凌霄花(のうぜんかずら)の宿  第十章


「本当に急な事でごめんなさい」
 雀鈴(ジャクリーン)の母親はそう言って申し訳なさそうに目を伏せる。初めて会った夫人は金髪に空色の瞳で、雀鈴(ジャクリーン)によく似ていた。
「いえ、こちらこそお世話をかけます」
 そう言う俺に夫人は優しい笑みを浮かべる。早速部屋を用意させたからとメイドに案内するよう命じた。
「どうぞご自分の家だと思ってお過ごしください。なにかあれば遠慮なく申しつけてくださいね」
「ありがとうございます」
 夫人の言葉に礼を言って俺はメイドに案内されて二階へと上がる。用意された部屋は庭に面した明るい部屋だった。
「なにかございましたらベルでお呼びください」
「ありがとう」
 メイドはテーブルに置かれたベルを示して言うと部屋から出ていく。俺は窓辺に寄ると広い庭を見下ろした。
 雀鈴(ジャクリーン)の父親は製糸業を営んでいて幾つも工場を持っているらしい。手広く海外にも事業を広げていて日本との取引も盛んだと聞いた。
 初夏の陽射しに照らされた手入れの行き届いた広い庭は、雀鈴(ジャクリーン)の父親が事業家として成功していることを表している。そんな家の娘のところに東洋人の若造が結婚の申し込みをする為に来るのを許すのは、やはり雀鈴(ジャクリーン)の祖母が日本人だというのが大きいのだろう。
真栖(マース)?」
 そんな事を考えながら庭を眺めていればノックの音が聞こえる。部屋を横切って扉を開ければ、雀鈴(ジャクリーン)が立っていた。
「どう?この部屋でいいかしら?」
「勿論。見事な庭だな」
 そう答えれば雀鈴(ジャクリーン)が笑みを浮かべる。少し肩を落として言った。
「それにしてもついてないわ。なにも今日事故が起こらなくてもいいのに」
「神様が俺たちの結婚をよく思ってないのかもしれんな」
真栖(マース)!」
 俺がニヤリと笑って言えば、雀鈴(ジャクリーン)が睨みつけてくる。
「そんな酷いこと言わないで」
「冗談だ」
「冗談にしたって……っ」
 雀鈴(ジャクリーン)は泣きそうな声でそう言うと唇を噛んで俯いた。俺は震える少女の肩を抱き締めるとそっと口づける。
「悪かった、泣くな、雀鈴(ジャクリーン)
 宥めるように言ったものの雀鈴(ジャクリーン)は涙の滲む目で俺を睨むとパッと身を翻して行ってしまう。俺はやれやれとため息をつくとゆっくりと後を追った。階段を降りて雀鈴(ジャクリーン)の姿を探したが、どこにも見あたらなかった。
「やれやれ……」
 今度は声に出してそう呟いた俺は庭に続くガラス張りの扉を開ける。そうして外へと出れば、初夏の風が吹き抜けてきた。
 仏蘭西の夏は好きだ。日本ほど気温も高くないしカラッとしている。時折急に冷え込むこともあるのでうっかりすると寒い思いをすることもあるが、明るく過ごしやすいこの季節が俺は好きだった。
 俺はゆっくりと木々の間を縫って歩いていく。暫く行くと木々の間に金色の光が見えて、飛び出した雀鈴(ジャクリーン)がここまで来ていたのかと俺は足を早めて近づいた。
「…ッ?」
 雀鈴(ジャクリーン)と呼ぼうとして、俺はそこにいるのが俺の知っている少女ではないことに気づく。濃紺の着物を纏って何羽もの小鳥と戯れているのは、雀鈴(ジャクリーン)によく似てはいたが明らかに男だった。
「ああ、ほら。慌てなくてもやるから」
 雀鈴(ジャクリーン)によく似た少年はそう言って袂から小麦を取り出す。手のひらに載せれば小鳥たちが我先にと彼の手から小麦を啄んだ。小鳥の様子を楽しそうに見ていた少年は軽く腕を振って鳥達を追い払う。名残惜しげに地面を歩き回る小鳥に向かって、手のひらの小麦を撒いた。
「ほら!」
 パッと飛び散った小麦に反応して、鳥達が一斉に飛び立つ。緑の木々の中、大きく腕を掲げて鳥達を見上げる彼の姿は一幅の絵のようだった。
 思わず一歩踏み出せば足下で踏みつけた小枝がパキンと乾いた音を立てる。その音に弾かれたように振り向いた少年は、一瞬俺の顔を見てびっくりしたような表情を浮かべたが、次の瞬間鮮やかに微笑んだ。
真栖(マース)
 にっこりと笑って俺を呼ぶ彼に視線が釘付けになる。身動きできずに見つめる俺に、彼は近づいてくると俺の腕をそっと掴んだ。
真栖(マース)、でしょう?」
 確かめるようにもう一度俺の名を口にする。答えない俺に少年は困ったように首を傾げた。
「ごめんなさい、違ったっスか?」
 彼はそう言って俺の顔を見上げたが、すぐさま身を翻して行ってしまおうとする。その瞬間、ハッと我に返った俺は咄嗟に彼の腕を掴んだ。
「ッ?!」
 驚いた少年が目を見開いて俺を見上げる。空を思わせる澄んだ瞳に吸い込まれそうになりながら俺は言った。
「すまん、俺は真栖(マース)だ」
 そう言えば少年はホッとしたように笑う。その笑みに心臓を跳ね上げる俺に彼は言った。
「よかった。雀鈴(ジャクリーン)から話は聞いてたからそうかなって」
 彼の唇から少女の名が出たのを聞いて俺は尋ねる。
「お前は?雀鈴(ジャクリーン)の?」
「双子の弟っス。話、聞いてなかったっスか?」
 そう言われてみれば弟がいるようなことを言っていた気がする。だが、双子とまでは聞いていなくて俺は少年の顔をまじまじと見つめた。
「双子……」
 確かに男女の違いはあるものの目の前の少年は雀鈴(ジャクリーン)と瓜二つと言っても過言ではなかった。揃いの着物を来ていたら見分けがつかないかもしれないほどよく似ていた。だが。
「……名前は?」
 雀鈴(ジャクリーン)と出逢った時とは違う息苦しいほどの激しい胸の高鳴りを覚えて俺は尋ねる。
(ジャン)っス。改めて初めまして、真栖(マース)
 そう言って鮮やかに笑う少年に、俺は一目で恋に落ちていた。


