| 久遠の空 第四十五章 |
| 廊下を歩いていたハボックは少し先の角を曲がってこちらに向かって歩いてくるロイに気づく。ロイに続いてウルフも歩いてくるのを見れば、ハボックの空色が僅かに揺らいだ。 「ハボック」 ロイはハボックの姿を認めて笑みを浮かべて名を呼ぶ。足を止めたハボックの側まで歩いてくると尋ねた。 「これから演習か?」 「はい、大佐」 短く答えてハボックが頷けば、ロイは懐から懐中時計を出して時間を見る。パチンと音を立てて蓋を閉じるとロイは言った。 「偶には演習の様子を見てやろう」 「そんなこと言って、中尉に怒られるっスよ?書類、たまってんじゃねぇんスか?」 「嫌なことを言うヤツだな」 ハボックの言葉にロイが顔を顰める。それでもハボックの金髪に手を伸ばしてクシャリとかき混ぜて言った。 「部下の調子を把握するのも指揮官としての役目だろう?中尉も文句は言わんさ」 そう言って笑うロイをハボックはじっと見つめる。真っ直ぐに見つめてくる空色をロイは目を細めて見返した。 「なんだ?」 「────いえ、何でもないっス」 「なら構わないな?見させてもらうぞ」 そう言うロイにハボックが頷けば、背後からウルフがロイの袖を引く。「なんだ?」と振り向くロイにウルフが言った。 「俺んとこの演習は見に来てくれないんスかッ?」 「お前はこの時間書類仕事だと言ってただろうか」 「今じゃなくて今度の演習!」 「気が向いたらな」 肩を竦めて答えるロイに、ウルフが思いっ切り不満の声を上げる。それを無視してロイはハボックに言った。 「二、三書類にサインしたら行くから。場所はどこだ?」 「第四っス」 「判った。じゃあ後で」 ロイはそう言って軽く手を上げると司令室に向かって歩き出す。自分の演習も見に来てくれと纏わりつくウルフを適当にあしらって歩いていくロイの背を、ハボックはじっと見つめていた。 ロッカールームで着替えを済ますと、ハボックはロッカーの奥に突っ込んであった煙草のパッケージを取り出す。一本出して口に咥えて火をつければ、独特な甘い香りが広がった。 「変わった香りですね、隊長」 「ん?そうか?」 「なんか────旨そう」 ちょっと考えてそう言う部下にハボックは笑みを浮かべる。フゥと煙を吐き出すハボックに別の部下が言った。 「珍しいですね、禁煙してたんじゃなかったんですか?」 確かそんなことを言っていたような記憶があったと言う部下に、ハボックは煙草を吸い込んで答えた。 「今日の演習はマスタング大佐が見に来るからな。ちょっと気分を落ち着かせようと思って」 言ってハボックが再び煙を吐き出すのと同時に部下たちから「エーッ!」と声が上がる。 「マスタング大佐がッ?」 「うわぁ、そう言うことは早く言ってくださいよッ」 「やべぇ、装備、ちゃんとしてるかッ?」 俄に騒ぎだす部下たちにハボックは苦笑して言った。 「大佐が来ようが来るまいが、やることは一緒だろ?つか、装備の点検なんて最初からちゃんとやっておけよ」 「やってますよ!でもでもッ、心構えが違うっていうかッ!」 「急げッ、恥ずかしいところは見せられないぞッ!」 ワ アワアと準備やチェックを始める部下を半ば呆れるように見るハボックに副官の軍曹が言う。 「みんな隊長に恥はかかせられないと思ってるんですよ」 「軍曹……」 「いいとこ見せてやりましょうや」 ニッと笑う年嵩の軍曹に。 「うん」 ハボックもにっこりと笑って答えた。 演習を開始して少しすると、ロイが歩いてくるのが見える。オーバースカートの裾を風に翻して、背筋をピンとのばして歩くロイの姿にハボックを始めハボック隊の誰もが見入っていた。 「構わん、続けてくれ」 演習を中断して待つハボック達を見て、ロイがそれには及ばないと手を振る。ハボックはロイの言葉に頷くと大きな声で再開を告げた。部下たちが演習場に作られた市街地を使ってテロリストの制圧の模擬作戦を展開するのに指示を与えながら、ハボックは背中に感じるロイの視線にギュッと手を握り締めた。 「よぉし、作戦終了!ここまで!」 予定をすべて終えて、ハボックが手を上げれば部下達がホッと力を抜く。ぞろぞろと集まってきた部下達をとりあえず整列させて、ハボックはロイを見た。 「大佐」 「うん」 促すように呼ばれてロイはハボック小隊の面々を見渡す。演習を見た上で気づいた点や改善点、それから労いの言葉とこれからの期待を口にすれば、部下達の顔に喜びと自信と、そしてロイへの忠誠心が浮かぶのが見て取れた。 「解散!」 解散を告げるハボックの声に部下達は装備を片づけ、三々五々になって引き上げていく。最後の部下が引き上げるのを見てから戻る支度を始めたハボックは、まだ戻らずに残っているロイを見て言った。 「早く戻らなくていいんスか?」 「偶にはのんびりさせろ」 急かす言葉にロイは眉を顰めて言う。丁寧に装備を纏めるハボックをじっと見つめれば、視線を感じたハボックが振り向いて小首を傾げた。 「なんスか?」 「いい部隊だな」 ロイがそう返せばハボックが空色の瞳を見開く。見開いた目をほんの少し辛そうに歪めて、ハボックは「ありがとうございます」と答えた。その時、一陣の風が演習場を吹き抜ける。その風に乗って甘いメープルシロップに似た香りがロイの鼻孔を擽った。 「甘い匂いがする」 いつかどこかで嗅いだ匂い。一体どこでだったろう。 「どこかで花でも咲いてんじゃないんスか?」 ハボックはそう言って装備一式を背負う。行きましょう、と歩き出すハボックを追って歩き出せば、姿を現しそうになった記憶は風に霧散して消えてしまった。 |
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