レヴィアタンの焔  第十五章


 宝石店の扉を押し開けるとロイは中へと入っていく。ガラスケースに収まった色とりどりの貴金属を眺めていると、初老の店主が近づいてきて言った。
「どういったものをお探しでしょうか」
 そう尋ねる態度はロイが「見ているだけだ」と言えば「ではごゆっくり」とすぐに下がる用意のされたものだ。ロイはケースから顔を上げると店主を見て言った。
「婚約指輪を探しているんだが、どういったものがいいのかな。私には判らないから選んでもらうわけにはいかないだろうか」
 困ったように眉を寄せて言うロイを店主は見つめていたがやがて薄っすらと微笑んで言う。
「本当はお客様ご自身で選んだ方がよろしいのですが、そう仰るのでしたらお手伝いさせて頂きます」
 店主はそう言うとガラスケースの中からダイヤの指輪を幾つか選び出す。ビロードの台の上に並べると一つ一つ説明を始めた。
(正直どれでも変わらんのだがな)
 婚約指輪など形だけだ。いや、ロイに取って結婚すら形だけのものでしかない。本当に欲しいものは他にあるのだから。
 ロイは店主の言葉を聞きながら穏やかな笑みを浮かべていた。

 カランとドアベルを鳴らして扉を押し開けるとロイは店を後にする。肝心のジェーンの指輪のサイズが判らなかったため、ロイはまたくると告げて店を出ていた。
 賑わう通りを僅かに顔を俯けて歩く。人々の間を縫って歩いているうち、自分の進むべき道を見失いそうな気がしてロイは足を止めた。道の真ん中で立ち止まったまま、ロイはぼんやりと立ち尽くす。軽く首を振ってもう一度歩き出そうとしたとき、自分を呼ぶ声に顔を上げた。
「大佐?」
 声の主を探してロイは視線をめぐらせる。そうすれば人ごみの中であたかもそれ自身が引力を持つかのように輝く金髪へと視線が引き寄せられた。
「ハボック」
 ハボックを認めたロイがそう呼ぶのを聞いて、ハボックはにっこりと笑う。人を縫って歩いてくるとロイのすぐ近くに立った。
「こんなとこで会うなんて珍しいっスね。どこに行ってたんスか?」
 そう尋ねるハボックの声に引き寄せられるように言葉を紡ぎ出す唇を見る。その色素の薄い唇を奪いたいと思う気持ちが湧き上がって、ロイは慌ててその思いを飲み込んで言った。
「そういうお前こそ、こんな時間に一人きりでどうしたんだ?飲み会の帰りか?」
 そう尋ねられてハボックは困ったように笑う。飲みに出かけたのは確かにそうだが、一人きりでヤケ酒を煽るつもりだったのだとは流石に言えずハボックはもごもごと言葉を濁した。
 何を話したらいいのか、何故だか言葉を見つけられずに二人は互いを見つめあう。先に視線を逸らしたのはロイの方だった。「じゃあ、おやすみ」と言ってロイが歩き出そうとした時、ハボックがハッとしたように手を伸ばした。
「…っ」
 腕を掴んだ方も掴まれた方もギョッとして身を硬くする。ハボックが取り繕うようにぎこちない笑みを浮かべると言った。
「大佐、もうメシ食いました?もしよければ付き合って貰えないっスか?」
 縋りつくようなそんな視線でそう言うハボックにロイは戸惑う。何故ハボックがこんな顔をするのか、よく判らないまま返事を返せずにいるロイにハボックは泣きそうな顔で笑った。
「迷惑っスか?」
 その笑顔に胸が傷んで、ロイはハボックを抱き締めてしまいそうになる。伸ばしかけた手をギュッと握り締めてこらえると、ロイは笑みを浮かべた。
「迷惑な筈ないだろう?私も丁度何か食べたいと思っていたんだ。何か食べたいものがあるか?」
 気まずさを誤魔化すように早口に言えばハボックがホッとしたように笑う。
「や、特にないっスから大佐の好きなもんで」
 そう言うハボックにロイはいつもの笑みを浮かべると道の向こうを指差した。
「じゃあ私の知っている店でいいか?」
「いいっスけどオレ金ないっスから高い店は勘弁してください」
 苦笑混じりに言うハボックにロイはにやりと笑う。
「安心しろ、奢ってやる」
 そう言えばハボックもいつもの笑みを浮かべた。
「やりぃ」
 その言葉が二人の周りの空気を普段通りのものに変え、ハボックとロイは連れ立って歩き出した。

