凌霄花(のうぜんかずら)の宿  第二十五章


 襲いかかってくる短剣(ダガー)を私は(ジャン)を背後に庇ったままよける。探偵家業の時には持ち歩く短銃(ピストル)は事務所の抽斗にしまったままで、私には短剣(ダガー)に対抗し得る武器がなかった。
増田(マスタング)さんッ」
「下がっていろ、(ジャン)!」
 (ジャン)を庇ったままでは攻撃をよけきれない。そう判断して私は(ジャン)に叫ぶ。そうすれば(ジャン)は小さく頷いて私たちから離れた。
「……」
 (ジャン)の動きを追って彪守(ヒューズ)の意識が僅かに私から逸れる。その一瞬の隙を逃さず、私は彪守(ヒューズ)に殴りかかった。
「グッ」
 繰り出した拳は狙い違わず彪守(ヒューズ)の顎を捉える。彪守(ヒューズ)は数歩よろめいて後ずさったが、凄まじい形相で私を睨んだ。
(ジャン)は俺のものだ……」
 低く呻いて彪守(ヒューズ)が唇に滲む血を手の甲で拭う。彪守(ヒューズ)がジリジリと(ジャン)のいる方へと動いていることに気づいて、私はすぐさま彪守(ヒューズ)(ジャン)の間へと割って入った。
「どけ、絽音(ロイ)……今度はその命、貰うぞ」
(ジャン)も私の命もお前にはくれてやらん」
 低い声にそう答えれば彪守(ヒューズ)の顔が怒りに染まる。タンッと短い距離を詰めて彪守(ヒューズ)が薙ぎ払った短剣(ダガー)を体を反らしてよけると、私は短剣(ダガー)を持つ彪守(ヒューズ)の腕を掴んだ。
絽音(ロイ)……ッ」
 短剣(ダガー)を間に間近で睨み合う私と彪守(ヒューズ)の上にポツリと滴が落ちてくる。月を隠して厚く垂れ込めた空から一つ二つと落ち始めた雨は、瞬く間に大雨となって私たちに降り注いだ。
彪守(ヒューズ)、諦めろ、頼む……ッ」
 私が知っていた彪守(ヒューズ)はこんな風に人の気持ちを踏み躙ってまで我を通そうとする男ではなかった。そう思って言った途端、彪守(ヒューズ)は凄まじい力で私を突き飛ばした。
「グゥッ!」
 突き飛ばされた勢いで私は井戸のポンプに頭を強かに打ちつけてしまう。あまりの痛みに数瞬意識が飛んで、すぐには動けなかった。
増田(マスタング)さんッ!───真栖(マース)……っ」
 悲鳴のような(ジャン)の声が聞こえて私は痛みをこらえて目を開ける。霞む視線の先に(ジャン)の腕を掴む彪守(ヒューズ)の姿が見えた。
「……彪守(ヒューズ)っ」
 頭を押さえてふらふらと立ち上がる私を彪守(ヒューズ)はチラリと見る。だが、そのままなにも言わず、(ジャン)の腕を掴んだまま彪守(ヒューズ)は庭の裏木戸から屋敷の外へと飛び出していった。
増田(マスタング)さんッ!!」
(ジャン)……ッ」
 彪守(ヒューズ)に引きずられるように連れていかれながら(ジャン)が私を呼ぶ。裏木戸の向こうに消えた姿を、私は慌てて追いかけた。


