久遠の空  第七章


「今日はありがとうございました。すっかりご馳走になっちゃって」
 店を出ると最初に顔を合わせた辺りまで戻ってきたところで、ぺこりと頭を下げてハボックが言う。その隣ではウルフが満足そうに腹を撫でていた。
「送りますよ、大佐」
「いらん、一人で大丈夫だ」
 でも、と言うウルフをロイは手を振って黙らせる。並んで立つウルフとハボックを交互に見遣って、ロイは言った。
「食事の時にも思ったが、そうやって並んでいるとよく似てるな」
「「えっ?」」
「金髪に蒼い瞳……ハボックの方が少し明るい蒼か」
 そんな風に言われてウルフとハボックは顔を見合わせる。言うほど似てるのかは本人たちにはピンと来ず、ウルフは肩を竦めた。
「まあ、金髪に蒼い瞳っての、結構いますけどね」
「そうかもな。でも、あの時はこの蒼についていけば助かると思ったんだよ」
「えっ?見えてなかったんじゃなかったんですか?」
 ロイの言葉にウルフが驚いたように言う。
「ぼんやりと蒼いものが見えたんだ。周りが殆ど見えない中であの蒼だけが酷く鮮やかでな、これだけは信じていいんだと思った。今考えればあれはお前の目の色だったんだな」
 ロイはそう言ってウルフの顔を見つめた。じっと見つめられてウルフが照れたように笑う。そんな二人のやりとりを見て、ハボックはキュッと唇を噛んだ。
「あの……今日は本当にご馳走さまでした。オレはこれで」
 貴方が見たのはオレの瞳ですと言えるはずもない。居たたまれずにそう言うハボックの心情など気づきもせず、ロイは笑みを浮かべる。
「無理矢理誘って悪かったな。楽しかったよ、ハボック」
「あっ、いえ。オレも楽しかった、です」
 俯き加減で答えるハボックを暫し見つめたロイは、二人の顔を順繰りに見て言った。
「また明日」
「ご馳走さまっした!お気をつけて」
 元気よくそう答えるウルフと軽く頭を下げるハボックをおいてロイは背を向けて歩き出す。遠ざかっていく背中を部下たちは少しの間見つめていたが、先にウルフが口を開いた。
「じゃあ、俺も帰るわ」
「あ、うん。お疲れさま」
 ウルフはハボックに軽く手を挙げてロイとは反対の方向へ歩き出す。その背を見送って軽くため息をついたハボックは、自分も家に帰ろうとして足下に落ちているものに気づいた。
「万年筆?」
 拾い上げたそれは素人目にもいいものだと知れる。
「大佐の、かな?」
 ここは様々な人が通る往来でこれを落としたのがロイだとは限らなかったが、ハボックには何故だか落とし主がロイだという妙な確証があった。
「────」
 ハボックはロイが立ち去った方を見遣る。一瞬迷って、それからタンと足を踏み出すとロイを追って走り出した。


 ほろ酔い気分でロイは家への道を辿る。賑わう通りを抜け大きな住宅が並ぶ閑静な通りに出ると、ロイはふと視線を上げて空を見た。
「見事な満月だな」
 昏い空に煌々と輝く月を見上げてロイは呟く。腹も気持ちも満たされて歩いていたロイは、後ろから響いた靴音に僅かに眉を寄せた。足を止めて後方を見遣る。そうすれば月明かりに輝く金髪が見えて、ロイは目を見開いた。
「ウルフ……?いや、ハボックか」
 そう思う間にも人影は近づいてくる。月明かりに照らされた顔がはっきりと見えて、ロイはハボックが駆け寄ってくるのを待った。
「どうした?何かあったか?」
 全速力で走ってきたのだろう、すぐには口をきけずにハアハアと息を弾ませるハボックにロイが尋ねる。ハボックは何度も唾を飲み込んで呼吸を整えるとロイを見た。
「あ、あの……」
 言いかけたハボックは、不意にさっきまで抱いていた確証が揺らぐのを感じる。拾った万年筆がロイのものだと示すものはなにもなく、ハボックは急に自分がしていることが恥ずかしくなった。
「どうした?」
 だが、このままなにも言わなければかえって妙に思われるだろう。ハボックは迷った末、握っていた万年筆を差し出した。
「これ……」
「えっ?」
「大佐のじゃ……、あっ、違いますよねッ」
 言いかけたハボックは目を丸くするロイを見て慌てて言う。カッと紅くなった顔を万年筆を握った手で隠して、ハボックは言った。
「すんません、勘違いでしたっ、それじゃあ!」
「おい、待てっ」
 クルリと背を向け走り去ろうとするハボックの腕をロイは掴む。足を止めて振り向くハボックに、ロイは笑みを浮かべた。
「私のだ」
「えっ?」
 そう言われてハボックは手にした万年筆を見つめる。それからロイに向かって差し出した。
「いつ落としたんだ?気づかなかったな」
「喧嘩した時じゃないっスか?あの辺りで拾ったから」
 ハボックの言葉にロイはなるほどと頷く。ハボックの手から万年筆を取り上げるとキャップを外しペン先を確かめた。
「ありがとう、愛用のなんだ。拾ってくれて助かった」
「いえ。追っかけてきてよかったっス」
 そう言ってハボックがニコッと笑う。嬉しそうに細められた空色を見たロイは、ふとその瞳に向かって手を伸ばした。
「えっ?」
 いきなり目元に触れられて、驚いたハボックが目を見開く。じっと見つめてくる黒曜石に、ハボックは顔を赤らめた。
「あっ、あのっ、なんスかっ?」
「え?……ああ、すまん」
 ロイはハボックの声にハッとしたように手を引っ込める。何かが記憶をさざめかせた気がしたものの、すぐにその声は聞こえなくなりロイは今の自分の行動を誤魔化すように笑みを浮かべた。
「私の家はすぐそこだ。寄っていくか?」
「いえッ、とんでもないっス!このまま帰りますッ」
 ぶんぶんと首を振る様がどこか幼さを感じさせてロイは笑みを深める。だが、それ以上は無理に誘いはしなかった。
「今日は二回も助けられたな」
「助けたなんて、そんな……。オレはなにもしてないっス」
 そう言って目を伏せるハボックの睫が長いことにロイは気づく。ロイは手を伸ばしてハボックの金髪をクシャリと掻き混ぜて言った。
「お前は遠慮深いな。だが、もっと主張した方が得な事も多いぞ」
「……大佐」
「万年筆を届けてくれてありがとう。今度は家に来るといい」
 ロイは言ってハボックの頭をぽんぽんと叩く。背を向けて歩きだしたロイの姿が角を曲がって見えなくなるとハボックはため息をついた。
「ウルフじゃなくてオレだって、そんな主張、出来るわけないじゃん」
 そう呟いてハボックは今来た道をとぼとぼと戻っていった。


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