レヴィアタンの焔  第十三章


 ローザに誘われるままハボックは寝室に移動する。並んでベッドに腰掛けると笑みを浮かべる唇に口付けた。舌を絡めればぴちゃりと濡れた音がしてローザの唇から甘い吐息が零れる。ハボックは角度を変えて何度か口付けるとローザの体をベッドに押し倒した。
「ジャン……」
 ハボックの名を呼んでローザが微笑む。情欲に濡れた茶色の瞳でハボックを見上げると腕を伸ばしてきた。その腕に絡めとられるようにハボックはローザに圧し掛かっていく。ブラウスの前をはだけ、レースを施した下着の中に手を差し入れると豊な胸を鷲掴んだ。
「アッ」
 そうすれば紅い唇から声が零れる。胸を揉みしだきながらその中心で硬くしこった乳首を指先で捏ねた。暫くその感触を指で味わった後、ハボックは胸を覆う邪魔な布を毟り取るようにして外す。窓から差し込む灯りに浮かび上がる白い乳房にハボックは顔を近づけると舌を這わせた。
「ああ……ジャン…」
 ローザはハボックを呼びながらその金色の頭を抱え込んで胸に引き寄せる。それと同時にハボックの腰に脚を絡めれば、スカートが捲くれて白い腿が露わになった。その腿をハボックはゾロリと撫で上げると脚の間に手を差し入れる。下着の上からでもしっとりと濡れ始めていることが判る狭間に指を這わせるとローザが甘ったるい声を上げた。ハボックは腿の付け根から下着の間に指を潜り込ませ、濡れ始めた狭間に指を差し入れる。ぬちぬちと音を立てて入口をかき回せば感じ入ったように女が尻を振った。
「ジャン……ああ、ジャン…」
 女は紅く染め上げた爪でハボックの手を掴むとまだ僅かに入っただけの指を更に奥へと誘い込む。自分の指が濡れた狭間の奥深くへと埋め込まれるのを感じて、ハボックは僅かに眉を顰めた。
「好きよ、ジャン…」
 女はそう言って微笑むとハボックの指を咥え込んだまま腰をくねらせる。自ら手を伸ばしてハボックの顔を引き寄せその唇に己の紅いそれをねっとりと絡めた。ピチャピチャと水音を立ててハボックの舌を口内を嘗め回す。唾液を混ぜ合わせ、ハボックの口中に甘い吐息を吹き込んで囁いた。
「ねぇ、ジャン……」
 強請るように言うとハボックのズボンに手をかける。ハボックはそんなローザを黙ったまま見下ろしていたが、引き込まれた手を抜き出しローザから身を離した。
「……ジャン?」
 突然離れてしまったハボックをローザは訝しげに見上げる。ハボックは濡れた茶色い瞳に苦く笑うと言った。
「…ごめん、なんか、ダメみたい」
「え?」
「カッコわりぃ…」
 そう言うハボックの言葉にローザはハボックの股間へ目をやる。ジーンズに包まれたそこは明らかに萎えたままで、ハボックの顔にも興奮の欠片すらみられなかった。
「ごめん…なんでかな」
 そう言って情けない顔をするハボックにローザは首を傾げる。
「私ってそんなに魅力、ない?」
「そうじゃなくて…ッ」
 ローザの言葉にハボックは俯けていた顔を弾かれたように上げた。ローザの顔を暫く見つめていたがまた俯くと小さな声で言う。
「ごめん、オレが悪いんだ。ローザの所為じゃないから」
 そう言うハボックをローザはじっと見上げていたがやがて微笑むと身を起こした。
「疲れてるのよ、きっと。ね、ジャン」
 ローザはそう言うとブラウスの前をかき合わせ、スカートの乱れを直す。ハボックの体にしがみ付くとその厚い胸に顔を寄せて言った。
「気にしないで。今日はこのまま休みましょう?」
 優しく言ってすり寄ってくる柔らかい体を、だがハボックは押し返す。驚いて見上げてくるローザに困ったように笑うとハボックは言った。
「ごめん、オレ、帰る」
「えっ?どうしてっ?」
「ごめん、ローザ」
 ハボックはそう言ってローザの額にキスを落とすとブランケットをその肩にかけてやる。それからベッドの上から下りると呼び止めるローザの声から逃げるように部屋から駆け出していった。