(ジャン)っ、どこだッ?!」
 雨が降りしきる中、私は竹林の中を二人を捜して走る。篠突く雨は視界を遮り、二人の姿をその水の膜の向こうに隠した。
(ジャン)ッ!答えろッ!」
 せめて声が聞こえれば方角が判るのにと、私は声を限りに(ジャン)を呼ぶ。その時微かに悲鳴が聞こえて、私は声のした方へと走った。竹林を通して雨とは違う水音がする。道もない中、生い茂る葉をかき分けて走れば不意に視界が開けた。
「ッッ?!」
 突然現れた川に息を飲んで足を止める。それがこの竹林と隣町を分ける天神川だと気づいた時、雨の中に金色の光が見えた。
(ジャン)ッ!!彪守(ヒューズ)、待てッ!!」
 私は(ジャン)を引きずるようにして川沿いを逃げていく彪守(ヒューズ)を追いかける。私が追ってくるのに気づいた(ジャン)が、連れ去ろうとする彪守(ヒューズ)に逆らって必死にもがいた。
増田(マスタング)さんっ、助けてッ!!」
 (ジャン)が振り向いて私を見る。このまま逃げるのは無理だと悟ったらしい彪守(ヒューズ)が、(ジャン)の腕を掴んだまま足を止めた。
「どこまでも邪魔するのか、絽音(ロイ)
(ジャン)を離せ、彪守(ヒューズ)
 互いに低い声で言って睨み合う。降りしきる雨の中、不思議と互いの声だけははっきりと聞こえた。
(ジャン)は俺のものだ」
 うっとりと彪守(ヒューズ)は言って(ジャン)を抱き寄せる。強引に唇を重ねた次の瞬間、彪守(ヒューズ)は顔を顰めて(ジャン)を離した。
「この……ッ」
 舌を噛まれて怒りに顔を歪めた彪守(ヒューズ)(ジャン)の顔を短剣(ダガー)を握った手で殴る。悲鳴を上げて地面に倒れ込む(ジャン)を見て、私は数歩距離を詰めた。
彪守(ヒューズ)っ、(ジャン)に手を出すなッ!」
 そう怒鳴る私を彪守(ヒューズ)が昏い瞳で見る。(ジャン)をそのままに彪守(ヒューズ)はゆっくりと私に近づいてきた。
「お前は昔からそうだったな、絽音(ロイ)。いつだって美味しいところをさらっていっちまう」
彪守(ヒューズ)
「だがな、コイツだけは渡さない。(ジャン)は……俺のものだッ!!」
 そう叫ぶなり彪守(ヒューズ)が襲いかかってくる。私は最初の一撃を(すんで)のところでよけ、彪守(ヒューズ)と向き合った。すぐさま彪守(ヒューズ)短剣(ダガー)をかざして踏み込んでくる。雨の中、一言も発せず彪守(ヒューズ)が振り下ろし突き入れる短剣(ダガー)を私は必死によけ続けた。
「クッ」
 雨で泥濘るんだ地面が足を掬う。ズルリと滑ったところに短剣(ダガー)を突き入れられて、私は這うようにして刃をかわした。
増田(マスタング)さんッ!」
「来るなッ!」
 駆け寄ってこようとする(ジャン)を私は大声で制する。泥に塗れて地面に手をついたまま、立ち上がるタイミングを掴めないでいる私に、彪守(ヒューズ)が笑った。
「いい格好だな、絽音(ロイ)。いつかお前を這い蹲らせてやりたいと思ってたんだ。いつだって澄ました顔してやがるお前を……!」
彪守(ヒューズ)……」
 学生時代からの親友だと信じてきた男の口から吐き出された信じられない言葉に私は目を見開いて彪守(ヒューズ)を見る。彪守(ヒューズ)はそんな私を顔を歪めて見下ろした。
「いつだってそうだった。お前は他人の目なんか気にしない。いつだって自分の信念のままに突き進み欲しいものは何でも手にする」
「なにを言ってるんだ、彪守(ヒューズ)
 他人の評価など気にせず、いつだって飄々としていたのは彪守(ヒューズ)の方だ。単身仏蘭西に渡り、その才覚で確固たる地位を築いたのは彪守(ヒューズ)なのに。
「俺のしたことなんて微々たるものさ。仏蘭西じゃ俺はいつまでたっても小さな島国からきた青二才だ。どんなにがむしゃらにやったところでなにも変わりゃしない」
「そんな事はない、彪守(ヒューズ)!お前は───」
「お前になにが判る、絽音(ロイ)
 彪守(ヒューズ)は私の言葉を遮る。クシャリと顔を歪めて言った。
「俺には(ジャン)が必要なんだ。その為にはお前が邪魔なんだよ、絽音(ロイ)ッ!」
 彪守(ヒューズ)はそう叫ぶなり短剣(ダガー)を私に振りおろす。その顔めがけて私は足下の泥を掬って投げつけた。
「ッッ!!……絽音(ロイ)ッ!!」
 彪守(ヒューズ)は目を押さえて後ずさる。そのすぐ後ろが川だと気づいて、私は声を張り上げた。
「止まれ、彪守(ヒューズ)!後ろがないぞッ!」
 だが、彪守(ヒューズ)は足を止めない。それを見て私が飛び出すより前に(ジャン)が私と彪守(ヒューズ)の間に割って入った。
真栖(マース)っ、止まって!川に落ちるッ!」
 (ジャン)がそう叫んだ瞬間、彪守(ヒューズ)の足が宙を踏む。その体を川へと投げ出した彪守(ヒューズ)の腕が伸びて、(ジャン)の着物の袂を掴んだ。
「ッッ?!」
 備えもなく袂を引かれて(ジャン)の体が彪守(ヒューズ)を追う。(ジャン)が私を振り向き助けを求めるようにその腕を伸ばした。
(ジャン)ッ!!」
 大雨で嵩を増し、濁流と化した川に落ちる彪守(ヒューズ)に引きずられるように(ジャン)の体が宙に浮く。私に向かって伸ばされた手を掴もうとして。


 私の手は(ジャン)の手を掴むことが出来なかった。


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