レヴィアタンの焔  第二十五章


「ああ、もうっ、うるせぇな、どこのどいつだよッ!!」
 ザアザアという雨音を打ち消すほどの大きな音でドンドンと扉を叩く人物に向けて、ブレダはそう悪態をつくとガシガシと頭を掻きながら玄関へと向かう。気を落ち着かせる為一つ息を吐くと扉を開けた。
「こんな夜遅くにどこの阿呆だ、コノヤロウッ!」
 低くそう唸りながら扉を開ければ目の前に立っていたのは。
「ブレダぁ」
「…え?ハボ?」
 バスローブ一枚で全身ずぶ濡れのハボックの姿にブレダは目を丸くする。呆然としているブレダの前でハボックはクシャクシャと顔を歪めたと思うとガバッとブレダに抱きついてきた。
「ブレダ〜〜ッ」
「おわッ、ハボ、つめてぇッ!!おめぇ、つめてぇよッ!!」
 ずくずくに濡れた体は水を纏っているようだ。その体でギュウと抱きつかれたのだから堪らない。ブレダはぎゃあぎゃあ喚きながらハボックの体を引き離した。
「お前、一体どうしたよ?」
 しっかりと濡れてしまった服をパタパタと叩きながらブレダは聞く。ハボックの顔を濡らすのが雨だけでない事に気付くと眉を顰めた。
「とにかく中入れ。な、ハボ」
 ブレダはそう言ってずぶ濡れの友人を中へと通す。濡れて寒いのだろう、小刻みに震えるハボックに言った。
「シャワー浴びて来い。生憎浴槽なんてもんはついてないからな。あっついの出して頭から被って来い、いいな、ハボ」
 そう言えばハボックがブレダを見る。小刻みに震える色をなくした唇が何か言う前にブレダはハボックを浴室へと追い立てた。ハボックが中へ入って少ししてシャワーの音が聞こえてくるとブレダはとりあえずホッと息を吐く。友人の為にスウェットの上下を出すと脱衣所の扉を開け、中へと声をかけた。
「ハボ!ここにスウェット出しとくからこれ着ろ!パンツも、新しいの置いとくから!サイズ合わねぇだろうけど我慢しろな」
 それだけ言ってハボックの返事は待たずに扉を閉める。それからぶるりと体を震わせると自分の体を抱き締めた。
「くそう、びしょ濡れじゃねぇか。せっかく風呂入ったのに」
 そう呟くと寝室に入り濡れた服を脱いで新しいものに着替える。その頃にはシャワーの音もやんで、少しするとハボックが出てきた。袖も裾も短いスウェットの上下を来たハボックはさっきより少しだけ顔色がよくなったように見える。ブレダはカップになみなみとコーヒーを注いでくるとハボックを促して腰を下ろした。
「まあ、飲め」
 ハボックの前にドンとカップを置いて言えば空色の瞳が見つめてくる。顎をしゃくって飲むように促すとハボックはカップを手に取りコーヒーを口にした。
「苦い……」
「あ?だってお前、ブラック派だろ?甘いのは嫌いだって言ってたじゃねぇか」
「大佐んとこで飲んだココアは甘かったけど旨かったもん」
「はあ?」
 訳判らんと首を捻ったブレダが一体全体どうしたんだと聞こうとした矢先、ハボックの瞳からポロポロと涙が零れ落ちてブレダは目を瞠る。
「ハボ……」
「ひ……ぅ……ッ」
 唇を噛み締めてボロボロと涙を零すハボックをブレダはじっと見ていたが、やがてボソリと聞いた。
「お前、あの格好で大佐のとこから来たのか?まさか大佐に何かされたんじゃ…」
「ちっ、違…ッ、そうじゃない…ッ」
「んじゃ、何でお前泣いてんだよ、バスローブ一枚で雨ん中走ってきて、なんかあったからそんな事になってんだろっ?」
 泣きじゃくるハボックにブレダが苛々として言う。ハボックは何度か口を開いては空気を吸い込み、そして吐き出すように言った。
「だって、大佐がオレのこと好きだって言うんだもんッ!」
「………は?」
 大口を開けてハボックの顔を見つめるブレダにハボックはグシグシと目をこすりながら続ける。
「大佐がオレのこと好きだって……あんな綺麗な恋人いるのに、そんな訳ないじゃんッ!あり得ねぇよ!オレが大佐のこと好きだって知ってからかってんだっ!!」
 ハボックはそう喚いてコーヒーをがぶがぶと飲み干すとガタンと立ち上がった。
「帰る」
 涙を拭きもせずそう言うと部屋を出て行こうとするハボックをブレダは慌てて引き止める。
「待て、ハボ。この大雨の中帰る気か?またずぶ濡れになっちまうだろうが。今夜はここに泊まってけ」
「でも…」
「いいから。それともう少しちゃんと話して聞かせろ。夜遅くにあんななりで押しかけてきてろくに説明もないんじゃ、怒るぞ、俺は」
「……ごめん」
 ショボンと俯く背の高い友人の髪をブレダはワシワシと掻き混ぜた。その髪がしっとりと濡れているのに気付いてブレダは言った。
「その前にちゃんと髪、乾かして来い。話はそれからだ」
 そう言えばハボックは大人しく洗面所へと向かう。その背を見送って一つため息をつくと、ブレダは電話へと手を伸ばした。

