レヴィアタンの焔  第十二章


 ロイが伸ばした指先から迸る焔が目の前の女性を瞬く間に飲み込む。綺麗な黒髪を焔に染め上げた彼女の唇から断末魔の悲鳴があがった時、ロイの隣にいたハボックがロイを罵る言葉を浴びせかけた。

「―――ッッ!!」
 ガバッとブランケットを跳ね除けてベッドの上に起き上がったロイはハアハアと荒い息を吐く。背中を嫌な汗が流れて、ロイは両手で顔を覆うと深いため息をついた。
「……またか…」
 あの夜、ハボックが女性と手を繋いで歩き去るのを見てからというもの、ロイは毎晩同じ夢を見続けていた。ハボックの彼女だと言う女性を焼き殺したロイをハボックが罵る夢だ。実際にはハボックの声は聞こえてこない。だが、空色の瞳に浮かぶのはロイを責める色だ。となれば夢の中のハボックはロイを罵っていると考えるのが当然だった。
「本当はそうしたいということか…。そうまでしてもハボックを渡したくないと……」
 そう呟いてロイは低く笑う。顔を上げて天井を振り仰ぐと言った。
「そのうち狂うかもしれんな、私は…」
 いつか夢と現実の狭間が曖昧になり、その区別がつかなくなった時自分はどうするのだろう。それはさほど遠くない未来の事のようにロイには思える。
 そうならない為には自分は一体何をすればいいのか。ロイはベッドを降りると窓に歩み寄り、カーテンの隙間から覗く空を見上げながら自分の胸に問いかけたのだった。

「よお、ハボック」
 休憩所の傍を通りかかったハボックは聞こえた声に足を止める。ソファーに座ったゲイツが煙草をふかしながら手を振るのが目に入って、ハボックは休憩所の中へと入っていった。
「ゲイツ、久しぶり」
「おう」
 ハボックはそう言うとゲイツの向かいに腰を下ろす。咥えていた煙草の灰を灰皿に落とすハボックにゲイツが言った。
「ハボック、お前、ローザと上手くやってるらしいじゃないか」
「え?あ、うん。まあね」
 ニヤニヤと笑って言うゲイツにハボックは曖昧に答える。ゲイツは煙を吐き出しながら楽しそうに言った。
「アンのところにローザから電話があったって聞いてよ。ベタ惚れらしいぜ、彼女」
 上手くやったなぁ、感謝しろとからかう様に言うゲイツにハボックは困ったように笑う。あまり元気のないその様子にゲイツは眉を顰めた。
「なんだよ、彼女と上手く行ってるってのに元気ねぇな。なんか気に入らねぇことでもあるのか?」
 そう聞かれてハボックは慌てて首を振る。無理に笑顔を作ると言った。
「気に入らねぇことなんてないよ。ローザはイイコだし」
「可愛いしボインだしなっ。どうよ、やっぱ胸デカイといいもん?」
 ニヤリと笑って言うゲイツにハボックはただ笑ってみせる。そうすればゲイツはぐでーっとソファーに背を預けると言った。
「ああチキショウ、いいなーっ。アンはいい子だけどいまいち胸デカくないんだよなぁっ」
「……お前、酔ってんのかよ、ゲイツ」
 しきりに羨ましがるゲイツにハボックは苦笑する。ゲイツはひとしきり騒ぐと煙草を灰皿に押し付けた。
「また今度、四人で飲みに行こうぜ。色々話、聞かせろよ」
「ああ、そうだな」
 じゃあ、と言って歩き去るゲイツにハボックは手を上げる。その背が角を曲がって見えなくなるとハボックはため息をついた。
 結局その後、ハボックはローザとデートするようになっていた。積極的なローザに誘われるまま、一緒に食事をしたり映画を見たりとデートの真似事のようなことを繰り返してはいたが、ゲイツが言うような一歩踏み出した関係にはいまだなってはいなかった。
(キスだって殆んどしてないな、そういや)
 そう思いながらプカリと煙を吐き出せばいつかの光景が目に浮かんだ。

 ローザを部屋まで送り届けてそのまま帰ろうとするハボックをローザは引き止めると唇を重ねてきた。彼女の腰に手を回すでもなく、ただぼんやりと見つめるハボックにローザは拗ねたように言ったのだ。
『私ってそんなに魅力ない?ジャン』
『え?いや、そんな事ないけど…』
『だったらキス位して?ね、ジャン』
 そう言って再び唇を重ねてきたローザをハボックは緩く抱き締めた。手を振ってローザが部屋の中に入るのを見届けてハボックはゆっくりと歩き出す。手の甲で唇をこすれば唇に残った口紅がついて、ハボックは何度も何度も唇をこすった。

