飲み屋の少し落とした照明の光の中、長い話を終えた彪守が私の顔をじっと見つめる。その瞳に何かよくないものを浮かべて彪守は言葉を続けた。
「サシェの包みが波間に浮かんでるのを見て、俺は雀が海に飛び込んだと思った。船から降りてすぐに人を雇って港沿いの海岸から港湾施設から全部探してまわった。だが雀は見つからなかった」
そう言って彪守は食い入るように私を見る。
「まさか雀があんなところにいたとはな……思っても見なかったよ、絽音」
低く囁く声にぞわりと全身の毛が逆立つ気がした。雀が灯りをつけるのを嫌がるほど見つかるのを怖れていた相手、それが彪守だったとは。
私は口を開こうとして喉がカラカラに乾いていることに気づく。手にしたビールを流し込めばそれはすっかりとぬるくなっていた。
「彪守、お前……雀をどうする気だ?」
掠れた声を絞り出して私は彪守に尋ねる。そうすれば彪守がうっそりと笑って答えた。
「どうする?決まっているだろう?」
そう言う彪守の常盤色の瞳に昏く燃え上がる焔を見れば聞かずとも答えが知れる。ガタンと椅子を蹴立てて立ち上がった私は、自分の体を支えきれずにテーブルに突っ伏した。
「な……ん……?」
急速にこみ上げてくる眠気に私はテーブルに縋りつくようにして彪守を見上げる。ゆっくりと立ち上がった彪守は昏い瞳で私を見下ろして言った。
「長い付き合いだ、命だけは助けてやる。だが邪魔はさせない」
「彪守……ッ」
「雀は俺のものだ。お前には渡さない」
低い声でそう言いきって、彪守は私をおいて店を出ていく。いつの間にか仕込まれた睡眠薬が眠りの淵に引きずり込もうとするのに抗って、私は声を張り上げた。
「おい……ッッ」
テーブルに張り付くようにして声を上げる私を周りの客が気味悪そうに見る。私は落ちそうになる瞼を必死に持ち上げて店員を呼びつけた。
「どうかしましたか?」
慌ててやってきた店員が明らかに様子のおかしい私に恐る恐る問いかける。私はテーブルからなんとか顔を上げて店員に言った。
「アイスピックを持ってこい……氷を砕く為の錐だ……早くッ」
「はいッ!!」
唸るように言えば店員が飛び上がって厨房に向かう。店員が持ってきた錐を受け取ると、私は机に突っ伏したまま鈍く光る尖端を腕に突き立てた。
「うわわ……ッ!!」
突然の事に店員が驚いて尻餅をつく。周りの客も悲鳴を上げる中、私は痛みで薄らいだ眠気を頭を振って完全に追いやって体を起こした。
「くそッ」
懐から手拭いを出し傷口を縛る。そうして店から飛び出すと雀がいるはずの屋敷へと一目散に駆け出した。
「雀……ッ!!」
私は賑わう通りを行き交う人々を突き飛ばすようにして走る。暫くすると鬱蒼と茂る竹林が見えて、私はその中に続く細い道へと飛び込んだ。雀に会うため幾度となく通った竹林の中の道を私は全速力で走る。着物の袂が引っかかって破けたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。飲み屋に入る前は夜空に輝いていた月も今は厚い雲に隠れて竹林の中は暗く道は闇に沈んでいる。そんな中、一直線に竹林の中を走り抜ければ闇の中に凌霄花のオレンジ色の花が浮かび上がって見えた。
「雀ッ!!」
私は木戸に飛びつくとその勢いのまま中へと入る。ところどころ残る飛び石の先に続く引き戸を乱暴に開き屋敷の中へと踏み込んだ。
「雀ッッ!!」
私はもう一度声を張り上げて雀を呼ぶ。だが、それに答える声はなく、焦って辺りを見回した時屋敷の奥からガタンと大きな音がした。
「そっちか!」
私は音のした方に向かって床を蹴る。廊下を走り部屋の襖を叩きつけるように開けば、雀の体を抱え込んだ彪守が庭に飛び出すのが見えた。
「彪守ッッ!!」
その背に向かって怒鳴る私の声に彪守が足を止める。ゆっくりと彪守が振り向くのと同時に、彪守の腕に捕えられ手で口を塞がれた雀の大きく見開いた空色の瞳が私を見た。
「雀を離せ」
彪守を睨みつけて私は言う。だが、彪守は雀をしっかりと抱え込んで離そうとはしなかった。
「雀を離せッ!!」
私はもう一度声を張り上げて叫ぶ。そうすれば彪守がジリジリと後ずさりながら言った。
「やはり追ってきたのか、絽音」
「彪守、雀を離せ」
彪守が後ずさった分、ゆっくりと近づいて私は言う。すると彪守が低い声で答えた。
「離すと思うのか?雀は俺のものだと言った筈だ」
「雀は望んじゃいない。雀は雀のものだ」
「……よくそんな事が言えるな」
私の言葉を嘲笑うように彪守が言葉を吐き出す。
「お前だって雀を自分のものにしたいと思ってる。そうだろう?絽音」
その言葉を否定する事は私には出来ない。確かに私も雀が欲しい。それでもそれは互いに欲しあうもので、一方的に奪うものであってはならなかった。
「偽善だな」
考えを口にすれば彪守が吐いて捨てる。彪守は腕の中の雀を愛しげに抱き締めてその耳元にキスを落とした。
「雀は俺のものだ。何度も何度も想いを注ぎ込んでやったんだ。雀だってもういい加減判っている筈だ」
そうだろう?と囁いて彪守が雀の口を覆っていた手をずらす。その時、それを待っていたかのように彪守の腕に抱き抱えられた雀が彪守の手に思い切り噛みついた。
「ツウッ!!」
思いもしなかったのだろう、突然の反撃に緩んだ腕の中から雀が逃げ出す。伸ばしてくる腕を掴んで私は雀の体を引き寄せた。
「増田さんっ!」
「雀っ!」
引き寄せた体をギュッと抱き締めれば雀がしがみついてくる。その顔を覗き込んで私は言った。
「怪我はないか?!」
「平気っス……絶対来てくれるって思ってた……ッ」
「雀……ッ」
泣き笑いのような顔で言う雀をもう一度抱き締める。その時、低く唸るような声がして私たちはハッと顔を上げた。
「雀を返せ、絽音……ッ」
「断る」
睨みつけてくる彪守を睨み返して私は雀を背後に庇う。それを見た彪守が懐から短剣を取り出すのを目にして、私は息を飲んだ。
「彪守……」
「もう一度言う、絽音、雀を返せ」
昏い焔を浮かべる常盤色の瞳。私が頷かなければその焔は私を焼き付くそうとするのだろう。それでも。
「断る。私は雀を愛している」
そう答えた次の瞬間。彪守の短剣が私に襲いかかってきた。 |