久遠の空  第九章


「ハボック少尉、いる?」
 ウルフは記憶を頼りにやってきた部署の一番扉に近いところに立っていた男にそう尋ねる。そうすれば男は部屋の中を見回して声を張り上げた。
「ハボック少尉!お客さんです!」
 その声に書類の山の間からヒョコッと金色の頭が覗く。ウルフの姿を認めて「あれ?」という表情を浮かべたハボックが、立ち上がって扉のところまで来た。
「ウルフ少尉?どうしたんスか?こんなところまで」
 不思議そうに言うハボックをウルフは部屋の外へと誘う。廊下を歩いて少し離れた窓のところまで来ると、ウルフは足を止めて振り返った。
「正式にはまた改めて連絡が来ると思うけど、先に知らせておいてやろうと思ってさ」
「……なに?」
 ウルフの言葉にハボックは訝しむように眉を寄せる。ウルフは窓に寄りかかるようにしてハボックを見つめて言った。
「お前、大佐んとこで働けるぜ」
「え?」
 ウルフは反応を見るように言葉を切ってハボックを見る。ウルフが言った言葉の意味を計りかねて、ハボックは数度瞬いた。
「えと……どういうこと?」
「俺んとこで今度の式典の警護を担当するんだけどちょっと人手が足りなくてさ。大佐に言ったら応援を頼もうって、そん中にお前も入ってる」
 そう言えばハボックがポカンとする。ウルフの顔をじっと見つめたハボックは、だが肩を竦めて言った。
「そっか。でもオレは無理かな」
「なんで?」
 てっきり大喜びするだろうと思っていたハボックの意外な反応に、ウルフは拍子抜けして尋ねる。そうすればハボックが苦笑して答えた。
「だって、上官に話通すんでしょ?無理だよ」
 使い勝手のいいハボックを余所に貸し出す筈がない。ため息混じりにそう言うハボックをウルフは鼻に皺を寄せて見た。
「いいように使われてんのかよ、お前、アホだな」
 そう言いながらウルフはハボックの机に積まれた書類の山を思い出す。きっと体よく仕事を押しつけられているのだろうと、己に似ていながらどこか優しげなハボックの顔を見つめた。
「なんでもハイハイって答えてっから都合よく使われんだろ?時には突っぱねろよ」
 そう言っても困ったように笑うだけのハボックに、ウルフは苛々としてその肩を掴む。
「判った、なにがなんでも大佐にはお前を引っ張って貰う。なんならそのまま引き取って貰おう」
「はあっ?なに言い出すんだよ」
「気に入らねぇんだよ。階級差を盾にそう言うことする奴って」
「本気で言ってんのか?ここ、どこだと思ってんのさ」
 そういう無理難題が罷り通るのが軍隊だ。半ば呆れたように言うハボックにウルフはニヤリと笑った。
「だったら尚の事大佐に言って貰おうぜ。少なくとも今回の応援の件は大丈夫だ」
 ウルフはそう言うとハボックの肩をバンバンと叩いて行ってしまう。その背を見送ってハボックはそっとため息をついた。
「幸せな奴」
 ロイを助けた功を認められてロイの側にいるウルフ。ハボックはキュッと唇を噛み締めるとのろのろと己の場所に戻った。


「えっ?ハボック少尉を?あ、いや、ですが……」
 思いもしない相手から突然かかってきた電話に狼狽えていたマシスは、相手からの更に突然な申し出に困ったように口ごもる。普段は自分の部下に対して振りかざしている権力も自分より上の相手には使いようがなく、マシスは不愉快そうに顔を歪めた。
「判りました。一体どうしてあれに目を留められたのか判りませんが、そうまで仰るのでしたらどうぞ、お好きに使ってください」
 今の自分に出来る最大限の嫌みを込めてそう言ったが向こうは毛ほどの痛みも感じていないようだ。結局押し切られる形で相手の申し出を了承すると、マシスは受話器を置く。その時、執務室の扉をノックする音と共にハボックの声が聞こえた。
「入れ」
 短く入室の許可を返せばハボックが入ってくる。書類の束を抱えて、ハボックは上官の少佐であるマシスに言った。
「こちらの書類、処理終わりました、サー」
ハボックはそう言って指示を待ったがマシスは不機嫌そうに見つめてくるだけだ。ハボックは困ったように大量の書類を抱えて首を傾げた。
「サー、あの……」
「マスタング大佐にはどうやって取り入ったんだね?」
「え?」
 マシスの言葉にハボックはキョトンとする。唐突な問いに答えを見つけられずにいればマシスが苛立たしげに言った。
「たった今マスタング大佐から電話があった。貴官を応援要員として貸して欲しいとな」
「えっ?」
 マシスにそう言われてハボックは目を丸くする。全く思いもよらなかったというハボックの表情にマシスは片眉を跳ね上げた。
「貴官からマスタング大佐に断りをいれるかね?そうだ、そうしたまえ。私には言えんが貴官なら言えるだろう。こっちでの業務が立て込んでいてとても離れる訳にいかんというんだ」
 東方司令部のトップにいるロイに自分がそんなことを言うのは嫌だが、わざわざロイに指名されるほどの知り合いであるなら言えるだろう。万一それでロイの不興を買おうが自分の知ったことではないと思いながらマシスが言ったが、ハボックはギュッと唇を噛んでマシスを見つめると言った。
「いえ、わざわざマスタング大佐がオレをと言ってくださったんです。行って少しでもお役に立ちたいと思います」
 きっぱりとそう言い切るハボックに、マシスは目を吊り上げ口をへの字に結ぶ。これまで己の考えに背くような事は一切言ってこなかった部下の、初めてとも言える態度にマシスは憎悪にも似た光をたたえた瞳でハボックを睨みつけた。
「判った、では好きにしたまえ。ただし、今現在貴官が抱えている案件はすべて処理して、残った者に迷惑がかからんようにしておくように。いいな?」
「イエッサー」
 ハボックは踵を鳴らして答えると、抱えていた書類の束をマシスの机に置く。
「とりあえずこちらは処理終わりました。残りの書類も今日中になんとかします」
 そう言うハボックをマシスは憎らしげに見上げる。ハボックはこれ以上嫌みを言われる前にと早々に執務室を後にした。
(本当にマスタング大佐のところで働けるんだ)
 先日ウルフから話を聞いた時は、もし本当にロイが呼ぼうと思ってくれていたとしても行くことは絶対に叶わないだろうと思っていた。例えほんの少しの間でもロイの元に行けるならどれほど幸せだろう。
(よし、一気に片づけちまおう)
 うんざりするような書類の山もロイのところへ行くためと思えば大した事はないように思える。ハボックは自席に腰を下ろすと書類を手に取りもの凄い勢いで片づけ始めた。


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