レヴィアタンの焔  第十七章


「くそ…ッ」
 今にも崩れ落ちそうな建物の中をロイは出切るだけ早く駆けていく。瓦礫を飛び越え階段に辿り着くと駆け上がっていった。
「ハボックッ!どこだっ?!」
 大声を張り上げて部下を呼んだが返る答えはない。ロイは粉塵で視界が利かない中、辺りを見回しながら先へと進んでいった。足を踏み出した途端、上から瓦礫が落ちてきてロイは慌てて飛び退る。一刻を争う中、中々求める姿が見つからない事にロイは焦りを覚えた。
「まさか瓦礫の下敷きに……」
 そう考えて慌てて首を振る。それでもどこかで身動き出来ない状況にあるのではと不安に駆られながらハボックと別れたフロアまで辿り着いたロイは、必死に目を凝らしてハボックを捜した。
「ハボックッ!!いたら返事をしろッ、ハボックッ!!」
 そう怒鳴ったロイは瓦礫の間に蹲る影が視界に入ってギクリと体を強張らせる。それが、床に倒れこんだハボックだと気付いた瞬間弾かれたように走り出した。
「ハボックッッ!!」
 名を叫んで手を伸ばした時、足元の床が崩れ落ちる。
「ッッ?!」
 間一髪落ちずに済んだロイはハボックとの間に出来た大きな亀裂に目を見開いた。
「ハボックッ!!」
 大声で呼ぶもののピクリとも動かない体に血の気が引く思いがする。ロイはギリと歯を食いしばると足元に転がる破片を跳ね除け、降り積もる粉塵を手のひらでこすった。指先を噛み切ると現れた床に血で錬成陣を描く。両手を当てて陣を発動させれば眩い光と共にハボックの元へと続く床が錬成された。新しく出来た床を走り抜け、ロイはハボックのところへ辿り着く。床に横倒しに倒れたハボックのざっくりと切り裂かれた背中から溢れた血が作る血だまりの中に膝をつくとハボックの体を抱き上げた。
「ハボックッ!!」
 粉塵に塗れて輝きを失った金色の髪がハボックの命の輝きまでもが失われてしまったように見せる。ロイはハボックの髪をかき上げるとその首筋に触れ、弱いながらも脈打つものを見つけてホッと息を吐いた。
「この……馬鹿者が…ッ!」
 気を失って倒れているハボックに向けてか、はたまたハボックの怪我に気付かずお気楽にも「追いかける」と言う言葉を信じてハボックを置き去りにした自分に向けてか、そのどちらへともなくロイは呻くように言う。ハボックを見つけられた事に安堵の息を零しながらも、危険が去ったわけではないこの現状に、ロイがハボックを抱えて立ち上がろうとした時、ハボックの金色の睫が僅かに震えた。
「ハボック?」
 ゆっくりと覗く空色の瞳にロイはホッとして名を呼ぶ。そうすればハボックが嬉しそうに微笑んだ。

 遠くから呼ぶ声が聞こえたような気がして、ハボックは目を開いた。するとそこには心配そうに自分を覗き込むロイの顔があって、ハボックは嬉しくなって微笑む。笑みを浮かべながらハボックは神さまって言うのはなんて気前がいいのだろうと考えた。
(もう、いっぱいご褒美貰ったのに、最後にこんな幻、見せてくれるなんて……)
 あれだけで十分幸せだと思ったのに死にゆく最後の瞬間にロイの幻を見られた事にハボックはどこにいるかも判らない神に感謝する。幻に向けて手を伸ばすとその頬にそっと触れた。
(好き……ずっと好きだったんです……)
 そんな風に告げれば驚いたように見開かれる黒い瞳がおかしくてハボックは笑みを深める。幻ですらこんな風に驚くのだから、本物には告げずによかったのだとそう思ってそっと息を吐いた。
(好き…………ごめんなさい…)
 驚かせて、気持ちの悪い思いさせて、と、そう思いながらハボックはそっと目を閉じた。

 頬に触れた手が力を失って落ちるのをロイは慌てて掴む。今、ハボックが呟いた言葉がどういうことなのか、咄嗟には理解出来ずに緩く首を振った。
(好き、と言ったのか?私が?それとも他の誰かと間違えて?)
 まっすぐに見つめてきた空色の瞳に、そっと触れてきた指先に考えずとも期待してしまう己にロイは唇を噛み締める。その時、大きく建物が揺れて、ロイは慌ててハボックを抱えなおして立ち上がる。
(考えるのは後だ)
 一刻も早くここから脱出してハボックの手当てをしなければ。
ロイはハボックの体をしっかりと抱き締めると、来た道を出来る限り急いで戻っていった。