 アパートを飛び出し夜の街を駆けていたハボックはやがて速度を落としゆっくりとした足取りで歩き出す。足取りはだんだんと遅くなり、やがて道の真ん中でハボックは立ち止まった。俯いたままぼんやりと立ち尽くす長身を道行く人が訝しげにチラリと見ながら通り過ぎる。中には邪魔だとばかりにわざとぶつかるようにして通り過ぎていく男もいた。
「なんで、かな……」
 ローザは魅力的な女性だった。可愛いと思ったし一緒にいて楽しいとも思っていたはずだ。顔かたちだって自分の好みだし、体つきだって以前から自分が大好きだと公言していたボインだった。それでもローザを抱きしめてキスしてその体に触れていくうち、自分が抱こうとしている相手が誰だか判らなくなってしまったのだ。紅い唇も白い肌もふくよかな体つきも、そのどれにもハボックは惹かれなかったし触れたいとも思わなかった。相手がその気になればなるほど気持ちは冷めていってしまったのだ。
「ローザのこと、嫌いじゃないのに」
 そう呟いてハボックは自分の気持ちに気付く。嫌いじゃないというのは好きでもないということだ。それでも以前のハボックならあそこまでいったら好きでなくても相手を抱いていただろう。だが、そうする気にすらなれないほど、今の自分が求めているのはただ一人の人で。
 ハボックはそう思うと俯いていた顔を上げてゆっくりと歩き出す。歩いていた足は先ほどとは反対にだんだんと早くなり、最後には駆け出していた。人々で賑わう夜の街を走りぬけ、住宅街を通り目指す家へと駆けていく。漸くたどり着いた時には心臓は過度の負担に物凄い勢いで脈打ち、肺は酸素を体に送り込むのに悲鳴をあげていたほどだった。
 塀に囲まれた大きな家は、だが暗く静まり返ってまだその住人が戻ってきてはいないことを告げていた。ハアハアと息を整えながら暗い屋敷を見上げたハボックは僅かに眉を寄せた。
「まだ帰ってねぇの……?」
 その理由がなんなのか、無意識に考えようとする頭をハボックは激しく振ってその考えを締め出す。理由等考えたくもなかった。仕事上の会食でなければロイが家に戻っていない理由等判りきっている。浮かび上がって来ようとする考えを必死にハボックが押し戻そうとした時、近づいてくる車の音にハボックは咄嗟に物陰に身を潜めた。ロイの家の前に止まった車からロイと、もう一人の人間が降り立って、ハボックは目を見開く。
「あの人は……」
 ロイと一緒に車から降りたのは、いつかロイがデートをしていたジェーンという女性だった。ロイはジェーンの手を取ると門をくぐり屋敷へと歩いていく。扉の前で一度立ち止まった二人は優しく見詰め合うと軽く唇を合わせた。それからロイはジェーンの腰を抱くと屋敷の扉を開け彼女を中へと導き入れる。静かに扉が閉まって二人の姿が見えなくなってもハボックは目を離す事が出来なかった。
「家にまで呼ぶような関係なんだ……」
 元来ロイはプライベートの空間に他人を入れるのを好まない性質だった。ロイのデートの場所はいつだって洒落たレストランであり、その後を過ごすのは決まってホテルだった。それなのにあの女性はロイのプライベートの空間に立ちいることを赦されている。
「はは……そういうことか、馬鹿みてぇ、オレ……」
 そもそもここまでやってきて自分はどうするつもりだったのだろう。絶対に口になど出来ない想いだと判っていたはずだ。ロイに受け入れて貰えるなどありえないと判っていたからせめて部下としての立場を守るべく、想いを封じ込めその背を守る事だけで満足しようと思っていたはずなのに。
「ちょっと血迷っちゃったかな……」
 ロイのことを考えるのが辛くて、少しでも忘れたくてローザを利用しようとした。だがその結果はどうだろう。まるでローザになど興味の欠片もなかった自分に気付かされ、ロイへの想いを思い知らされただけだ。挙句の果てにはロイと彼が選んだ女性との関係を見せ付けられる結果になった。ロイがここまでプライベートに踏み込ませているということはいずれそう遠くない未来、彼らはなるべき形に落ち着くのだろう。
「今から笑う練習しとかなきゃ……笑って“おめでとうございます”って言える様にしとかなきゃ…」
 ハボックはそう呟くと屋敷を見上げる。じっと見つめていた視線がゆっくりと地面に落ちて。
屋敷に背を向けるとハボックは夜の闇に消えていった。

「綺麗に片付いてるんですのね。男の方の一人暮らしなんてもっと散らかっているものだと思っていましたわ」
 リビングのソファーに腰掛けてジェーンが言う。ロイはジェーンにグラスを差し出しながら言った。
「週に2回、ハウスキーパーに入ってもらっていますから。自分ひとりでしたらきっと凄い事になってますよ」
 そう言って向かい側に座るとジェーンを見つめる。淡いルームライトに照らされたジェーンの髪はいつもより濃い色に見えて、今ここにいない人物を連想させた。
 にこやかに会話を進めながらロイはジェーンの向こうに愛しい人の影を探す。蜂蜜色の髪と空色の瞳を持った影を。もし自分がジェーンと結婚して二人の間に子供が出来たなら、それはその影を持っているのだろうか。手に入れたくて、だが決して手に入れることの出来ない相手への想いをジェーンに注ぎ込んだなら、彼女が産む子供はハボックと同じ影形を持って生まれてきてはくれないだろうか。
「マスタングさん?」
 そう自分を呼ぶ声にロイは目の前の女をじっと見つめる。自分が欲しいものを産み落としてくれるかもしれない器を持った女を。
「私はとっくに貴女をジェーンと呼んでいるのに……。どうぞロイと呼んでください、ジェーン」
 顔を笑みの形に動かしてそう言えば女が嬉しそうに頬を染める。ロイは薄い笑みを浮かべて、ただ女の顔を見つめ続けていた。


→ 第十四章
第十二章 ←