久遠の空  第六章


「あ、お前」
 ロイの後からやってきたウルフがハボックの顔を見て声を上げる。なんだと尋ねるように視線を向けてくるロイにウルフが言った。
「コイツですよ。今日、俺が大佐の部下になったのかって声かけてきたの」
「そうなのか?」
 と尋ねられて、ハボックは困ったように顔を赤らめる。なにも言わずに俯くハボックをじっと見つめているロイを促すようにウルフが言った。
「大佐、腹減りました」
「ん?ああ」
 そろそろ行こうと促されたもののロイはハボックから視線を逸らさない。見つめてくる黒曜石に困惑したハボックが、ギュッと手を握り締めて言った。
「あ、あのっ、それじゃあオレ、失礼しますっ」
 これ以上ロイの視線に晒されるのは耐えられない。軽く頭を下げたハボックが逃げるようにその場を後にしようとそそくさと背を向ければ、ロイが再びその腕を掴んだ。
「待て」
「ッ?!」
 引き留められてハボックは驚いてロイを見る。ロイはハボックの腕を離さずに言った。
「これから用事があるのか?」
「えっ?いや、なにもないっスけど」
 突然の問いかけにハボックがキョトンとして答える。丸く見開く空色にロイは笑みを浮かべて言った。
「なら一緒に飲みにいかんか?丁度今から二人で行くところなんだ」
「「ええっ」」
 ロイの言葉にウルフとハボック、双方から驚きの声が上がる。
「ちょっと大佐、三人で飲みに行くんですか?」
「別に構わんだろう?一人増えたからといってケチったりしないから安心しろ」
「いや、そう言う意味じゃ」
 ロイはウルフにそう言うとハボックに向き直った。
「お前も構わんだろう?ええと」
 呼びかけようとして名前を聞いていなかったことにロイは気づく。口ごもるロイを見て、ハボックがおずおずと答えた。
「ハボックっス。ジャン・ハボック少尉。でもオレ、金ないし」
 ロイが行くような店で食事が出来るほど持ち合わせがない。失礼します、と無礼にならないようロイの手を振り解こうと苦心するハボックにロイは笑みを浮かべた。
「今夜は私の奢りだ、心配するな」
「えっ?でも奢って頂く理由がないっス」
 あの戦場で出会ったことはハボックしか知らない。まさかそのことを口にするわけにもいかず首を振るハボックに、ロイは言った。
「さっき助けてくれたろう。その礼だ」
「助けたなんて、オレなにもしてないっス」
 自分はロイに殴りかかる男の一人も倒しちゃいない。その点で言うなら今度こそウルフの方がロイを助けたと言えるのだろう。
「お前が機転を利かせてくれなかったらもっと服が汚れていた。お前が叫んでくれたおかげで早々に決着がついたんだからな。なあ、ウルフ」
「えっ?ええ、まあ」
 突然同意を求められて、ウルフは渋々ながらも頷く。それを見たロイがハボックの腕をグイと引いた。
「だから遠慮する事はない。一緒に来い、ハボック」
「あ……はい、サー」
「よし。なら行くぞ」
 漸くおずおずと頷いたハボックにロイが満足そうに笑う。そのまま腕を引いて歩き出すロイに、ハボックが慌てて言った。
「あのっ、大佐!」
「なんだ?」
「は、離してください」
 顔を赤らめて言うハボックの顔と掴んだ腕をロイは交互に見る。
「ああ、なんだかお前、手を離すと逃げそうだからな」
「そんなこと……っ」
 どうにも困った様子でもごもごと口ごもるハボックの様子にロイはクスリと笑って手を離した。
「行くぞ、ウルフ、ハボック」
「大佐、俺もう腹減って倒れそうなんですけど」
「すぐ旨いもんを食わせてやる。もう少し我慢しろ」
 ロイの言葉に嬉々として従うウルフの横顔を見つめて、ハボックはそっとため息をつくと二人の後についていった。


「大佐、この酒すっげぇ旨いっス!この肉も軟らかくて最高だし!」
 店に入れば何も言わずとも通された奥の個室で、次々と出される料理をモリモリと頬張ってウルフが言う。その見事なまでの食べっぷりに、ロイは楽しそうに笑った。
「食いたいものがあったら追加で注文して構わんぞ」
「えっ?本当ですか?」
 ロイの言葉に目を輝かせたウルフが給仕にメニューを持ってくるように言う。嬉しそうにメニューを繰る部下を一瞥して、ロイはウルフの隣に座るハボックへと視線を移した。
「口に合わんか?」
 ウルフとは対照的にこちらはあまり食が進まない様子のハボックにロイは尋ねる。そうすれば、ハボックが慌てて首を振った。
「いえその……ちょっと緊張して」
 正直なところ急な展開に気持ちがついていかない。突然ロイと食事をする事になってしまって、ハボックは緊張と困惑とで食べ物が喉を通らなかった。
「そうか、お前もあの時、近くにいたのか」
 戦場での話になってロイが言う。ハボックは小さく頷いて答えた。
「はい。大佐のお陰でオレたちの部隊は無事撤退する事が出来ました」
 ありがとうございます、とハボックが頭を下げればロイが笑みを浮かべる。新しい料理の皿にワクワクした表情で手をつけるウルフを見て言った。
「まあ、そういう私もウルフのお陰で無事戻ってくることができたんだがな」
 そう言うロイの視線を受けて、ウルフが嬉しそうに笑う。そんな二人を見てハボックは一瞬視線を落として唇を噛んだが、すぐに笑みを浮かべて言った。
「一時的に視力をなくした大佐をウルフ少尉が連れて帰ったんですよね?」
「ああ、ウルフがいなければ流石の私も危なかった。今日はウルフの歓迎会兼感謝会だ。腕の立つ男を部下に迎え入れる事ができたのだから、あの戦闘は私にとってある意味有意義だったな」
「そんな、大佐。俺はやるべき事をやっただけですから」
 ロイにグラスを掲げられて、ウルフが照れくさそうに言う。そんな二人のやりとりを、ハボックは見ていられなくて目を逸らした。
(大佐をあそこまで連れて逃げたのはオレですって)
(本当はウルフじゃなくてオレなんですって言えたら)
 今ああしてロイと笑っているのはウルフではなく自分だったのだろうか。
(綺麗な焔を生み出すこの人の部下に)
 楽しそうに言葉を交わす二人の傍らで、ハボックは口に出来ない想いをグッと飲み込んだ。


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