オブシディアンの虜囚  第二章


「ハボック、コーヒーをくれ」
「あ、はいっ」
 ガタンと立ち上がって答えるハボックに頷いて、ロイは執務室に引っ込む。ハボックは急いで給湯室に行きコーヒーを淹れると、トレイに載せて戻ってきた。
「失礼します」
 コンコンとノックをしてハボックは執務室の中に入る。扉を閉め机に近づくと広げられた書類の隙間にカップを置いた。
「どうぞ」
「ああ」
 ロイは書類を書いていた手を止めるとカップに手を伸ばしコーヒーを啜る。一口飲んでハボックを見上げると、ロイは言った。
「急な話だが今夜からセントラルに出張に行くことになった」
「えっ?セントラルに?随分急っスね」
「ヒューズの馬鹿のせいだ」
 セントラルの友人に向けてブツブツと文句を言うロイにハボックが言った。
「じゃあ、オレも急いで用意を───」
「なにを言っている。お前は北の連中との合同演習があるだろうが」
「あ」
 護衛官として同行するものだとばかり思っていたハボックは、ロイにそう言われて目を瞠る。完璧に失念していたらしいハボックにロイが苦笑した。
「おい、そんな調子で大丈夫か?北に遅れをとるようでは困るぞ」
「それは平気っスけど!……じゃあ護衛は」
「今回は中尉を連れていく」
 美しい上官の名を出されて、がっかりと肩を落として俯くハボックにロイが目を細める。
「なんだ、ヤキモチか?」
 そう尋ねられてハボックがハッと顔を上げれば、面白がる光をたたえた黒曜石と目があった。
「そういう訳じゃねぇっスけど……。えと、どんくらい行くんスか?」
「そうだな、一週間か十日か……」
「そんなにっ?」
 精々三、四日の話と思っていれば、返ってきた答えにハボックは目を瞠る。ショックを隠しきれない空色の瞳を見て、ロイはクッと笑った。
「おいで、ハボック」
 呼ばれてハボックは机を回りロイに近づく。ロイはハボックの手を引くと、椅子に座る己の膝の上にハボックを腰掛けさせた。
「淋しいか?」
「ッ」
 意地の悪い笑みを浮かべてそう尋ねられ、ハボックは唇を噛む。素直に淋しいとは言えずに俯けば、ロイが耳に舌を這わせてきた。
「たいさっ」
 ギョッとして逃げようとするハボックを抱き締めてロイは這わせた舌を耳に潜り込ませる。くちゅくちゅと濡れた音が耳に響いてハボックはビクビクと震えた。
「やっ、ヤダ、大佐っ」
「いくら淋しくても浮気はするなよ」
「しませんッ!だから離し……ッ?ひゃっ?!」
 やんわりと股間を握られてハボックは上げかけた悲鳴を飲み込む。咄嗟にロイの手首を掴めば、黒曜石の瞳が間近から覗き込んできた。
「精々オナニーにしておけ」
「大佐ッ」
 女性好みの端正な顔立ちでそんな事を口にするロイに、ハボックは顔を真っ赤に染める。唇が触れ合わんばかりに顔を寄せて、ロイが尚も何か言おうとした時、コンコンと執務室の扉が音を立てた。
「大佐、ホークアイです」
 扉越しに聞こえた声にロイの腕から力が抜ける。開いた扉から入ってきたホークアイと入れ違いに、ハボックは逃げ出すように執務室から飛び出した。


「もうッ!信じらんねぇッ!」
 執務室から飛び出したハボックは、司令室の大部屋も駆け抜けドスドスと足音も荒く廊下を足早に歩く。ロイとのやりとりと思い出せば思わず意味もなく叫び出しそうになり、ハボックは頭をブンブンと振った。
「でも……一週間もいないんだ」
 改めてそう思えばやはり淋しくなってくる。自分がため息を零していることに気づいて、ハボックは両手で己の頬をパンパンと叩いた。
「なに言ってんだ。合同演習して毎日クタクタになってたら一週間なんてあっという間だろ!」
 ハボックは自分に言い聞かせるように言うと、演習の詳細を確認するため、小隊の詰め所へと向かった。


「え?もう行っちゃったの?大佐。夕方からじゃなかったっけ?」
 詰め所へと行った足でそのまま外回りの仕事へと出ていたハボックは、午後も半ばを過ぎた頃司令室へと戻ってきた。執務室に入ろうとすれば、フュリーにロイは出張に出たと言われハボックは目を吊り上げて振り向く。
「仕事のキリがついたからって出かけられました。早く行けば向こうで休む時間も取れるからと仰って」
「……そっか」
 確かに夕方から出れば列車の中で仮眠し、そのまま中央司令部で仕事という流れになるだろう。たとえほんの数時間でもホテルで休めるのであればそれに越したことはなかった。
(顔、見たかったのに)
 別にこれきりというわけではないが、やはり出掛けに顔を見られなかったのは淋しくてハボックはそっとため息をつく。自席に腰を下ろして執務室の扉を見遣ったハボックは、書類を引っ張り出すとガリガリと乱暴に書き込んでいった。


「じゃあ、また明日」
「お疲れさまです」
 上司二人が不在とあって、終業時間になれば皆早々に引き上げていく。ハボックも広げていた書類を集めて抽斗に放り込むと上着を手に立ち上がった。
「おう、ハボ。メシでも食っていかないか?」
 そんなハボックに同じように立ち上がったブレダが言う。ハボックはちょっと考えてから申し訳なさそうな笑みを浮かべて答えた。
「わりぃ、今日は帰るわ」
「そうか?じゃあ小隊の連中でも誘うかな」
 ハボックの返事にブレダはさして気にもしない様子で言うと、じゃあなと片手を上げて司令室から出ていった。
「……帰るか」
 執務室の扉を見ながらそう呟いて、ハボックは家路についた。


 途中、簡単に腹をふさいでハボックはアパートに帰る。シャワーを浴びて一日の汚れを落とすと、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターのボトルを手に小さなソファーにドサリと腰を下ろした。
「ふぅ……」
 一気に半分ほども飲み干してハボックは息を吐き出す。ぼんやりと天井を見上げれば、頭に浮かぶのはロイの事だった。
「今、どの辺りだろう……」
 列車の揺れに身を任せながら何を考えているのか。少しは自分のことを考えてくれているだろうか。そんな事を考えたハボックは、自分がひどく女々しくなったような気がしてふるふると首を振った。
「もう寝よう」
 そうすればロイが帰ってくる日も一日近づく。ハボックはそう思ってボトルをテーブルに置くと、早々に寝室のベッドに潜り込んだのだった。


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