 イーストシティではかなり背の高いビルになるその建物の最上階にある店に入ると、すぐに支配人と思しき男が寄ってくる。
「いらっしゃいませ、マスタングさま」
 お辞儀をする男にロイが頷けばそれ以上何も言わずとも奥へと通された。落ち着いた雰囲気の個室へ入るとハボックがキョロキョロと辺りを見回す。上の空という体で椅子に腰を下ろす様にロイがくすりと笑えばハボックがロイの顔を見て言った。
「ここ、すげぇ高いんじゃねぇっスか?もしかして大佐の勝負レストラン?」
 身を乗り出してそんな事を言うハボックにロイはプッと吹き出す。クスクスと笑いながら答えた。
「ここへは誰も連れてきた事はないよ。一人になりたい時の隠れ家みたいなものだ」
 そう言って微笑むロイにハボックは目を見張る。乗り出していた体を椅子に戻すと大きな体を縮こまらせて申し訳なさそうに言った。
「そんなとこにオレなんて連れて来ちまってよかったんスか?ホントは一人で来たかったんじゃ…?」
 そう言って俯くハボックにロイは優しく笑う。
「一人で来たかったならはなからそうしてる。今日はお前とここに来たかったんだ」
 ロイの言葉にハボックは僅かに目を見開くと困ったように目を伏せる。
 そんな風に言われたら自分の都合のいい様に誤解したくなってしまう。ロイにとってもしかしたら自分はほんの僅かでも他の人間に比べて特別なのではないかと。
(そんな事ある訳ねぇのに…)
 ハボックはほんの一瞬でもそう思ってしまった自分に内心苦笑する。見せられたところで選べやしないメニューを閉じてロイに注文を一任してしまうと言った。
「今日はどうしたんスか?なんか目的があってこんな時間までうろうろしてたんでしょ?」
「ん?ああ、指輪を選んでたんだ」
「指輪…って…プロポーズする為の…?」
「女性というのはそういった形式的なものが好きらしいからな」
 自分から話を振ったものの返ってきた答えにハボックは激しく動揺する。聞かなければよかったと思いつつ今更別の話題も浮かばなくてハボックは言った。
「ついに大佐も結婚決まったんスね。おめでとうございます」
「まだ決まった訳じゃない。断られるかもしれないからな」
「んな事ある訳ないじゃないっスか。大佐に結婚申し込まれて断る相手なんて」
 いる訳ないとハボックは唇を噛み締める。そんなハボックを見ていたロイはふと思いついた事を口にした。
「本当にそう思うか?だったらお前ならどうする?私に結婚を申し込まれたらイエスと答えるか?」
「な、に言ってんスか」
 突然そんな事を聞いてくるロイをハボックは驚いて見つめる。引きつった笑いを浮かべて答えた。
「オレに聞くより本当に聞きたい相手に聞いて下さいよ、そういう事は」
 内心の動揺を必死に押し隠してそれだけ言うとハボックは懐の煙草を探る。こんなレストランでは灰皿など置いていない事に気付いてパッケージをくしゃりと握り締めた。
 一方「本当に聞きたい相手に言え」と言われたロイは唇を歪めて笑う。お前こそが聞きたい相手なのだとは言うことも出来ず、返されたつれない返事に傷つくしかなかった。
「で、良いもの見つかったんでしょ?彼女に似合う指輪」
 くしゃくしゃとパッケージを弄りながらハボックが聞く。ロイは肩を竦めて首を振った。
「いや、買わなかった」
「買わなかった?何でっスか?」
 ロイの言葉に空色の瞳をまん丸にするハボックを可愛いと思いながらロイは答えた。
「判らなかったから」
「何が?」
「指輪のサイズ」
 組んだ指の上に顎を載せて答えるロイをハボックはまじまじと見つめ、次の瞬間弾かれた様に笑う。クックと笑いながら言った。
「大佐らしくねぇっ」
 ハボックはそう言ってひとしきり笑うとロイを見て言う。
「大体サイズが判らなくたって後で電話すりゃいい事でしょうに」
「ああ、なるほど。それは思いつかなかったな」
 意外そうな顔でロイが言った。
「益々大佐らしくねぇっスよ」
 からかうようにそう言いながらハボックはほんの少し安心する。何れにせよロイが結婚する事に変わりはなくてもその日が一日でも遠ければいいと願わずにはいられなかった。
「大佐なら相手の手を握ったら一発でサイズ当てるんだと思ってたっスけど」
 ハボックがそう言えばロイが顔をしかめる。
「お前、私を何だと思ってるんだ。女性の指輪のサイズなんてそう判るわけないだろう?」
「そうっスか?」
 首を傾げるハボックをロイはやれやれと言った顔で見ていたが、にやりと笑うと言った。
「男なら判るかもな。どう思う?ハボック」
 そう言った途端、伸びてきたロイの手に己のそれを掴まれてハボックはギョッとする。慌てて手を引こうとしたがギュッと握り締められて叶わなかった。
「ちょ…っ、離して下さいよっ」
 ハボックが声を荒げたがロイは手を離そうとはしなかった。
「いいじゃないか、練習させろ。今度彼女の手を握った時すぐ判るように」
「そんなの練習しなくても普通にサイズ聞きゃいいっしょ!」
「聞かずに渡した方が驚くじゃないか」
 だから練習、と言うロイにハボックは顔を赤らめる。そっと指先を撫でてくるロイに泣きたくなった。それでもロイがなすままに手をロイに預けていたが暫らくするとそっと手を引き抜く。今度はロイも引き止めたりせず、ハボックのするに任せた。
「…サイズ、判ります?」
 恐る恐る聞くハボックにロイは苦笑して答える。
「いや、やはり判らんものだな」
 ロイの答えに何処か落胆してハボックは言った。
「やっぱりね。そりゃそうっスよ」
 はははと笑うハボックにロイはうっすらと笑う。手の中に残る温もりを逃がすまいとするかのように握り締めた。

