凌霄花(のうぜんかずら)の宿  第五章


「たった一晩で解決しちゃうなんて流石所長ですね!」
 翌日事務所で事件の経緯を説明すれば、風梨井(フュリー)が感心したように言う。私はそれに肩を竦めて答えると、李紗(リザ)には報告書に纏めると言って所長室に入って扉を閉めた。椅子に座って窓越しに晴れ渡る空を見上げる。そうすれば昨夜出会った青年の顔が脳裏に浮かんだ。
 調査の結果を報告しにいった私は、商店主達に幽霊はいなかったと告げたものの、では一体なんだったんだと説明する段になって説明に困り、苦し紛れに乞食が一人住みついていたと言ってしまっていた。


『乞食ですか?』
『ああ、彼の髪を月明かりの中幽霊と見間違えたんだろう。人は思い込むとそうとしか見えなくなってしまうものだからな』
 にっこりと笑ってそう言えば書店の主はホッとしたような顔をした。だが、次の瞬間目を吊り上げて『追い出さなければ』と言い出すのを聞いて私は焦ってしまった。
『そんなところに乞食に住みつかれたのでは気持ちが悪いし、店のものに手を着けられたりしたら困りますから』
 男がそう言って他の連中と相談すると言うのを、私が面倒を見るからと言う条件で彼の身の振り方が決まるまで住むのを赦して欲しいと半ば強引に話を決めてしまった。男は多少難色を示したものの、何かあれば私が全面的に責任をとると約束したのと、とりあえず幽霊ではないと判ったことで当初の問題が片づいたというので了承してくれた。


(ジャン)……」
 昨夜知った青年の名を口にしてみる。彼は一体どこの誰でどうしてあそこにいるのだろう。
『もしあの人にみつかったら』
 (ジャン)は怯えたようにそう言っていた。『あの人』とは誰の事だろう、(ジャン)はその相手から逃げて身を隠しているのだろうか。
「……今夜行けば少しは判るか」
 半ば強引に取り付けた約束。少なくとも(ジャン)は来るなとは言わなかった。それならば自分の良いように解釈するしかない。
「……(ジャン)
 私はそう彼の名を呟くと、ペンを手に取り報告書を纏めていった。


