた馬鹿な女が言った事っしょ?」
「結婚してもいいと思った女性だったんだが」
 フラれたのは私の方だと大佐が笑う。その後も似たり寄ったりだと苦笑いする大佐の声を聞いた瞬間、オレは手にしたグラスをカウンターに叩きつけるように置いていた。
「馬鹿じゃねぇの、その女の子たち」
「ハボック?」
 燃やされるかもって、そんな事思うなんてどうかしている。大佐のあの焔は人を傷つける為のものなんかじゃない。
「でも、ハボック。私は先の戦争の中であの焔を使った。あの焔で大勢の敵兵を焼き殺したんだ」
「でもっ!そうしなかったらアンタの後ろにいた大勢の兵士が死んでた。戦争なんだ、アンタの焔は部下の兵士達を守った。その裏で敵兵を斃したとしてもそれは責められることじゃないでしょう」
 一度だけ見た大佐の焔は美しかった。あんな綺麗なものが人を殺すためのものであるわけがない。少なくとも大佐が望んでそんな使い方をするはずがない。そんな事も判らずに馬鹿な事を言う女の子達の為に大佐が傷つく必要なんてないんだ。オレは大佐を傷つけた見も知らぬ女の子達に猛烈に腹が立ってゴクゴクとグラスを呷る。「おかわり」と言って出されたグラスも一気に飲み干して更にもう一杯注文しようとすれば、大佐がグラスを突き出すオレの手をやんわりと握った。
「そんな飲み方をするもんじゃない。悪酔いするぞ」
「……大佐」
 そう言われてオレはここがいつも来ているような安酒場じゃないことを思い出す。こんな風にグラスを呷るなんてと慌てて口元を押さえるオレに大佐がクスリと笑った。
「ありがとう、ハボック」
「え?」
 不意に礼を言われてオレは意味が判らずに大佐を見る。その途端強い黒曜石の視線に絡め取られたように目を外せなくなった。
「……あ」
 息を吸いたいのに肺に上手く空気が入ってこない。まるであの爆弾事件の時のように周りの空気が薄くなったような気がしてクラクラと目眩がし始めた時、大佐がツと視線を外した。その途端空気がどっと肺の中に入り込んでくる。
「もうこんな時間か。そろそろ行こう、ハボック」
 懐中時計を見てそう言う大佐の声を、オレは半ばカウンターにもたれ掛かるようにしてぼんやりと聞いていたのだった。


→ 第十二章
第十章 ←