雀に思いがけず気持ちを伝えてしまった私だったが、その後、急に仕事が立て込んで雀の元へいけない日々が続いていた。
「まったく……なんだってこんなに忙しいんだ」
「今までのツケが回ってきたんじゃないですか?」
思わずぼやけば李紗から容赦ない言葉が返ってくる。流石に言葉に詰まる私の机の上に、李紗はドサリと書類を積み上げた。
「仕事もせずにダラダラしてると、彼に嫌われてしまうかもしれませんね」
「李紗……」
更に追い打ちをかけるように言われれば情けなく眉を下げるしかない。李紗は手にした書類から数枚引き出して私の前に置いて言った。
「明日から三日ほど出張に行っていただきます」
「出張っ?三日もっ?」
「……のんびり一週間かけてきてくださっても構いませんが?」
正直出張なんてごめん被りたかったが、ここで強硬手段に出て李紗の不興を買うのは得策ではない。
「超特急で行ってくるよ」
探偵業などやめてしまおうかと、私は李紗に答えながら半ば本気で思った。
雀に会いたい気持ちは日に日に強くなったが、不思議と私の中に焦りはなかった。そうと決めての告白ではなかったものの雀に私の気持ちを伝える事が出来たのと、恐らくは雀も同じ気持ちを持っていてくれていると思える事が、雀に会えない日々をかえってウキウキと期待させるものに変えていっているように思えた。
『期待、してくれて、いいっス』
紅い顔でそう呟いた雀。柔らかく触れた唇の感触と共にその時の雀の表情と声音を思い出せば、胸の内が熱くなる。
「すぐ……すぐ会いにいくから」
だからその時には答えを聞かせて欲しい。
私はただそれだけを願って、仕事に打ち込んでいたのだった。
積もりに積もった仕事を片づけて漸く事務所に戻れば来客があるという。何とかひと段落つきそうだというのにこれ以上仕事を抱える気にはなれず、なんと言って断ろうと考えながら扉を開いた所長室のソファーに座っていたのは、何年ぶりかに会う親友の彪守だった。
「よお、絽音」
「彪守!お前、いつの間に戻ってきたんだ?」
相変わらずとぼけた表情でソファーにふんぞり返る彪守に私は尋ねる。彪守はニヤリと笑うとボリボリと頭を掻きながら言った。
「半月ほど前かな」
そう答える彪守に私は眉を寄せた。
「そんなに前に?どうして連絡を寄越さなかったんだ」
「ちょっと人探しをしていたんでな」
「人探し?」
彪守の向かいに腰を下ろしながら私は言う。
「そんなの、ここに話を持ってくればすぐ探し出してやったのに」
探偵業に人探しは付き物だ。そう言えば彪守が苦笑して言った。
「人探しなんてくだらない依頼を持ち込むなって散々愚痴ってたどこのどいつだ」
「お前の依頼なら特別価格で受けてやるよ」
私の言葉に彪守は僅かに目を細める。
「他の事なら頼むがな、これだけは自分でやらないわけにはいかなかった」
そう言う彪守はこいつには似つかわしくない思い詰めた表情で、私は思わず眉を顰めた。
「彪守?」
問いかけるように名を呼べば、彪守がハッとして私を見る。一瞬食い入るように私を見つめたが、次の瞬間ニッと笑って言った。
「こんなところで話すより飲みに行かないか?もう仕事も終わったんだろう?」
「そうだな」
本音を言えば、李紗に小言を言われないよう今夜中に仕事にけりをつけたら、明日はすっきりして雀のところへ行きたい。だが、久しぶりに会った彪守の様子を見れば、無碍に断るわけにはいかなかった。
「あと一つ二つ電話をかけたら終わる。ちょっと待っててくれ」
「ああ。別に急がなくていいぞ。李紗ちゃんに怒られないよう、しっかりやれ」
「……一言多いんだよ、お前は」
彪守の言葉に私はジロリと視線を投げて、ソファーから立ち上がると残りの仕事を片づけようと机の方へ移った。
「待たせたな」
「もういいのか?」
尋ねる言葉に頷いて、私は彪守を促す。まだ残っている部下たちが労いの声をかけてくる中、私は彪守と連れだって事務所を後にした。
「日本はまだまだ暑いな」
「向こうは暑くないのか?」
「湿度が低いからな。ずっと過ごしやすいよ」