「ダメだ、もう崩れちまうッ」
 ブレダは食い入るように建物を見上げながら呻く。それ自身では最早建つ力を失った建物がゆっくりと崩壊していくのをブレダとホークアイは信じられない思いで見つめていた。
「大佐ァッ!!」
 数歩建物に走り寄ったもののそれ以上何をする事も出来ず、ブレダは唇を噛み締める。もうダメだと思った瞬間、ビルの入口から飛び出してきた塊りにブレダは大きく目を見開いた。
「大佐ッ!!」
 飛び出した途端、倒れるように跪くロイにブレダは駆け寄るとロイの腕を引っ張るようにして引き起こす。数瞬遅れて来たホークアイと両脇から支えるようにしてロイを建物の傍から引き離したその数瞬後、建物が轟音と共に崩れ落ちた。
「う、わ……危機一髪…ッ」
 肩越しにブレダがそう呟けばホークアイも青い顔で濛々と煙を上げる建物を見つめる。その時、ロイが叫ぶように言った。
「医療班ッ!早くハボックを…ッ」
 その声にハッとしてロイに目をやったホークアイとブレダはロイの腕の中のハボックの姿に目を見開く。傷口から滴る血がロイのシャツとズボンをも紅く染め、地面に紅い模様を描いていた。
「早くッ、こっちだっ!!」
 ロイの言葉に駆け寄ってくる男達にブレダも声を上げる。広げられたシートの上にロイはハボックの体をそっと横たえると一歩下がった。
「止血をっ、早く!」
 男達が声を交わしつつハボックに応急の処置を施していく。そうして瞬く間にハボックが設備の整った病院へと運び出されていくのをロイは瞬きもせずに見つめていた。

 何本ものチューブに繋がれてベッドに横たわるハボックの病室の扉が静かに開く。ロイが疲れた足取りで中へ入ってくると、ベッドの脇に置かれた椅子に腰を下ろした。静かに眠るハボックの手を取るとそっと握り締める。
 なんとか一命を取り留めたもののまだ意識の戻らないハボックにロイは唇を噛み締めた。どうしてあの時、上官命令だと言ってでもハボックを連れて逃げなかったのだろう。どうしてハボックのケガに気付きもせず、追いかけると言ったハボックの言葉を鵜呑みにしてしまったのだろう。
(もしあそこでハボックを失うような事になっていたら……)
 そう考えれば背筋を冷たいものが走り抜ける。誰よりも大切で誰よりも傍にいて欲しい人の手を離しかけてしまったことで、ロイは逆に自分にとってのその人の重さを実感した。
(失わずに済んで、本当によかった……!)
 どこにいるか判らない神に感謝しつつロイはハボックの手を握る己のそれに力を込める。その時、ふとハボックが言った言葉が頭に浮かんだ。
『ずっと好きだったんです……』
(誰が?付き合っている彼女の事か?)
 そう思えば以前仲睦まじく手を取り合って歩いていたハボックの彼女の事が頭に浮かんだ。自分と同じような黒い髪に黒っぽい瞳。あの言葉は彼女に向けて言ったものなのだろうか。それとも。
(……私の、ことだろうか?)
 虫がいい話だと思いつつもまっすぐに見つめられて告げられた事を思えば期待してしまう。そして期待と共に浮かび上がってきた自分の気持ちをロイはもう抑えることが出来なかった。
(誰にも渡したくない……私はハボックを自分のものにしたい…)
 握り締めた手を引き寄せて唇と押し当てた時、コンコンとノックの音がしてホークアイが入ってくる。ベッドサイドに腰掛けるロイの傍へやってくるとハボックの顔を見た。
「少尉の様子はいかがですか?」
「容態は落ち着いているがまだ目を覚まさない。さっさと起きろと揺さぶってやりたいくらいだ」
「大佐」
 乱暴な物言いながらも心配を滲ませるロイの言葉にホークアイはくすりと笑う。ロイはハボックの顔をじっと見つめたまま言った。
「中尉。君は以前、今の私はロイ・マスタングらしくないと言っていたな。後悔するな、とも」
「はい、申しました。……余計な事を申し上げたかと……申し訳ありません」
 そう答えるホークアイにロイは笑ってその端正な顔を見上げる。
「謝る必要などない、むしろ感謝しているんだ」
「……大佐」
「もう、自分の気持ちに嘘をつくのはやめた。たとえ傷ついて疎まれたとしても永遠に失うわけじゃない。だから逃げるのはやめようと思う」
 ロイはそう言ってニッと笑った。
「二度とこんな思いはごめんだ。後悔するのも真っ平だ」
「大佐」
「君には感謝している、中尉」
 そう言っていつもの自信に満ちた笑みを浮かべるロイに、大佐にはよくとも少尉にとってみれば余計な事を言ったかもしれないと思ったホークアイだった。


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