レヴィアタンの焔  第二十七章


「おはよう、ブレダ」
 キッチンから漂ってくるいい匂いで目を覚ましたブレダにハボックが言う。ベーコンを焼くハボックの手元を大きな欠伸をしながら覗き込んだブレダが言った。
「おはよ。良く眠れたか、ハボ」
「うん。ブレダこそソファーじゃ眠れなかったんじゃねぇ?ごめんな」
 大欠伸をしているブレダにハボックがすまなそうに言えばブレダが笑う。
「んなことねぇから気にすんな。それよりいい匂いだな。俺、卵両面焼きな」
「オッケー。もうすぐできるからコーヒー注いでくんねぇ?」
「おうよ」
 ブレダは答えて既にセットしてあったコーヒーのポットを持ち上げると二人分のコーヒーをカップに注いだ。それを手にダイニングへと行けばハボックがベーコンエッグの載った皿を持ってついてくる。千切ったレタスに手製のドレッシングをかけただけというサラダの器も持ってくると二人は席に着いて食事を始めた。
「お前、朝からドレッシングまで作ったのか?」
「作ったって言ったって材料混ぜ合わせただけだもん。作ったうちに入んないよ」
「そうかぁ?朝からやろうって思うだけでもスゲェと思うけどね、俺は」
 そう言えばハボックが嬉しそうに笑う。その顔を見ながらブレダはふと浮かんだ考えに眉を顰めた。
(そういや大佐、こういうの好きそうだよな…)
 好きな相手が自分のためだけに朝からせっせと食事の支度を整えてくれる風景。自分好みに焼いた卵に好みの濃さに淹れたコーヒー。簡単とはいえ市販のものでないドレッシング。
(ハボのヤツ、パンも焼けるよな、確か)
 自分の為にパンまで焼いてくれるのだと思えば、あのロイのこと、喜び勇んでハボックを一緒に住もうと口説き落としにかかるに違いない。
「………ハボ」
「なに?あ、卵、硬すぎた?」
 眉間に深い皺を刻んだブレダに呼ばれてハボックが心配そうな顔をする。
「いや、違う。卵はもろ好みの焼き加減でスゲェ旨い」
 慌ててブレダがそう言えばハボックがホッとした笑みを浮かべた。
「よかった。…んじゃ、なに?難しい顔して」
「ハボ、お前暫くは大佐と二人きりになんな」
「えっ、どうして?」
 驚くハボックにブレダが難しい顔をして言う。
「昨日の今日で二人きりになったりしたら向こうだって期待するだろ?お前、もう返事決めたのか?」
「あ…っ、う…、その……まだ」
「だったら当分返事すんな。大事な事だからな、じっくりよーーーく考えてから返事した方がいい。何せ相手は あの大佐だからな。それだったら尚の事ホントにお前、大佐と二人になるなよ。送迎もオレがするから」
「えっ、送迎ぐらいオレがするよっ」
 驚いて言うハボックをブレダは睨んだ。手にしたフォークを振りながら言う。
「ダメだ。車なんて密室だろうが。そんなところで二人きりになってみろ。大佐のことだ、上手い事言われてつい 雰囲気に流されてなんて事になりかねないからな。そんなんで頷いちまったら一生後悔しかねん」
「で、でも、ブレダ。オレ、大佐のこと…」
 好きなんだけど、と顔を赤らめるハボックにブレダは内心ダンダンダンと床を踏みつけた。
「ダーメーだッ!!とにかく絶対俺がいいって言うまで大佐と二人きりになるな。慌てて返事するな。今まで女の子と付き合う時だって慌てて“イエス”って言って痛い目見てんだろう?」
 そう言われれば決して身に覚えがないとは言えないハボックは言葉に詰まる。ハボックが何も言えないのをいい事にブレダはフォークを突きつけて言った。
「とにかく当分は護衛も送迎も俺の仕事だ。お前は、そうだな半年くらいよっく考えてから大佐に返事しろ」
「半年ぃっ?!いくらなんでもそんなに待たせらんないよッ、それにその間に他の人が大佐に言い寄ってきたりしたら」
「それで心が動くんならそれだけの気持ちだったって事だ。いいじゃねぇか」
「ブレダぁ」
「いいから言う事を聞け。ガキのころから困った時のブレちゃん頼み、間違った事、なかったろ?」
 ブレダはきつい口調でそう言ったあと、ニヤリと笑ってハボックの髪を掻き混ぜた。
「大丈夫だって。もし大佐が本気なら慌てて返事なんて貰おうと思っちゃいないさ。だからお前も焦んな。しっかり考えろ、いいな?」
「う…ん」
 渋々ながらも頷くハボックに、この話はここまでとばかりにブレダはガツガツと物凄い勢いで食べ始める。そんなブレダにハボックは一つ息を吐いて卵を口に運んだ。