 仕事を終えると私は当座必要なものとして食料と幾つかの食器、ランプと数枚の着物や下着の他、布団を一組自転車に括りつけて家を出る。荷物が走っているのかというような自転車に行き交う人々がギョッとして道をあける中、私は(ジャン)がいる屋敷に向かって自転車を走らせた。竹林の中は自転車を降りて押して歩いたものの道が細く何度も荷物が引っかかり四苦八苦したが、なんとか屋敷にたどり着く。昨夜と同じように板を打ちつけてあると見せかけた扉を開け門の中へと入った。茫々と雑草が生えた庭を横切り引き戸を開け、暗く沈む屋敷の中に声をかける。
(ジャン)増田(マスタング)だ。食料やらなにやら持ってきた。入るぞ」
 大声でそう言ったが返る答えはなかった。もしかしてどこかへ行ってしまったのだろうか。俄に不安になって、私は自転車のスタンドを立てると荷物をそのままに中へと入っていく。昏い屋敷の中をきょろきょろと見回しながら歩き回った私は、昨夜と同じように二階に続く階段を上がった。
(ジャン)
 二階の、大きく開いた窓辺に(ジャン)は佇んでいた。月の光を浴びて光る金色の髪を見つけて私はホッと息を吐く。私の声は聞こえているだろうに振り向きもしない(ジャン)に近づきながら私は言った。
(ジャン)、食べ物を持ってきたぞ。腹がすいたろう?」
 そう言って漸く(ジャン)が振り向く。私の姿を見て微かに驚いたように(ジャン)は言った。
「ホントに来たんスか?」
「そう約束しただろう?」
 半ば強引ではあったが私は確かに「来る」と言ったのだ。そう言えば(ジャン)は視線を落として言った。
「来ないと思ってたっス」
「どうして?」
「だって依頼は幽霊の調査だって言ってたし、来るなら商店の人かなって」
 追い出される事を覚悟していたのだろう、そう言う(ジャン)に私は笑って見せた。
「暫くはお前がここにいるのを目を瞑ってくれる事になったよ」
「え?」
 私の言葉に(ジャン)が驚いたように目を見開く。
「だから心配しなくていい。とりあえず荷物を運ぶが……そういや下駄のまま入ってきてしまったな」
 もう何年も放置されている様子の屋敷に、流石に履き物を脱ぐ気になれず畳敷きであるにも関わらず玄関で下駄を脱いでこなかった。私は申し訳なさそうに下駄を脱いで言った。
「ざっと掃除した方がいいな。道具はあるかな」
「さあ、探したこと、ないから」
 そう答える(ジャン)に、私は下に降りると荷物の中からランプを取り出す。灯を点けてそれを手に物入れの中を探せばボロい箒を見つけた。
「箒があったぞ」
「あ、ランプ」
 見つけた箒を手に二階に上がれば、箒よりもランプの焔に(ジャン)は目を輝かせる。昼はともかく夜になれば月明かり以外明かりのない屋敷の中で息を潜めていた(ジャン)にとって、ランプの灯りは酷く嬉しい物に違いなかった。ランプを渡せば(ジャン)は目を細めてガラスの中で燃える焔を見つめる。箒を動かして掃いた床は思ったより埃が積もってはおらず、これならさほど必死になって掃除をしなくても良さそうだった。
「すんません、オレがやるっス」
 少しして(ジャン)がランプを部屋の中央に置いて私の手から箒をとる。私は(ジャン)に掃除を任せると玄関に起きっぱなしにしていた荷物を取りにいった。
「そんなもんまで持ってきたんスか?」
 細い階段を上がって布団を持ち込めば(ジャン)が目を丸くして言う。私は掃除が済んだ部屋の片隅に布団を置いて答えた。
「暑いとはいえ畳の上に直に寝たのでは体が休まらないだろう?着替えも持ってきたぞ」
 そう言って次々と荷物を運び込む私に(ジャン)は戸惑うように尋ねてくる。
「どうして?アンタがここまでする義理、ないっしょ?」
 確かに(ジャン)の言うことももっともで、私自身どうしてこうまでしたいと思うのか判らない。だが(ジャン)に尋ねられて、私はこうして住む場所を整えれば(ジャン)はここにいるだろうという漠然とした考えが私の中にあることに気づいた。
「商店主達に約束したからな。ここにお前をおく代わりに私が面倒をみると」
 私は自分の中の考えは口にせずそう答える。すると(ジャン)はすまなそうに身を縮めて言った。
「すんません、本当にオレがここにいられるよう話をつけてくれたんスね」
 迷惑をかけたと恐縮する(ジャン)に私は笑って答えた。
「好きでやったことだ、気にするな。それより腹が減ってるんじゃないか?飯にしよう」
 言って胡座をかいて腰を下ろし、(ジャン)を促す。(ジャン)は少し迷ったもののランプの側に正座して私を見た。
「そんな座り方、すぐ脚がつらくなるぞ」
「でも……」
「別に気を使う必要はないんだぞ」
 きちんと座ってないと失礼だとでも思っているのだろうか、そう思って言ったが(ジャン)はこれでいいと言って足を崩そうとはしなかった。私もそれ以上は言わずに持ってきた握り飯や芋の煮たのや青菜の浸し物を広げる。
「どうぞ」
 と勧めれば(ジャン)はおずおずと手を伸ばしてきた。
「……旨いっス」
 焼き鮭のほぐし身を入れた握り飯を頬張って(ジャン)が笑う。子供のように手や頬に米粒をくっつけて夢中で頬張る姿に、思わず笑みが零れた。
増田(マスタング)さんが作ったんスか?」
 あっと言う間に三つも握り飯を平らげて、今度はゆっくり味わうように芋や卵を口に運びながら(ジャン)が言う。私は手にした握り飯を眺めて苦笑しながら言った。
「残念ながら料理の腕はからきしでね。通いの家政婦に作って貰ったんだ」
「家政婦さん?」
「独り者なんで、放っておくと家の中が大変な事になるからな」
 そう言えば(ジャン)は意外そうに私を見る。暫くの間互いになにも言わずに飯を口に運んでいたが、一息ついたところで私は(ジャン)に尋ねた。
「幾つか聞きたい事があるんだが、聞いてもいいか?勿論答えたくないことは答えなくていいから」
 逃げ道を残した上でそう口にする。不安げではあったがじっと見つめてくる(ジャン)に私は言葉を続けた。
「その(なり)からして生粋の日本人じゃないんだろう?日本語が上手いがどこの出だ?」
「仏蘭西っス。日本語は日本人だった祖母から習ったんス」
 道理で日本語が上手いわけだと納得する。私はまずは無難な質問を選んで尋ねた。
「年は?(ジャン)と言うのは本名なのか?」
「今年で十八歳っスよ。(ジャン)っていうのは祖母がつけてくれたんです」
「なるほど」
 故郷を懐かしんで孫にそんな名をつけたのだろうか。日本のどこにでもいる可愛らしい鳥の名は意外にも彼にしっくりと馴染んでいて、この名を彼に与えたという女性というのはどんな人なのだろうと思った。
「いい名前だな」
 思ったことを素直に口にすれば(ジャン)が顔を赤らめる。そんな表情の変化にクスリと笑った私は、今一番聞きたいことを口にするため顔を引き締めた。
「それで……どうしてここに?」
 打ち捨てられた古い屋敷に息を潜めて隠れ住んでいるのは何故か。一番知りたいことではあったが(ジャン)にしてみれば一番答えたくない質問でもあるだろう。暫くの間何も言わない(ジャン)が『答えたくない』と言うのだろうと思い始めた頃になって、ぽつりと返事が返ってきた。
「あの人の……側に居たくなくて……」
「あの人?あの人いうのは誰だ?」
 外に食事に行こうと言ったときにも(ジャン)が口にした『あの人』。側に居られず逃げ出すほどの相手とはどこの誰なのだろう。即座に問い返した私に、だが(ジャン)は首を振って答えなかった。
「ごめんなさい……っ」
 (ジャン)は脚の上で拳を握り締めて吐き出すように言う。今ここで問い詰めるのは得策ではないと察して、私は答えた。
「構わない。答えたくなければ答えなくていいと言ったのは私だ」
 (ジャン)とはまだ会ったばかりだ。時間がたてば話してくれる事もあるだろう。
「詳しい事情は判らんが、暫くはここにいるといい。色々持ってきた事だしな」
 そう言ってニヤリと笑って見せれば、ホッと息を吐いた(ジャン)が泣きだしそうに顔を歪めた。


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