久遠の空  第五十章


 ハボックは指定された場所に辿り着くと空を仰ぎ見る。漆黒の空には星が瞬いて、ハボックは笑みを浮かべてその煌めきを見つめていたが、やがてゆっくりと視線を戻すと目の前の扉を押し開いた。ギィと低く軋む音と共に扉が開く。ハボックは出来た隙間から体を滑り込ませると建物の中に入った。今は使われていない工場は電気がついておらず、足下を照らすのは窓から差し込む月明かりだけだ。ただ一つ奥の部屋から微かに光が漏れていて、ハボックは注意深く古い機械の間を歩いて奥に向かった。
 部屋の入口に立ったハボックは一つ大きく息を吐く。それから手を上げて軽く握った拳でコンコンと扉を叩いた。
「……ガルシア?」
 ハボックは己を待っている筈の男の名を口にする。少し待てばカチャリと音がして扉が中から開いた。
「ハボック」
 昏い瞳で見つめてくる幼馴染みを見つめ返して、ハボックは笑みを浮かべる。「遅くなってごめん」と待たせた事を詫びると、ガルシアがハボックを部屋に招き入れた。ガルシアは部屋の中程まで進むとハボックを振り返る。じっとハボックを見つめたガルシアは口を開いて言った。
「ついに復讐の時が来た。ハボック、いよいよだ。いよいよマスタングにその罪の報いを受けさせる時が来たんだ」
 ガルシアは言って笑みを浮かべる。
「俺の親父やお袋、お前や他のみんなの家族、焔に焼かれて死んでいったみんなの敵を漸く討てるんだ……ッ」
 感極まった様子で言ったガルシアはその顔を泣き笑いに歪めて、ハボックに手を伸ばした。
「ハボック、クリスのナイフを。最初の一撃はあのナイフを突き立ててやる。ナイフをくれ、ハボック!」
 言って手を差し出してくる男をハボックは無表情に見つめたが、ゆっくりと首を振った。
「ガルシア、大佐は仇なんかじゃないよ。大佐は村のみんなを殺したりしていない。だから復讐なんて必要ないんだ」
 そう言うハボックをガルシアが見つめる。告げられた言葉の意味が判らないというようにハボックを見つめていたガルシアの瞳が大きく見開かれた。
「なにを……なにを言い出すんだ、貴様」
「大佐は村のみんなを殺していないと言ってるんだ。大佐は仇じゃない。復讐なんて必要ない」
 もう一度繰り返して、ハボックは懐からナイフを取り出す。テーブルの上にそっと置いて、ハボックは言った。
「大佐からあの日何があったかを聞いた。大佐は、大佐たち科学者や医者達はもう少し時間をかけて村人を救う方法を考えようと軍に何度も掛け合ったそうだよ。でも、上層部の決定は村を燃やせ……仕方なしに村に向かった大佐に、クリスが言ったんだ、『あと一時間したら村を燃やせ』って」
 ハボックは一度言葉を切ってガルシアを真っ直ぐに見る。
「ガルシア、クリスは……村のみんなはね、大佐が火を放つ前に自害したんだ。大佐はみんなを殺した仇なんかじゃない。大佐はクリスたちを救ってくれたんだよ。非業の死を遂げたクリスたちをその焔で浄化し彼らの魂を天に送ってくれたんだ」
 静かに真実を告げる言葉に、ガルシアは目を見開く。唇を震わせ見開いた瞳でハボックを見つめていたガルシアはゆっくりと首を振った。
「そんな筈はない……マスタングは村のみんなを生きながらに燃やしたんだ」
「違う。そうじゃないよ、ガルシア」
「マスタングはみんなを、クリスを殺したんだッ!俺はそう聞いたッ!軍の奴がそう言ったんだッッ!!」
 そう言うガルシアにハボックは首を振る。ガルシアが誰にそう吹き込まれたのかはっきりとは判らなかったが、恐らくはロイの事を妬む誰かがガルシアの事を知り、事実とは違う事を吹き込んだのだろう。その程度には軍内にロイへの敵意を抱く者がいるのが哀しいかな現実だった。
「マスタングが殺されるのを恐れてお前に嘘を言ったんじゃないとどうして言えるッ?マスタングは罪を逃れるためにお前に嘘を言ったんだッ!!」
「大佐は、今でもクリスたちの為に何も出来なかったことを悔やんでる。大佐は仇なんかじゃない、大佐を恨むなんてお門違いだよ」
 ハボックは目を見開きハアハアと肩で息をするガルシアを宥めるように言う。ガルシアの腕をそっと掴み、間近から瞳を見つめて言った。
「ねぇ、ガルシア、村に帰ろう。もう復讐する必要はないんだ。村に帰ってクリスたちに────」
「マスタングは仇だッ!!マスタングを殺さなければ、俺はッッ!!」
 ガルシアは腕を掴むハボックの手を振り払って怒鳴る。テーブルに置かれたナイフを掴むと扉に向かって歩きだした。
「ガルシアッ!」
「お前が復讐しないと言っても俺は諦めん!お前が手を貸さないなら俺は一人ででもマスタングを殺すッッ!!」
 ナイフを手に出ていこうとするガルシアに、ハボックは駆け寄ると扉の前に立ちはだかる。両腕を広げ、首を振ってハボックは言った。
「駄目だよ、ガルシア!頼むからもう復讐なんて馬鹿なこと考えないで!言ってるだろう?大佐は仇じゃないんだッ!」
 言って行く手を阻むハボックをガルシアは昏い焔を燃え上がらせる瞳で睨む。手にしたナイフを指が白くなるほど握り締め、呻くように言った。
「どけ……幾らお前でも邪魔をするのは赦さない」
「ガルシアッ、もうやめて!ガルシアッ!!」
 大きく腕を広げ首を振るハボックに。
「そこをどけェェッッ!!」
 ガルシアは大声で喚いて手にしたナイフを振り上げた。


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