襲いかかってくる短剣を私は雀を背後に庇ったままよける。探偵家業の時には持ち歩く短銃は事務所の抽斗にしまったままで、私には短剣に対抗し得る武器がなかった。
「増田さんッ」
「下がっていろ、雀!」
雀を庇ったままでは攻撃をよけきれない。そう判断して私は雀に叫ぶ。そうすれば雀は小さく頷いて私たちから離れた。
「……」
雀の動きを追って彪守の意識が僅かに私から逸れる。その一瞬の隙を逃さず、私は彪守に殴りかかった。
「グッ」
繰り出した拳は狙い違わず彪守の顎を捉える。彪守は数歩よろめいて後ずさったが、凄まじい形相で私を睨んだ。
「雀は俺のものだ……」
低く呻いて彪守が唇に滲む血を手の甲で拭う。彪守がジリジリと雀のいる方へと動いていることに気づいて、私はすぐさま彪守と雀の間へと割って入った。
「どけ、絽音……今度はその命、貰うぞ」
「雀も私の命もお前にはくれてやらん」
低い声にそう答えれば彪守の顔が怒りに染まる。タンッと短い距離を詰めて彪守が薙ぎ払った短剣を体を反らしてよけると、私は短剣を持つ彪守の腕を掴んだ。
「絽音……ッ」
短剣を間に間近で睨み合う私と彪守の上にポツリと滴が落ちてくる。月を隠して厚く垂れ込めた空から一つ二つと落ち始めた雨は、瞬く間に大雨となって私たちに降り注いだ。
「彪守、諦めろ、頼む……ッ」
私が知っていた彪守はこんな風に人の気持ちを踏み躙ってまで我を通そうとする男ではなかった。そう思って言った途端、彪守は凄まじい力で私を突き飛ばした。
「グゥッ!」
突き飛ばされた勢いで私は井戸のポンプに頭を強かに打ちつけてしまう。あまりの痛みに数瞬意識が飛んで、すぐには動けなかった。
「増田さんッ!───真栖……っ」
悲鳴のような雀の声が聞こえて私は痛みをこらえて目を開ける。霞む視線の先に雀の腕を掴む彪守の姿が見えた。
「……彪守っ」
頭を押さえてふらふらと立ち上がる私を彪守はチラリと見る。だが、そのままなにも言わず、雀の腕を掴んだまま彪守は庭の裏木戸から屋敷の外へと飛び出していった。
「増田さんッ!!」
「雀……ッ」
彪守に引きずられるように連れていかれながら雀が私を呼ぶ。裏木戸の向こうに消えた姿を、私は慌てて追いかけた。
「雀っ、どこだッ?!」
雨が降りしきる中、私は竹林の中を二人を捜して走る。篠突く雨は視界を遮り、二人の姿をその水の膜の向こうに隠した。
「雀ッ!答えろッ!」
せめて声が聞こえれば方角が判るのにと、私は声を限りに雀を呼ぶ。その時微かに悲鳴が聞こえて、私は声のした方へと走った。竹林を通して雨とは違う水音がする。道もない中、生い茂る葉をかき分けて走れば不意に視界が開けた。
「ッッ?!」
突然現れた川に息を飲んで足を止める。それがこの竹林と隣町を分ける天神川だと気づいた時、雨の中に金色の光が見えた。
「雀ッ!!彪守、待てッ!!」
私は雀を引きずるようにして川沿いを逃げていく彪守を追いかける。私が追ってくるのに気づいた雀が、連れ去ろうとする彪守に逆らって必死にもがいた。
「増田さんっ、助けてッ!!」
雀が振り向いて私を見る。このまま逃げるのは無理だと悟ったらしい彪守が、雀の腕を掴んだまま足を止めた。
「どこまでも邪魔するのか、絽音」
「雀を離せ、彪守」
互いに低い声で言って睨み合う。降りしきる雨の中、不思議と互いの声だけははっきりと聞こえた。
「雀は俺のものだ」
うっとりと彪守は言って雀を抱き寄せる。強引に唇を重ねた次の瞬間、彪守は顔を顰めて雀を離した。
「この……ッ」
舌を噛まれて怒りに顔を歪めた彪守が雀の顔を短剣を握った手で殴る。悲鳴を上げて地面に倒れ込む雀を見て、私は数歩距離を詰めた。
「彪守っ、雀に手を出すなッ!」
そう怒鳴る私を彪守が昏い瞳で見る。雀をそのままに彪守はゆっくりと私に近づいてきた。
「お前は昔からそうだったな、絽音。いつだって美味しいところをさらっていっちまう」
「彪守」
「だがな、コイツだけは渡さない。雀は……俺のものだッ!!」
そう叫ぶなり彪守が襲いかかってくる。私は最初の一撃を既のところでよけ、彪守と向き合った。すぐさま彪守が短剣をかざして踏み込んでくる。雨の中、一言も発せず彪守が振り下ろし突き入れる短剣を私は必死によけ続けた。
「クッ」
雨で泥濘るんだ地面が足を掬う。ズルリと滑ったところに短剣を突き入れられて、私は這うようにして刃をかわした。
「増田さんッ!」
「来るなッ!」
駆け寄ってこようとする雀を私は大声で制する。泥に塗れて地面に手をついたまま、立ち上がるタイミングを掴めないでいる私に、彪守が笑った。
「いい格好だな、絽音。いつかお前を這い蹲らせてやりたいと思ってたんだ。いつだって澄ました顔してやがるお前を……!」
「彪守……」
学生時代からの親友だと信じてきた男の口から吐き出された信じられない言葉に私は目を見開いて彪守を見る。彪守はそんな私を顔を歪めて見下ろした。
「いつだってそうだった。お前は他人の目なんか気にしない。いつだって自分の信念のままに突き進み欲しいものは何でも手にする」
「なにを言ってるんだ、彪守」
他人の評価など気にせず、いつだって飄々としていたのは彪守の方だ。単身仏蘭西に渡り、その才覚で確固たる地位を築いたのは彪守なのに。
「俺のしたことなんて微々たるものさ。仏蘭西じゃ俺はいつまでたっても小さな島国からきた青二才だ。どんなにがむしゃらにやったところでなにも変わりゃしない」
「そんな事はない、彪守!お前は───」
「お前になにが判る、絽音」
彪守は私の言葉を遮る。クシャリと顔を歪めて言った。
「俺には雀が必要なんだ。その為にはお前が邪魔なんだよ、絽音ッ!」
彪守はそう叫ぶなり短剣を私に振りおろす。その顔めがけて私は足下の泥を掬って投げつけた。
「ッッ!!……絽音ッ!!」
彪守は目を押さえて後ずさる。そのすぐ後ろが川だと気づいて、私は声を張り上げた。
「止まれ、彪守!後ろがないぞッ!」
だが、彪守は足を止めない。それを見て私が飛び出すより前に雀が私と彪守の間に割って入った。
「真栖っ、止まって!川に落ちるッ!」
雀がそう叫んだ瞬間、彪守の足が宙を踏む。その体を川へと投げ出した彪守の腕が伸びて、雀の着物の袂を掴んだ。
「ッッ?!」
備えもなく袂を引かれて雀の体が彪守を追う。雀が私を振り向き助けを求めるようにその腕を伸ばした。
「雀ッ!!」
大雨で嵩を増し、濁流と化した川に落ちる彪守に引きずられるように雀の体が宙に浮く。私に向かって伸ばされた手を掴もうとして。
私の手は雀の手を掴むことが出来なかった。 |