「──長、所長っ」
呼ぶ声に私はハッとして顔を上げる。そうすれば武伶田が困ったような顔をして私を見ていた。
「この書類にサイン、欲しいんですけど」
「すまん、ボーッとしていた」
私は言い訳のように呟いて書類を受け取る。ろくに内容も確かめずサインを認める私を見下ろして、武伶田が言った。
「また彼の事を考えてたんですか?」
そう聞かれたがなにも答えずサインした書類を返す。そうすれば武伶田もそれ以上は聞かずに部屋を出ていった。
あの日、彪守に引きずられるようにして川に落ちた雀を追って、私もすぐに川に飛び込んだ。だが、大雨で濁流と化した川は流れが速い上に視界も悪く、結局私は雀の事も彪守の事も見つけることが出来なかった。川に人が落ちたという私の届け出を受けて、警察が雨が上がった後、天神川の下流まで二人の行方を探した。警察は川底から彪守の短剣を見つけたものの、肝心の二人を見つけることは出来ず、結局捜索は三日で打ち切られた。
その後も私は仕事もそこそこに二人の行方を探し続けていた。だが、どんなに聞いて回っても二人を見かけたという情報はなく、私は不安と焦りで気が狂いそうだった。
『増田さんッ!!』
呼ぶ声と共に目を見開いて私に手を伸ばす雀の姿が目に浮かぶ。伸ばされたあの手を掴む事が出来ていたら、今こんな思いをせずに済んだものを。
「雀……ッ」
私は髪を掻き毟り乱暴に立ち上がって部屋を出る。
「所長?どこに……所長っ!」
大部屋を横切る私の背を武伶田の声が追いかけてきたが、それに構わず私は事務所を後にした。
天神川の川沿いを、川近くの商店街を、住宅地を、私は雀の姿を求めて歩き回る。もう、彪守がどこか遠くへ雀を連れ去ってしまったのだろうか。もしかしたら仏蘭西に連れ帰ってしまったなどと言うことがあるだろうか。そう思って出国者のチェックもしたが彪守らしい人物が日本を出た様子はなかった。
夜遅くまで歩き回って、結局なにも得ることなく家に戻る。食事をとる気にもなれず、私はウィスキーをグラスに注ぎ一気に飲み干した。
「雀……ッ」
ほんの一時も雀の事が頭から離れない。眠ろうにも眠りが訪れる筈もなく、私は窓辺から夜空に輝く月を見上げた。
雀と月を見上げながら過ごしたのはいつのことだったろう。花火をしながら楽しそうに笑う雀を見たのは。本の話や町での出来事を目を輝かせて聞く雀を見たのはいつだったか。そして。
『お前が好きだ、雀』
彼にそう告げたのはいったいいつの事だったろう。
「返事を……返事を貰ってないぞ、雀」
告白した私に雀はちゃんと返事をすると言った。だから少しだけ時間をくれ、と。
『増田さん……』
見つめてくる空色に引き寄せられるように口づけを交わしたのに。
「雀……ッ」
私は手のひらに爪が刺さるほど手を握り締めて雀を呼ぶ。
壊れてしまいそうだ、もう。
「所長」
呼ぶ声に私は顔を上げる。そうすれば李紗がその綺麗な顔に気遣う色を浮かべて私を見ていた。私は警察が川底から見つけた彪守の短剣を抽斗にしまう。尋ねるように李紗を見れば彼女はほんの少し眉を寄せて言った。
「お顔の色が優れません、所長。ちゃんとお休みになられてますか?」
「どうだったかな」
最後に眠ったのはいつだったろう。李紗に言われて初めて自分が休んでいない事に気づくほど、私は自分という存在に無頓着になっていた。
「そのままではいつか倒れてしまいます」
「仕方ないだろう?眠くもならないし、腹もすかないんだ」
「所長!」
焦りを滲ませて李紗が私を呼ぶ。私はそれには答えず、ゆっくりと立ち上がった。
「出かけてくるよ、後を頼む」
「所長っ」
李紗が出ていこうとする私の腕を掴む。私はその手を軽く叩いて外させるとゆっくりと事務所を出た。
陽射しはまだ強く暑かったが見上げた空には雲が高く浮かんで秋の気配を漂わせていた。ゆっくりと季節が移っていこうとする中、私はひたすらに雀を探して歩いた。見つからない雀を探して歩くうち、私の中から何かが少しずつ零れ落ちていく。全て零れ落ちて空っぽになってしまったら私はどうなるのだろう。そう思った時だった。
『増田さん』
「ッ?!」
聞こえた声に私は足を止める。きょろきょろと辺りを見回したが求める姿は見つからない。私は足を早めて町行く人を追い越し、居並ぶ店や路地裏を覗いてまわった。
「雀?!」
声に出して呼んでみたが答えはない。暫くの間雀の姿を探して歩いたが結局見つけることは出来ず、雀を求めるあまりの幻聴と諦めるしかなかった。
だが。
『増田さん』
その日以来、雀が私を呼ぶ声が私の中で木霊するようになった。その声は時に大きく時に小さく私のことを切なく呼ぶ。目を閉じれば空色の瞳で私を見つめる雀の姿が浮かび上がって、私は昼も夜も雀を探してまわった。
「どこだ、雀……どこにいる?」
探して探して、探し続けたある日。私は自分があの竹林の中に立っていることに気づいた。雀に会う為に幾度となく辿った竹林の中の細い道。気づけば私はそこに立っていたのだ。そしてそこに立っていることに気づいた途端、雀が私を呼ぶ声が大きくなる。今までになく大きい雀の声に、私は竹林の中を走った。あの日、彪守から雀を守るために走ったように竹林を走り抜ければオレンジ色の凌霄花の花が見えて、そうして。
「雀……」
あの日見失ったそのままの姿で、散り落ちたオレンジ色の花びらを踏みしめて雀はそこに立っていた。 |