 その後は互いに結婚の事にも彼女の事にも触れなかった。黙ってしまえばこの時間が終わってしまうとでも言うように必死に喋り続けた。少しでも長く二人の時を過ごしたくて普段では考えられない量の料理を飲み食いした。
「大佐、このデザート頼んでもいいっスか?」
 ハボックが何度目かのメニューを開いて言う。ロイは呆れたような表情を浮かべて答えた。
「構わんが腹は大丈夫なのか?」
「平気っス。デザート別腹っスから」
 ハボックはそう言ってへらりと笑って見せる。だが正直なところもう腹はいっぱいで、これ以上何か口にしたら吐き出してしまいそうな気がした。
「もうそれで終わりにしておけ。食べたければまた食べにくればいいんだから」
「なに言ってるんスか。結婚したらそんな事言ってらんないっしょ」
 そう言って笑って見せながらハボックは声が震えるのを押さえきれない。今この時間が楽しいと感じれば感じるほど、その後に訪れるであろう空虚が恐ろしくて仕方なかった。
「とにかくそれで仕舞いだ。明日も仕事だからな。もう帰ろう、ハボック」
「そ…っスね。明日もありますしね」
 ロイの言葉にそう答えながらハボックは俯いて手を握り締める。もう終わりだと思った瞬間堪らなくなったハボックが顔を上げて何か言おうとした時。
 ドオンッと大きな音と共にビルが揺れた。


→ 第十六章
第十四章 ←