| 事務所での仕事を少し早めに切り上げて、私は弥生町に向かう。昨日の屋敷を調べる前に、依頼主である商店主達に話を聞こうと思ったのだ。商店街につけばそろそろ夕方になるという通りには、人影はまばらだった。 「確かに人が少ないな」 この時分であれば、夕飯の買い物客やこれから飲みに出かけようかという人で通りは賑わっている筈だ。だが、商品が並べられた店には客は殆どなく、わずかな客達も一刻も早く買い物を済ませてしまおうと思っているのがありありと判った。 「ちょっとすみませんが」 と、私は買い物の品物を包んだ風呂敷を抱えた女性に声をかける。彼女は迷惑そうに振り向いたが、声をかけたのが私だと判ると顔を赤らめて笑みを浮かべた。 「はい、何か?」 「この商店街はなんだか人が少ないですね。商品も豊富なようなのに、この辺りの人はここで買い物をしないのですか?」 そう尋ねる私に女性は周りを伺うようにチラチラと視線を投げかける。それから私に顔を寄せると囁くような声で言った。 「それですけど、実はすぐそこの竹林に幽霊が住み着いてるっていう噂なんです」 「幽霊が?」 思わずといった風に声を張り上げれば女性が慌てて人差し指をたてて「シーッ」と言う。まるで大きな声で話せば幽霊を呼び寄せてしまうと怯えるかのように、彼女は益々小さな声で言った。 「金色に燃える幽霊なんです。夜になったら竹林からこっちにも出てくるかもって、今じゃ夜の間この辺りを歩く人はいません」 「そうなんですか」 「貴方も早く帰った方がいいですよ?幽霊に会ったら怨みの焔で燃やされてしまいますから」 女性はそう言うと、そそくさと立ち去ってしまう。彼女の姿が見えなくなって改めて辺りを見回せば、黄昏に包まれ始めた通りには人の姿は全くないと言っていいほどだった。 「確かにこれでは商売あがったりだな」 空しく灯る飲み屋の提灯やカフェの灯りが寂しく照らす通りを見て私はため息をつく。とりあえずと一番近くの洋食屋の扉を押して中へと入れば、店のテーブルを拭いていた女給が驚いたように振り向いた。 「こんばんは。食事、できるかな?」 「は、はいっ!どうぞお好きな席へ」 にっこりと笑って尋ねれば、若い女給はコクコクと頷く。店の中程、窓際のテーブルに腰を下ろせば女給が水の入ったグラスとメニューを持ってきた。 「どうぞ」 差し出されたメニューをめくりカレーライスを注文する。少しして熱々の湯気をあげる皿を持ってきた女給に、私は尋ねた。 「こんな時間なのにお客さん、来ないね。通りにも人が少ないし、どうしてだろう」 「お客さん、やっぱりご存じないんですね」 私の言葉に女給は眉を寄せる。 「この時間、来る人なんているはずないのにおかしいと思ったんです」 彼女はそう言って怯えたように窓の外へ目を向けた。 「あそこの竹林に幽霊が住み着いてるんです。私の友人のお兄さんが見たそうで、逃げ帰った後高熱出して三日も寝込んだんですよ。チラッと見ただけでそれですから、もうみんな怯えてしまって。もうどうせ今夜もお客さんは来ないでしょうから店を閉めようとしてたところだったんです」 「それは悪いことをしたね」 おや、という顔をして言えば女給が首を振る。 「いいえ。でも、それ食べたらお客さんも早く帰った方がいいですよ」 彼女はそう言うとトレイを手に奥へ引っ込んでしまった。きっと私が食べ終えたらすぐにも帰れるよう準備をしているのだろう。 「これほどとは思わなかったな」 私はスプーンを口に運びながら呟く。この感じだと夜は勿論、昼間でも客足は遠のいているように思えた。 「ごちそうさま」 早く帰りたいであろう女給の為にも私は急いで食事を済ませると金を払って店を出る。最早人っ子一人いない通りを、私は今回の依頼人の代表を務めるという書店の主を訪ねるために歩いていった。 「こんばんは」 私が着いた時もう店は閉まっていたが、私は構わず鍵のかかった扉をドンドンと叩いて声をかける。そうすれば暫くして店の中に灯りが灯ったと思うと、不安げな男の声が聞こえた。 「どちらさまで?」 「増田探偵事務所の者です。ご依頼の幽霊調査の件で伺ったのですが」 そう答えれば慌てて鍵をはずす音がする。ガチャリと開いた扉の向こうに挨拶する間もなく、私は店の中に引っ張り込まれた。 「探偵事務所の人?よかった、早速来てくれたんだね」 男はホッとした表情を浮かべて言う。扉に鍵を三つもかけると、私を奥へと案内した。 「日が暮れるとどうしても外に近い場所にいるのは不安でね」 男はそう言って私を畳敷きの部屋に通してくれる。勧められるままに腰を下ろせば細君と思しき女性がお茶を出してくれたのに礼を言って、私は正面に座る男を見た。 「幽霊がいるかいないか、はっきりさせて欲しいという依頼だったと思いますが、今通りを見てきた様子では皆、幽霊がいると信じている様子ですね。実際のところ、貴方もそうでしょう?」 泥棒よけにしたって鍵を三つもつけるなんて尋常じゃない。もっとも相手が幽霊なら鍵なんて役に立たないのではと思ったが、口にはしなかった。 「もう何人も幽霊の姿を見たって言う者がいますからね」 男はそう言って怯えたように扉の向こうへ目をやる。 「幽霊に会った後、具合の悪くなる者もいて今じゃみんな幽霊に怯えきってるんです。おかげで夜どころか昼間も客が殆ど来やしませんよ」 男はそう言って疲れきった様子でため息をついた。 「探偵さん、もしあそこに幽霊がいるとはっきりしたら何とか追い払ってもらえんだろうか」 「え?」 「増田探偵事務所の所長さんは退魔師のようなこともすると言うじゃないか。追加料金が必要なら払うから。このままじゃあたしら、首を括らなくちゃいかんようになってしまう」 どうやらこの男にうちの事務所を教えた相手は、事務所の裏事情に詳しい人間だったらしい。発火布は持ってこなかったなと頭の隅で考えながら私は答えた。 「そっちの件は幽霊がいると判った時点で改めてご相談に乗りましょう。今は本当に幽霊がいるのかいないのか、はっきりさせる方が先決です」 調べてみたらただの犬や猿だったなんて話はごまんとありますよ、とにっこり笑って言ってやれば、男は信じていないまでも頷いた。 その後、幽霊が出始めた時期やよく見られる場所、誰が見てどうしたら見たのかなど、詳しく聞いて私は立ち上がった。 「幽霊に会ったという連中と話をされますか?」 そう聞かれて私は首を傾げて考える。それから首を振って答えた。 「いや、先入観なしに調べてみたいのでね。また聞く機会もあるかもしれませんが、今夜は聞かずに行くことにします」 既に一度幽霊らしき姿を見たとは口にしないでおく。 「そうですか」 男はそう言って頷くと外へと向かう私の後をついてきた。 「どうぞお気をつけて」 そう言い終わらぬうちに男は扉を閉めてしまう。人っ子一人通らぬ道に暫くの間佇んでいた私は、やがてゆっくりと歩きだした。 「さあ、幽霊に会いにいくとしよう」 そう口にした私の胸の中には、幽霊への期待とともに金色に縁取られた彼の顔が浮かんでいたのだった。 |
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