「……それで、どうして貴官が来ているのかな?」
 送迎はハボックの担当の筈だが、と言うロイにブレダは澄まして答える。
「昨日あんな事があった後では大佐もハボックに合わせる顔がないかと思いまして」
 部下としての心遣いです、と平然として言い放てばロイが思い切り顔を顰めた。それでもブレダが開けた扉から大人しく車の中に滑り込む。運転席に回ったブレダがゆっくりと車をスタートさせるのを待って口を開いた。
「ハボックから話は聞いたのか?」
「ええ、一部始終」
「それで、私は君に殴られるのかな」
 そういえばそんな事を言ったなと思いつつブレダは鏡の中のロイをチラリと見る。
「とりあえず今んとこは殴らずに済みそうですね」
「そうか、それを聞いて安心したよ」
 ロイは本気でそう思っているのか判らない口調で言った。それから暫くの間どちらも口を聞かなかったが、ロイの方が耐え切れなくなったとでも言うように口を開く。
「ハボックは何か言っていたか?その、今度のことをどう思ったか、とか」
「いいえ、何も」
「私の事をどう思っているかとか?」
「何も言ってなかったです」
 ブレダの答えにロイは半ば乗り出していた身を車のシートに戻した。一つため息をつくと窓の外へ目を向ける。
「そうか……。だが少なくとも気持ちが悪いとか、そう言って引かれたりはしてないわけだ」
 あの時も『嘘だ、信じない』とは言っていたが、嫌悪感を表されたりはしていなかったはずだ。
「……上司だから気を遣って言わなかっただけかもしれませんけどね。アイツ、ああ見えても結構気配りの人だから」
 何とか悪い方向へ考えるのだけはやめようと、色々自分に言い聞かせていればブレダがそう言う声が聞こえてロイは苦笑する。
「意外と意地が悪いな、少尉。君は私がハボックと付き合うのは反対かね?」
(そういえばブレダ少尉はハボックの古くからの友人だったな)
 そう考えながらロイはブレダに尋ねた。そうすればブレダが少しして聞き返してくる。
「大佐、ハボは男ですぜ?アンタは根っからの女好きだと思ってましたけど」
「そうだな」
「じゃあ、なんでハボなんです?アイツ、ああ見えてもすげぇ真面目で男でも女でも遊びで誰かと付き合えるようなヤツじゃないですよ?」
「遊びのつもりなんてないよ、少尉」
 ブレダの言葉をロイはキッパリと否定した。
「私は真面目にハボックに告白したんだ。好きだってね」
 そう言うロイをブレダは鏡越しにまじまじと見つめる。車を道の端に寄せて止めると振り向いてロイの顔を見た。笑みを浮かべて見つめてくる黒い瞳を見つめ返したブレダは低い声で言う。
「だったら尚の事賛成できません」
「なぜ?」
「アイツにアンタは荷が重過ぎます。本気であればあるほど傷ついて泣くのがオチだ」
「……ハボックは私が好きだと言ったのか?」
 そう言われてブレダは思い切り舌打ちするとハンドルを握りアクセルを踏み込んだ。勢い良く走り出す車に背をシートに押し付けられながら、ロイは薄っすらと笑った。


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