オブシディアンの虜囚  第三章


「解散!」
 演習の終わりを告げる声が響けばその場にホッとしたような空気が流れる。片づけを終え、軍曹と今日の演習の内容を話しながら歩いていたハボックは、背後から呼び止める声に足を止めた。
「ネルソン中尉」
 振り向けば茶色い髪を短く刈り込んだ筋骨逞しい男が立っている。ハボックより頭半分背の高い男はゆっくりと二人に近づいてきた。
「どうだ?うちの連中は」
 実質的に今回の演習の北方司令部側を束ねている男はそう尋ねる。一応尋ねてはいるものの、一つの答えしか期待していない自信に満ちた顔を見て、ハボックは言った。
「統率がとれてるっスね。個々の技量も申し分ない」
 そう言って、ハボックはニッと笑う。
「でもまあ、うちの方がちょっと上っスかね」
「言うじゃないか」
 ハボックの言葉に楽しそうに笑うネルソンとハボック達は並んで歩きだした。
「まだ始まったばかりだからな。俺たちの真価が判るのはこれからだよ」
「楽しみにしてるっス」
 そう言えばネルソンが軽く頷く。演習場を抜け司令部の建物の中に入りながらネルソンが言った。
「ところで今夜、仕事終わったら何か用事があるのか?」
「いえ、特にないっスけど」
 今回演習に参加している北方司令部の面々とは、最終日に打ち上げも兼ねて宴会を予定しているが、演習が終わるまでは体調を整えて過度な飲み食いは自粛というのが通例だ。ハボックも仕事が済めばまっすぐ家に帰るつもりだった。
「一緒にメシでもどうだ?どこか安くて旨い店があったら教えて欲しいんだが」
 こっちは不慣れでと言うネルソンに、ハボックは少し考えてえから言った。
「いいっスよ。まだ明日もあるから軽く食べるくらいなら」
「なんだ、真面目だな」
 フンと鼻を鳴らして言う男にハボックがムッと眉を寄せる。ネルソンはそんなハボックの背をバンバンと叩くと「それじゃあ、後で」と北方司令部の為に割り当てられたロッカールームへと行ってしまった。
「なんだ、アイツ」
 演習は始まったばかりなのだ。自分のしていることは至極当然と思いながらハボックがそう呟けば、二人のやりとりを聞いていた軍曹が言った。
「ネルソン中尉には気をつけた方がいいですよ、隊長」
「えっ?」
 突然そんな事を言い出す軍曹を、ハボックは驚いて見下ろす。ハボックよりずっと年嵩の軍曹は若い上官を見上げて言った。
「軍人としての腕は優秀ですが、身持ちが悪いというかセックスにだらしがないというか、男女構わず見境がないなんて噂が多々ある男らしいですから」
 軍曹は見下ろしてくる綺麗な空色を見て、ため息混じりに続ける。
「隊長はそう言うとこのんびりしてるから。気がついたら押し倒されてたなんて事にならんようにしてくださいね」
「な……っ、んな事になるわけねぇだろッ」
 とんでもない事を言われて顔を赤らめて言い返したハボックは、ドカドカと駆け抜けるように廊下を歩きロッカールームに飛び込んだ。
「まったくもうっ、なに言い出すんだよッ」
 ハボックはブツブツと文句を言いながら服を脱ぎ捨て、シャワールームに入っていったのだった。

「旨いな、このチキンのトマト煮込み」
ネルソンはチキンを口に運びながら言う。ビールを飲みながら大きな口で次々と料理を平らげていく様子は、なかなかに気持ちよかった。
「気に入って貰ってよかったっス」
 ハボックはサラダをワシャワシャと食べながら言う。さっと茹でた豚肉のスライスを載せたサラダはボリュームもあり、訓練で腹ぺこなのも相まってとても美味しく感じられた。
「ところで、おたくんとこの上司、マスタング大佐だっけ?今、いないのか?」
 突然ロイの名前を出されてハボックはドキリとする。ビールのジョッキを手に取り、表情を隠すようにして答えた。
「この合同演習が始まる直前からセントラルに出張中っス」
「なんだ、焔の錬金術師どのに会えるの、楽しみにしてたのに」
 ネルソンは残念そうにため息をつく。ハボックが話を逸らそうと適当な事を口にしようとする前に、ネルソンが言った。
「で、マスタング大佐ってのはどういう人なんだ?うちの女王様は随分な事言ってたけど」
「どういうって……」
 聞かれてハボックの脳裏にロイの姿が浮かぶ。そうすれば胸がツキンと痛くなって、ハボックは押し黙った。
「少尉?」
 訝しげに名を呼ばれてハボックは慌てて笑顔を取り繕う。話したくないと思いながらもハボックは聞かれるままロイの事を話してきかせた。


 ネルソンとの食事を終えてハボックはアパートに帰ってくる。心の苛立ちのままにバンッと乱暴に閉じた扉に寄りかかって、ハボックはため息をついた。
「考えないようにしてたのに」
 ロイの事を考えればその不在がより強く、より淋しく感じられるのが判りきっていた。だからハボックは意識して演習に没頭し、ロイのことを頭から閉め出していたのだ。それなのに。
「大佐の事なんて聞くなよ……」
 ハボックはため息混じりにそう呟いてのろのろと中に入っていく。上着を脱ぎ捨てドサリとソファーに腰を下ろし、手の中に顔を埋めた。
「大佐……なにしてんのかなぁ……」
 まだ仕事に追われているのだろうか、それともヒューズと一緒に楽しく飲んでいるのだろうか。
「くそっ」
 ハボックはバンとソファーの座面を叩いて立ち上がる。洗面所に飛び込むと服を脱ぎ捨てその奥の浴室へと入った。シャワーを捻りザアザアと降り注ぐ雫の下に立つ。頭からシャワーを浴びて、ハボックはハアとため息をついた。
「大佐……」
 ロイの事を思うと躯の芯が熱くなってくる。考えてみればロイとつき合うようになってからと言うもの二日と開けずに夜を一緒に過ごしてきたのだ。若い躯は急速に熱を帯びてハボックは熱い吐息を零して壁に背を預けた。
『精々オナニーにしておけ』
 そう言ってからかうように笑ったロイの顔が浮かぶ。ハボックは目を閉じると半ば立ち上がった楔に指を絡めた。
「ん……っ」
 シャワーの雫を浴びながらゆっくりと扱き始める。徐々にスピードを速めればハボックの唇から零れる吐息が温度を上げた。
「あ……ふ……たいさァ……」
 クチュクチュと扱きながらハボックはロイを呼ぶ。脳裏に浮かんだ黒曜石にじっと見つめていられるように感じれば手の中の楔が嵩を増した。
「ん……ん……っ、イくっ、……大、さッ」
 喉を仰け反らせて来るべき瞬間を待つ。だが。
「……なんで?」
 後少しでイけそうなのにその瞬間がやってこない。イけそうでイけないもどかしさにハボックはムキになって扱く手を速めた。
「……ダメだ…っ」
 呻くように言ってハボックは手を離す。
「酔ってるから……?でもそんなに飲んでないのに」
 もっと酔ってる時だって恥ずかしい程に乱れもするのに。
 壁に寄りかかったままハアハアと肩で息をしていたハボックは、シャワーを止めると濡れた躯のまま浴室を飛び出し、熱のこもる躯を抱き締めてベッドに潜り込んだのだった。


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