久遠の空  第四十七章


「その子」
「ん?」
 一緒に並んで歩いていると、ハボックがロイの胸元を覗き込むようにして言う。それに尋ねるように視線を向ければハボックが子猫を指さして言った。
「可愛がってくれてるんスね」
「当たり前だろう?」
「ふふ……大佐の事、大好きなんだ」
 そう言って愛しそうに子猫を見つめるハボックの空色の瞳をロイは間近から見つめた。
「ハボック」
「あ……すんません」
 子猫を見ている内に思った以上にロイに近づいていた事に気づいて、ハボックが慌ててロイから離れる。綺麗な空色が離れてしまったことを残念に思いながら、ロイは言った。
「何か食いたいものはあるか?」
「大佐が腹減って食いたいんでしょう?だったら大佐が行きたいところでいいっスよ」
「中尉への口止め料だと言っただろう?何が食いたいんだ?」
 そう言えばそんなことを言っていたとハボックは目を見開く。ロイをじっと見つめてハボックは言った。
「なんでもいいっス。ただその……軍の連中があんまり来ないところがいいかなって」
「ハボック」
 二人きり、誰にも邪魔されたくないとでも言いたげなハボックの言葉にロイは目を瞠る。見開く黒曜石にハボックはハッとして言った。
「あ、いや!別にどこでもいいっス!旨い酒が飲めればそれで……」
 最後のほうはもごもごと口の中で呟くハボックにロイは笑みを浮かべる。
「判った。それじゃあとっておきの場所に連れていってやる」
「えっ?うわっ!」
 言うなりハボックの手を掴んで歩き出すロイに、ハボックは転びそうになりながらついていった。
「大佐っ、手ぇ引っ張んないで!」
「いいからさっさと来い」
 有無を言わさず引っ張られて、ハボックは繋いだ手を見下ろし顔を赤らめる。
「子供じゃないんスから手、繋がなくてもちゃんとついていくっスよ!」
 そう主張する声にロイは肩越しに振り向く。ハッとして見開く空色にニヤリと笑うと、ロイは今まで以上にスピードを上げて歩きだした。
「ちょ……っ、大佐っ」
「ははは」
 慌てる声が楽しくて、ロイは声を上げて笑う。そんなロイにハボックは呆れて言った。
「もう……子供っスか、アンタ」
「いいじゃないか、たまにはこう言うのも」
 言ってロイは繋いだ手をギュッと握る。そうすればハボックが顔を益々顔を赤くしたものの、それ以上は何も言わずついてくるのに、ロイは嬉しそうに笑った。


「ここっスか?」
 気がつけばいつの間にかメインのストリートを外れて、辺りには目立つ店もない。その上連れてこられたのはどう見ても個人の一軒家にしか見えず。ハボックは小首を傾げて目の前の扉を見上げた。
「まさか大佐の彼女の家とかじゃねぇっスよね?」
 唐突にそんな事を言うのを聞いて、ロイはプッと吹き出す。クスクスと笑えば空色の瞳が睨んでくるのを優しく見返して、ロイは言った。
「いいからついてこい」
 ロイはハボックの手を引いて扉に手を伸ばす。そっと押し開ければ中から聞こえてきた低いジャズの音色に、ハボックは目を見開いた。
「おいで」
 ロイは言って中へと入っていく。そうすれば照明を落とした室内は洒落たバーになっていて、ハボックは驚いて店の中を見回した。
「店なんスね、ここ」
「宣伝はしてない。客は口コミで来る連中だけだ。軍の人間は来ないよ」
 そう言うロイをハボックは驚いたように見る。
「もしかしてここ、大佐の隠れ家?いいんスか?オレなんて連れてきて」
 彼女と来る所じゃねぇの?と言うハボックに、ロイはクスクスと笑った。
「お前はよっぽど私を彼女持ちにしたいらしいな」
「したいとかじゃなく、大佐ならガールフレンドの一人や二人……ううん、もっとか。いるっしょ?」
 大真面目に言われてロイは苦笑して答える。
「そうだな、女友達なら多少はいるが、特定のつきあいをしている女性はいないよ。残念ながらね。だから連れてきた事もない」
 ロイがそう言った時店員が近づいてきてロイに声をかける。笑って答えるロイとハボックを店員は店の奥のテーブルへと案内した。
「今日はお一人じゃないんですね、マスタングさん」
「ああ。有能な部下を連れてきた。今日は旨いものを沢山食べさせてやってくれ」
「勿論です」
 店員はにっこりと笑うとロイにメニューを差し出す。本日お勧めのメニューを指し示すと注文を受け、奥へと戻っていった。
「ここへ連れてきたのはお前が初めてだよ。────っと、お前が初めてだったな、怒るな」
 にっこりと笑って言ったロイは、胸元で抗議の声を上げる子猫の額を指先で撫でていたが、ふと視線を感じて目を上げる。そうすればじっと見つめてくる空色と目があって、ロイはにっこりと笑った。
「どうした?」
「……いえ」
 尋ねればハボックが困ったように目を伏せる。それに話しかけようとした時、店員が酒や食事の皿を運んできて会話が途切れた。
「ごゆっくりどうぞ」
 店員がそう言い置いて行ってしまうとロイはグラスを手に取る。目の高さにグラスを掲げて言った。
「今日一日お疲れさま。明日からもまた頑張ってくれ。ああそうそう、中尉には余計なことを言うなよ?」
「────」
 言って笑う黒曜石にハボックは笑みだけを返す。軽くグラスを合わせて二人は食事を始めた。


 ポツポツと会話を交わしながらハボックはロイを見つめる。優しく微笑み、時々子猫を構いながら食事を進めるロイをハボックはじっと見つめた。
(ああ)
(ずっとこの時が続けばいいのに)
(ずっとこのまま、大佐と二人きりで)
(時を止めてしまえれば、時を止めてしまえば)
 そう考えるハボックの懐で、銀色のナイフがその存在を主張した。


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