並んで歩きながら彪守が言う。私は事務所からほど近い飲み屋に彪守を連れていった。
「西洋風のバーもあるがな。久しぶりだからこういう方がいいだろう?」
「そうだな」
私が言えば彪守が頷く。私たちは暖簾をくぐって中へはいると一番奥の席に陣取った。
「麦酒をくれ」
暑い盛り、やはり最初はこれだろうと寄ってきた店員に言う。すぐに出てきたジョッキを合わせて彪守の帰国を祝った。
彪守は学生時代からの古い友人だ。一癖もふた癖もある友人達の中でコイツは特に曲者だった。人懐こい笑顔と持ち前の明るさですぐその場に馴染む一方、本音はなかなか見せない。最初は随分ぶつかりもしたが、それでもいつしか親友と呼べる位置まで互いの立場を持ち上げることが出来たのは、私もまた彪守と同じ側の人間だったからだ。学校を卒業し、私は一時警察に席をおいていたが反りが合わないと退職し探偵事務所を開いた。一方彪守はと言えば持ち前の人当たりの良さと如才なさで貿易の仕事を始めた。思っていた以上に向いていたようで、順調に事業を拡大した彪守は五年ほど前から仏蘭西を拠点としていたのだった。
「それで?今回は仕事で一時帰国したのか?」
意外と仏蘭西の水があったらしい彪守は、時折寄越す手紙の中で仏蘭西に永住するのもいいかもしれないなどと言っていた。その言葉通り盆も正月も全く日本に帰ってくる気配を見せなかったから、今回の帰国も仕事でやむなく戻ってきたのだろうと思ったのだ。だが、彪守は案に反して首を振った。
「いや、もう向こうには戻らない」
「そうなのか?もう五年も戻って来ないかてっきり向こうでいい女性でも見つけたのかと思っていたぞ」
「そういうお前はどうなんだ?まだ結婚しないのか?」
反対にそう尋ねられて頭の中に雀の顔が浮かぶ。私は笑みを浮かべて彪守の顔を見つめて答えた。
「まだはっきり返事を貰った訳じゃないんだが……一生側にいて欲しいと思う相手はいるよ」
そう告げれば常盤色の瞳が食い入るように私を見る。そのあまりの苛烈さに私が何か言おうとする前に、彪守はクッといつもの笑みを浮かべて言った。
「へぇ、誰もオトす事が出来なかったお前がそんな事を言うなんてな。どんな相手なんだ?」
「まあ、ちゃんと返事を貰ったら紹介するよ。もう向こうには帰らないんだろう?」
日本にいるというなら焦って紹介する事もあるまい。そう思って言えば彪守が『まあな』と呟く。その表情といいさっきの目つきといい、何故だか違和感を覚えて、私は尋ねるように彪守を呼んだ。
「彪守?」
そうすれば彪守が私をじっと見つめる。コイツには似つかわしくない昏い光をたたえた瞳に私は俄に不安になった。
「おい、彪守、お前───」
「絽音」
言いかけた私の言葉を彪守が遮る。『なんだ?』と彪守を見つめれば、彪守は少ししてから口を開いた。
「向こうで……仏蘭西でやっと俺は見つけたんだ」
「見つけた?好きな相手を、か?」
話の流れから彪守が言いたいのはそう言うことだろうと聞き返す。彪守はうっすらと笑って答えた。
「ああ……向こうでは随分色んな女性と出会ったよ。結婚を前提につきあった相手もいた。だがやっぱり日本人と西洋人とじゃ考え方も価値観も違う。結局うまく行かなくなって別れたり……。もう仏蘭西で一生を一緒に過ごしたいと思う相手に出会うのは無理だろうと思ってた。まあ、別になにが何でも結婚したいと思ってた訳じゃないしな。仕事は楽しかったし、その折々でいいと思った相手と楽しくやれればいいと思ってたんだ」
彪守はそう言って一度言葉を切る。それからゆっくりと口を開いて言った。
「そんな時だったんだ、アイツと出会ったのは。アイツと会って俺は初めて、自分の中にこれほどまでに誰かを欲する気持ちがあるって事に気づいた。周りをどれだけ傷つけて壊しても、アイツだけが俺の側にいればいい。どんな事をしてもアイツを手に入れたい、自分だけのものにしたい、そんな気持ちが俺の中にあったんだよ、絽音」
「彪守……」
常盤色の瞳にこれまで見たこともないような昏く狂おしい光を宿して、彪守は静かに仏蘭西での出来事を話し出した。 |