「ハボック!!」
 ロイは雨の中、飛び出したハボックの姿を捜して走り回る。夜目にも明るい金色の髪を捜して回ったが、ハボックの姿を見つけることは出来なかった。
「ハボック……」
 僅かな期待を持って帰った家にもハボックの姿を見つけることが出来ず、ロイはドサリと椅子に腰を下ろす。濡れて顔にかかる髪をかき上げた手で額を押さえると上半身を曲げて縮こまった。
“本気なわけないっしょ?!アンタ、すげぇ女好きで、結婚しようとまで思ってるあんな綺麗な恋人がいて、なんでオレが好きだなんて言うんスかッ?!”
「本気に決まってるだろうッ、人の告白をなんだと思ってるんだ、アイツは。大体私はジェーンとはとっくに別れて……」
 そこまで呟いてロイは眉を顰める。
“もうプロポーズもして結婚の日取りなんかも決めたんでしょ?”
 ハボックの言葉を思い起こして眉間の皺を更に深めた。
「言ってなかったか、ジェーンとのことを、ハボックに…」
 よく思い出そうとロイが体を起こした時、電話のベルが鳴り響く。ロイは僅かに目を見開いて電話を見つめていたが受話器を取り上げるとゆっくりと耳に押し当てた。
「…もしもし?」
『大佐?ブレダですが』
「ブレダ少尉?どうした?」
 夜も遅い時間の部下からの電話にロイは何事かと耳を澄ます。そうすればロイの耳に飛び込んできたのは思いがけない言葉だった。
『大佐…。ハボですけど今俺のアパートに来てます』
「ハボックがっ?!電話を変わってくれ、少尉」
『今はちょっと出られません。それで、大佐。俺、今からハボに話聞こうと思います』
「ブレダ少尉?」
 低い、感情を抑えた声にロイは訝しげにブレダを呼ぶ。受話器の中からブレダの不機嫌そうな声が聞こえた。
『こんな夜遅い時間にバスローブ一枚で裸足でびしょ濡れになって……。事と次第によってはたとえ大佐でもぶん殴りますから。それじゃ失礼します』
「えっ、あ、おいっ、少尉ッ?!」
 ガチャリと冷たい電話が切れる音にロイは慌てて受話器に向かって叫ぶ。だが、受話器からは空しく発信音が聞こえるだけで、ロイは仕方なしに受話器をフックに戻した。
「一体どうなってるんだ…大体どうしてブレダ少尉のところなんかに」
 そう呟いたロイはぶるりと体を震わせると大きなクシャミをしたのだった。

「ああ、くそっ」
 ブレダが受話器を置いてそう呟いた時、ハボックが戻ってくる。ブレダはしょんぼりとうな垂れる友人に笑いかけて言った。
「おう、ちゃんと乾かしてきたか?」
「うん」
「そうか。……ビール飲むか?」
「ううん、いらない」
 そう答える友人にブレダは椅子に座るよう促す。ハボックの向かいに腰を下ろすとブレダはハボックを見て言った。
「最初から判るように話せよ、ハボ」
 そう言ってブレダはテーブルに肘をついて手を組む。ハボックは困ったように笑うと言った。
「軽蔑するかもよ?」
「しねぇよ」
 即座に帰ってくる言葉にハボックは顔を歪める。泣き出しそうな顔でブレダを見ると言った。
「どうしよう、ブレダ…。オレ、どうしていいのか判んねぇ…」
「だーかーらー。話せって言ってんだろ?話聞いたら一緒に考えてやる」
 そう言うブレダをハボックは頼もしそうに見る。子供の頃から何か困ったことにぶち当たる度この友人に相談してきた。話をして自分の気持ちを落ち着かせるだけの事もあれば、意見を聞くこともあった。ブレダの意見はハボックにはとても考え付かない事だったりして、とても頼りになったものだ。今回もきっと何かいい考えを授けてくれるだろう。
「あのさ、ブレダ…」
 ハボックはグッと手を握り締めるとロイとのことを話し出した。


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