レヴィアタンの焔  第二十八章


 ガチャリと開いた扉からブレダを従えて入ってきたロイに自席に座っていたハボックがパッと顔をあげる。空色の瞳を見開いてじっと見つめてくるハボックをロイは黙ったまま見つめ返したが、フッと表情を和らげると口を開いた。
「おはよう、ハボック」
「…おはようございますっ、大佐」
「風邪を引いてはいなさそうだな、心配したんだぞ」
「すみませんっ、オレ…っ」
 ロイの言葉に明らかにホッとした様子で何か言おうとするハボックの金髪にロイが手を伸ばせば、ブレダが間に割って入るようにしながら言った。
「大佐。中尉が執務室で今日の予定抱えて待ってますぜ。早く行かないと」
 そう言いながらロイの体をグイグイと執務室の方へ押しやる。ロイはあまりにあからさまなブレダの態度に苦笑するとハボックに言った。
「ハボック、すまないがコーヒーを――」
「俺がお持ちしますっ!さっさと行ってくださいっ、大佐ッ」
 ロイの言葉を遮って言うとブレダはロイの体を執務室の扉の向こうに押し込む。バタンと閉まる扉の音に二人のやり取りに目を丸くしていたハボックがハッとしてブレダを見た。
「酷いよ、ブレダっ!オレ、大佐と話を――」
「今はまだ話をする段階じゃねぇだろ、昨日言っただろうが」
「でもっ……あ、コーヒー淹れなきゃ」
「俺が淹れるからお前は何もすんな」
「ブレダッ」
 指を突きつけて司令室を出て行くブレダの背が扉の向こうに消えるとハボックは上げかけていた尻をポスンと椅子に戻す。ちらちらと執務室を見ていたハボックが耐え切れずに再び腰を上げようとした時、ブレダがコーヒーのカップを手に戻ってきた。自分を目で追う視線を感じながらブレダは扉をノックすると執務室の中へ入る。中ではロイがホークアイと今日の予定についての話を終えたところだった。
「コーヒーお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
 ブレダが机の上にカップを置けばロイがにっこりと笑って言う。その間にホークアイがファイルを抱えて執務室を出て行った。ロイはカップに口をつけると自分をじっと見下ろすブレダを見る。
「さっきのは随分じゃないのかね?せっかくハボックが話をしようとしていたのに」
「今は話をする段階じゃないと思いましたんで」
「それはハボックが判断する事だろう?」
「頭パニックでまともに考えられやしませんよ」
 そう言うブレダをロイはじっと見つめた。
「少尉、君は私がハボックと付き合うのは反対か?」
「有り体に言えばそうです」
 ブレダはそう言うと一礼して執務室を出て行く。ロイはコーヒーをひと口飲むとため息をついた。
「やれやれ…保護者が反対する場合、どうやって口説いたらいいものなのかな」
 ロイは肩を竦めてそう言うと書類を取り出し目を通し始めたのだった。

 その後の数日間、送迎も視察の護衛もブレダが代わって務めたためハボックはロイと話す機会がなかった。上官命令だと言えば恐らくは抗う術はなかったのであろうが、何故だかロイもブレダがハボックに代わってそれらの任務を行うのを止めはせず、ハボックはモヤモヤとした気持ちを抱えたまま日々を過ごした。
(大佐、今なに考えてるんだろ……)
 好きだと告げられてそれに答えぬまま飛び出してしまった自分をどう思っているのだろう。ハボックは執務室の扉をぼんやりと見つめて考える。
(怒ってるのかな、それともまだオレのこと好きでいてくれるのかな)
 そんな風にロイのことを考えれば考えるだけ自分の中はロイでいっぱいになっていく様な気がしてハボックは唇を噛み締めた。
(もう一度言って欲しい。もう一度…。そしたらオレ…)
 キュッと目を瞑ってハボックがそう思ったとき。
「ハボ、お前、なに考えてんだよ」
 向かいの席から聞こえた声にハッとして目を開ければブレダが険しい顔で睨んでいた。その顔を暫くの間ハボックは見つめていたがやがてゆっくりと言う。
「ブレダ、答えは一個しかないって最初に言ったじゃん」
「あん時はな。でもその答えが正しいとは限らねぇだろ」
「ブレダ」
「やめとけ、ハボ。お前にゃ無理だ。大体あれからあの人、何にも言ってこないんだろう?結局はそういうことだよ」
「ブレダ…でも、オレ…っ」
 縋るような空色の瞳にブレダは耐え切れずにガタンと立ち上がった。
「絶対やめとけ、いいな、ハボ」
 吐き捨てるようにそれだけ言うと、ブレダは司令室を出て行った。