(イイコなんだよ、とっても。明るいし、優しいし、可愛いし、ボインだし)
 しかも自分を好いてくれている。それなのに一歩踏み出せないその理由はなんだろう。そう考えれば浮かんでくる面影をハボックは慌てて心の中から締め出した。
(イイコなんだ、ホントに。オレには勿体無いくらい)
 ハボックはそう思うと煙草を灰皿に押し付け立ち上がる。休憩所を出て司令部の入口近くの公衆電話まで行くと受話器を取り上げコインを放り込んだ。ダイヤルを回しコールの後、出た人物にローザへ繋いでくれるよう言うとまた暫く待つ。漸く聞こえてきた声にハボックは受話器を握りなおすと言った。
「ローザ?オレ。仕事中にごめん。あのさ、今夜会えないかな。その……もし迷惑でなければ君のアパートに行きたいんだけど」
 ハボックがそう言えば受話器の向こうから嬉しそうな声が返ってくる。必要な事だけ告げるとハボックは受話器をフックに戻した。
「これでいいんだよな、これで……」
 ハボックは目の前のガラスに映る自分に向かってそう呟くとのろのろと司令室に戻っていった。

 ハボックが書類を出して戻ってくるとロイはもう帰った後だった。
「大佐、今日はえらい早いじゃん」
「デートだろ、どうせ。最近せっせと会ってるみたいだぜ」
 ブレダが自席でそう言いながら伸びをする。ふと思い出したように言った。
「そういやお前、その後どうしてんの?ゲイツに紹介してもらった子と上手くいってんのか?」
「うん。今日もこれからデート」
「チェッ、チキショウ、大佐といいお前といい…。俺だって彼女欲しいぞっ!」
 不貞腐れて言うブレダに笑うとハボックは片づけを済ませ席を立つ。
「じゃ、悪いけどお先」
「おお、精々仲良くして来い!」
 自棄のように手を振るブレダに手を振り返して、ハボックは司令室を出て行った。

「いらっしゃい、ジャン」
「急にごめん。これ、君に」
 アパートを訪ねればニコニコと出迎えにでてきたローザにハボックはロイを見習って買い求めた花束を渡す。ローザは驚いたように目を見開いて、それから満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、とっても嬉しいわ、ジャン」
「そう?よかった」
 ハボックは招き入れられままにアパートの中へと入る。綺麗に片付けられた部屋は女性らしく可愛らしいカーテンがかけられ、小さな置物や写真が飾ってあった。
「ちょっと花を生けてきちゃうわね」
 座ってて、と言われてハボックはダイニングの椅子を引いて腰掛ける。テーブルの上には綺麗に盛り付けられた皿が並んでいた。
「ローザが作ったの?」
 奥に向かってそう声をかければ恥ずかしそうな声が返ってくる。
「あんまり自信ないの。期待しないでね」
 その言葉にハボックは目の前の皿に手を伸ばすと揚げた肉を一つ摘んで口に放り込んだ。口ををもぐもぐと動かしているとローザが戻って来てハボックを軽く睨む。
「いやぁね、摘み食いしたの?」
「美味いね」
 にっこり笑ってハボックがそう言えばローザが顔を赤らめる。花を生けた花瓶を窓辺に置くと言った。
「冷めないうちに食べましょ」
「すっげぇ、腹ペコだよ、オレ」
 そんな事を言いながら二人は向かい合わせに座ると、食事を始めたのだった。

「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 アパートの窓からもうすっかりと暮れた空を見上げていたハボックは、ローザの差し出したカップを受け取る。勧めたソファーに座りもせずに窓から外を見ているハボックにローザが言った。
「何を見てるの?」
「ん?空」
 ハボックは答えて夜空を見上げる。その漆黒に誰かの瞳を重ねた時、ローザがハボックに身を寄せてきた。
「今夜は泊まっていってくれるんでしょう?ジャン…」
 そう言って見上げてくる濡れた茶色の瞳をハボックは無表情に見下ろす。普通の男なら魅力的に見えるのであろうその茶色い瞳に、何も感じる事が出来ずにハボックは答えた。
「オレなんかが泊まっていっていいの?」
「ジャンだから泊まって欲しいの」
 ローザはそう言うと艶然と微笑む。その朱を刷いた唇にハボックはゆっくりと己のそれを重ねた。


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