レヴィアタンの焔  第六章


「失礼しまーす」
 ハボックは言葉と同時に扉を開ける。執務室では机の前でロイが電話をしていた。電話が終わるのを大人しく待っていたハボックは、ロイの言葉の端々からそれがデートの約束を取り付ける電話だと気付く。楽しげに会話するロイの睫を食い入るように見つめていると、ロイが受話器を戻してハボックを見上げた。
「待たせたな、サインか?」
「ええ、これなんスけど」
 ハボックは答えながら手にした書類を差し出す。ロイはそれを受け取ると目を通していたが眉をひそめて書類をハボックに返した。
「ミスが多いな。書き直してこい」
「えっ、そっスか?どこ?」
 ハボックは書類を受け取ると慌てて捲り始める。ロイはそんなハボックに苦笑すると言った。
「ここで手直しする気か?席でしろ、席で」
「や、でもここでやったら大佐に判んないとこ聞けるし」
 ハボックは書類から顔を上げると縋るような目を向ける。だがロイはハボックから目を逸らすと追い払うように手を振った。
「私だって忙しいんだ、ハボック」
「…デートもあるし?」
「そういうことだ。判ったら直してから持って来い」
 そう言われてハボックは一つため息をついて執務室を出ていく。その背に向かってロイが言った。
「言っておくが私は残業はしないからな。時間までに持ってこなければサインはしないぞ」
 うっすらと笑みを浮かべて言うロイに肩越しに振り向いたハボックは僅かに目を見開く。その瞳が一瞬何か言いたげに揺らめいたように見えたが、下りてきた瞼に隠れてよくは判らなかった。
「アイ、サー」
 ハボックは一つ瞬くとそう答えて今度こそ執務室を出ていった。

 ロイはハボックが出ていった扉をじっと見つめていたがやがて深いため息をつくと椅子に背を預ける。本当はハボックを追い出してまでやらねばならない程の急ぎの仕事などなかった。むしろ今までならばハボックにコーヒーなど淹れさせて、他愛無い話をしながら書類を書き直す面倒をみただろう。
(ハボックと二人きりなんて堪えられん)
 ロイはそう思って苦く笑う。ホークアイの一言が切っ掛けでハボックへの気持ちに気付いたロイだったが、だからと言ってそれを簡単に表に出す訳にはいかなかった。相手は自分の直属の部下だ。それだけで既に手を出すにははばかられる相手だというのにハボックは紛う事なき男である。今までの付き合いからして至極ノーマルなノンケで男なぞ絶対お断りなのは間違いなかった。女性相手であるならば多少の困難などものともしないだけの自信はあったが、今回は分が悪すぎる。
(下手に手を出して逃げられるよりはこのままの形で傍にいてくれた方がいい…)
 そんな風に思う自分が滑稽だとロイは思った。それでも、他にいい考えなど思いつかなくてロイは窓越しにハボックの瞳と同じ色の空を見上げたのだった。

「デート、か…」
 自席で書類を捲りながらそう呟けば隣の席に座っていたフュリーが耳ざとく聞きつける。
「少尉、デートなんですか?」
 そう聞かれてハボックは苦笑した。
「違うって。大佐だよ、大佐。サイン貰おうと思って部屋に行ったらデートの約束してた」
「またですかぁ。ホントに持てますよね、大佐」
「そうだな」
 羨ましそうに言うフュリーに笑って相槌を打てば向かいに座ったブレダが伺うように見つめている。ハボックはムッと唇を突き出すと言った。
「なんだよ。今日は別に何も言ってないだろ」
「そうだな」
「だからいいだろ」
「そうだな」
 何となく歯切れの悪いブレダにハボックはムカムカしてガタンと席を立つ。
「煙草買ってくる」
「切らしたのかよ、珍しいな」
「るせー」
「分けてやろうか?」
「ブレダの煙草、不味いからヤダ」
「あっ、そういうこと言うか!今度から“くれ”って言ってもやらねぇからな!」
 そう大声を出すブレダにプイと背を向けるとハボックは司令部を出て行く。「馬鹿ハボ!」と言う声に振り向いて思い切りイーッと歯を剥くとバタンと扉を閉めた。
 廊下に出るとハボックは外へは向かわず屋上へあがる階段へと足を向ける。長い脚で1段抜かしで階段を上ると屋上へと出た。爽やかな風が吹き渡る中、手すりにもたれかかると腕に頬を寄せる。はあ、とため息をつくとロイの事を想った。
「またデートだってさ」
 今日の相手は誰だろう。また大きな花束を買っていくんだろうか。
 そんな事を考えると胸がキリキリと痛くなる。自分がもし、女の子だったらロイに少しは相手にして貰えたのだろうか。本気の相手は無理でもデートの合間の暇つぶしにくらいには構ってくれただろうか。
「はは、無理だろうな、オレじゃ」
 自分が女の子だったとしてとてもロイがガールフレンドに選ぶような子にはなれないだろうと思う。いずれにせよ今自分はロイよりもガタイのいい男であり、その時点でロイの恋愛対象からは外れてしまっているのだから考えるだけ無駄というものだ。
「オレに出来るのは大佐の背中を守る事だけだ…」
 せめて少しでも一緒にいることが出来るように、自分ができることをするだけと己に言い聞かせて、ハボックはそっと目を閉じた。

「大佐っ、待って!あと5分!」
「残業はしないと言っただろう?」
「でもこれ、今日中に出さないと拙いんスもんっ」
 ハボックはガリガリと書類に書き込みながらそう怒鳴る。ロイはハボックを見つめて一つため息をつくと言った。
「お前、今日は一体なにをしてたんだ。それしきの書類、大して時間かけんでもできるだろう?」
 ロイの言葉にハボックはウーッと唸る。ロイはそんなハボックに肩を竦めると扉に向かって歩き出した。
「とにかく私は約束があるからな、もう帰るぞ」
「ヤダッ!大佐、待って!ちゃんと間に合うように車で送るっスから!お願いッ!」
 ハボックはそう言うと腰を上げて腕を伸ばしロイの服の裾を掴む。グイと引っ張られてロイは不機嫌そうに振り向いた。
「ハボック」
 そう呼んで顔を見れば泣き出しそうな顔で見上げてくる。ロイはひとつため息をつくと手近の椅子に腰を下ろした。
「5分だぞ。それ以上は待たないからな」
「はいっ」
 ロイが言えばハボックの顔がぱあっと明るくなる。その表情の変化にドキリとしながらもロイは平静を装ってハボックを見つめた。書類を書き込む為に伏せ目がちになっている瞳を縁取る睫が瞬きする度揺れるのを見て、それを涙で濡らしてみたいと思ったロイは慌ててその考えを外へと締め出した。
「出来たッ!」
 ハボックは目を輝かせてペンを置くとロイの前に書類を差し出す。採点を待つ子供のようにワクワクとドキドキを織り交ぜたような表情で見つめてくるハボックの視線を頬に感じながら、ロイは書類に目を通すと言った。
「いいだろう、これならOKだ」
 ロイはそう言うとサインをしたためハボックに書類を返す。
「ありがとうございますっ」
 嬉しそうに笑って書類を受け取るハボックを眩しそうに見ながらロイは言った。
「いいから早く出して来い。約束どおり車を回せよ」
「アイ、サー!玄関で待ってて下さいっ」
 そう言って司令室を飛び出していくハボックをロイは愛しそうに見つめていた。


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