「せっかく結婚の申し込みに来たのに、災難だったっスね」
 鳥達が地面に撒かれた小麦を啄むのを見ながら(ジャン)が言う。木の幹に凭れる(ジャン)を見つめて俺は言った。
「まあ、仕方ないさ。大きな事故じゃないといいな」
「そうっスね。怪我人がいなきゃいいけど」
 (ジャン)は心配そうにそう呟いたが、俺を見て言った。
「でも、そのおかげで真栖(マース)と話す機会が出来たからよかったっス」
 そう言う(ジャン)を俺は尋ねるように見つめる。そうすれば(ジャン)が笑って言った。
「だって今日挨拶が済んじゃってたら、真栖(マース)、すぐ帰っちゃったっしょ?そうしたらきっと結婚するまで殆ど話す機会もないっスよ」
「確かにそうかもな」
 雀鈴(ジャクリーン)も自分の家と家族を知ってもらうにはいい機会だと言っていた。俺は(ジャン)の顔をじっと見つめて尋ねた。
「パーティには出てこないんだな」
「オレ、パーティ嫌いっスもん。まだ学生だし」
「学生?」
「今は夏休みっスけど。あーあ、ずっと夏休みならいいのに」
 (ジャン)は言って空に向けて両腕を突き出して伸びをする。着物の袂がするりと落ちて、露わになった白い腕を俺は食い入るように見つめた。二の腕の薄い皮膚に思い切り噛みつきたい衝動を俄に覚えて、俺は慌ててその衝動に蓋をする。そんな事にはこれっぽっちも気づかず、(ジャン)は突き上げた腕を下ろして俺に言った。
「屋敷に戻りましょうか。雀鈴(ジャクリーン)がアンタの事探してるかもしれないし」
「……そうだな」
 そう言って連れ立って歩き出せば(ジャン)が俺を見てにっこりと笑う。
 このまま永遠に屋敷につかなければいい。俺は傍らの(ジャン)の体温を感じながら、本気でそう思っていた。


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