 ハボックの視線から逃げるように司令室を出たブレダは苛々と廊下を歩いて行く。ハボックの気持ちは判っていた。彼はロイが好きなのだ。そしてロイの言葉を信じるのならロイもまたハボックが好きだと判っていた。
「冗談じゃねぇ、信じられるかよ」
 あれだけ奔放に女性と付き合っていた男が俄かにハボックを好きだと言ったとして「はい、そうですか」と頷ける筈がない。
「摘み食いされちゃ堪んないんだよ」
 子供の頃からよく知っている。明るくて無邪気で優しくて。ブレダ自身、ハボックの存在に救われた事が何度もあるのだ。誰よりも幸せになって欲しいと願う存在に突然降って沸いた騒動に。
 ブレダは眉間に深い皺を刻んでドカドカと廊下を歩いていったのだった。

「よし、今日の訓練はここまで!」
 ハボックは居並ぶ隊員達にそう声を張り上げると「ふぅ」と息を吐く。副官の軍曹が歩み寄ってくると言った。
「どうしました、隊長。今日は今ひとつ精彩に欠けていた様に見えましたが」
「…よく見てんなぁ、もう」
 ハボックは頭ひとつ低い軍曹を見下ろして苦笑する。
「そりゃあ、隊長の出来不出来が我々の生還率にも係わってきますからな。見極めはしっかりしませんと」
 にやりと笑って言う相手にハボックも笑みを返したが、フッと目を細めて言った。
「どうしたらいいのか判らないことがあって」
「どうしたらいいのか判らないこと?」
 ハボックの言葉をそのままに繰り返して聞く相手にハボックは頷く。
「うん。…いや違うな、どうしたらいいか判ってはいるけどどうすればいいのか判らないこと、かな」
「なんだか謎かけみたいですな」
 回りくどいその言い方に軍曹は苦笑した。それから年若い上官を見上げて言う。
「あたしは難しい事は判りませんが、でも、どうしたらいいのか判っているのならその通りにしたらいいんじゃないですかね」
「軍曹」
 あっさりとそう言われてハボックはしげしげと相手を見つめた。軍曹はまっすぐに見つめてくる瞳に困ったように笑う。
「まあ、言うのは簡単ですわな。勝手なことを言いました、気にせんで下さい、隊長」
「ううん、ありがとう、軍曹」
 ハボックは笑って礼を言うと司令部の建物へ目をやったのだった。

 司令室に戻るとブレダが自席で煙草をふかしていた。ハボックが執務室の扉へ視線を向けたのに気付いて言う。
「大佐なら会議でいねぇよ」
 ブレダの声にハボックは視線を友人に向けると言った。
「ブレダ、今夜時間ある?」
「え?あ、ああ。あるけど…」
 唐突に言われてブレダは目を丸くして答える。ハボックはうっすらと笑みを浮かべて言った。
「オレ、大佐に自分の気持ち伝えようと思う。だからブレダも聞いてて」
「な…っ、ハボっ、お前ッッ」
「ブレダに言われて、オレ、すっごい考えた。でもやっぱり気持ちは変わんないんだ。だから大佐に伝えたい」
「………俺は反対するぞ」
「いいよ。でもオレは大佐に言いたいんだ」
 キッパリと言い切って、ハボックはフッと表情を和らげると言う。
「ごめんね、ブレダ」
「ハボック、お前なぁッ」
「これで大佐にこの間のは気の迷いだったってフラレたらブレダに泣きつくから」
「……ッ」
 既に半分泣いているような表情でそう言うハボックにブレダはグッと言葉を飲み込んだ。
「勝手にしろ。でも俺は言いたいことは言うからな」
「うん。ありがとう、ブレダ」
 そう言って笑う空色の瞳に、ブレダは深いため息をついたのだった。


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