久遠の空  第四十四章


 ガルシアは狭い路地を足早に歩いていく。知らない者なら迷ってしまいそうな入り組んだ路地を迷うことなく進んでいくと、ガルシアは今はもう廃業した工場(こうば)の扉を開けて中へ入った。以前は機械が並んでいたのであろう、天井の高い広い部屋を通り抜けてガルシアは奥の扉を開けた。
「ガルシア」
 扉が開く音に中にいた数人の男達が一斉にガルシアを見る。誰もがどこか不安げな表情を浮かべている、かつて一緒に村で過ごした仲間たちをガルシアはグルリと見回した。
「ハボックに会ったぞ。クリスのナイフを渡してきた」
 そう言えば男達が顔を見合わせる。中の一人が恐る恐るといった体で言った。
「それで?ハボックはなんて?その……」
「ああ、ナイフを見たときは相当ショックを受けていたが、大丈夫。アイツならマスタングを」
 殺せる、と言ってニィと昏い笑みを浮かべるガルシアに、男達は迷うように視線をさまよわせる。
「本当にマスタング大佐を……殺す、なんてことが出来るのか……?いくらハボックだって……俺たちなんて尚更っ」
 震える声でそう言う男に他の仲間達も頷いた。
「だって、相手は俺たちの村を丸ごと燃やした焔の錬金術師だろう?復讐したくたってとても敵うわけ────」
「だからハボックにやらせるんだ」
 今日まで何度も繰り返した会話だと思いながらガルシアは根気強く言う。
「マスタングはハボックがドンレミ村の生き残りだとは知らないし、部下としてのアイツを信用している。ハボックにマスタングを呼び出させて油断しているところを俺達全員で襲えば、幾らヤツだって全員いっぺんに燃やせる訳じゃないだろうからな」
 そう言ってもどこか不安を拭いきれない様子の男達に、ガルシアは顔を顰める。バンッと背後の壁を手のひらで叩いて言った。
「マスタングは俺達の親父やお袋を殺したんだぞッ!生きながらに村ごと焼かれてッ、焔と疫病で“熱い、苦しい”ってもがきながら死んだんだッ!よもやそれを忘れた訳じゃないだろうッ?!」
「忘れた訳じゃないさッ!俺だってお袋や妹が生きたまま燃えていく夢を今でも見る!」
「俺も……親父が夢で敵を取ってくれって何度も……」
「だったら何も迷う必要などないだろう?」
 ガルシアが吹き込んだ毒で、必死に押さえ込んできた気持ちを揺り起こされた男達にガルシアは言う。
(急いで進めた方がよさそうだ。時間が経てば経つだけ迷いが膨らむ)
 男たちの様を眉を顰めて見回したガルシアは、復讐を果たす為には急いで事を進めなければと考えを巡らせた。


 ホールトンを従えて廊下を歩いていたマシスは、ふと視線を向けた窓の向こう、司令部の中庭にぼんやりと佇むハボックの姿を見つける。その昏い表情にニンマリと笑みを浮かべて、マシスは顎をしゃくった。
「見ろ、ハボックだ」
 マシスの視線を追って外を見たホールトンもニヤリと笑う。マシスは近くの扉から外へ出ると木に寄りかかって立っているハボックへと近づいていった。
「ハボック少尉」
 かけられた声にビクリと震えてハボックが振り向く。声をかけてきたのがマシスだと気づいたハボックの瞳に一瞬きつい光が宿ったが、一つ瞬きすればその光は瞼の向こうに消えて、ハボックは無表情にマシスを見て敬礼した。
「マシス中佐」
「どうだね?その後」
 そう尋ねてくるマシスの言葉の形にならない悪意にハボックが唇を噛む。その空色にマシスへの嫌悪を滲ませる元部下を、そのあからさまな嫌悪感すら不愉快と言うより面白く思いながら、ハボックが口を開くより先にマシスが言った。
「ドンレミ村のことをマスタング大佐に聞いてみたかね?さぞ自慢げに話してくれただろう?」
「ッ」
 自分が発した言葉にハボックの体が大きく震えるのを見てマシスは笑みを深める。ニンマリと舌なめずりして言葉を続けた。
「もういい加減あの男には見切りをつけてもいいだろう?私のところへ戻ってきたいと言うのなら、まあ貴官のためだ。いつでも受け入れてやるぞ」
 ハボックが戻ってくればまた色々とこき使える。一度ロイのところへ異動したハボックが再びマシスのところへ戻った理由をそれとなく噂にのせてやれば、ロイにダメージを与える事も出来るだろう。そんなことを考えながらマシスは楽しげに言った。
「本当に貴官は災難だったな。あの悪魔に故郷を燃やされ、軍に入ればいいようにこき使われ……。だが、もう目も覚めたろう、マスタングなどという最低な男の為に能力を 無駄遣いすることなどもうやめて本来いるべき場所で力を発揮したまえ」
 マシスはすっかりといい気分で言葉を続けた。
「焔の錬金術師だかなんだか知らんが、まったくもってあれは悪魔の業────ヒッ!」
 キラリと銀色の光が目の前をよぎったと思うと、ダンッとマシスの頬を掠めるようにして背にした木の幹にナイフが突き立てられる。あと数ミリずれていたら眼球を貫かれていた一撃にマシスは凍り付いたままかつての部下を見上げた。
「きっ、貴様ッ、中佐に何をするんだッ!────ッ?!」
 間近でハボックが懐からナイフを閃かせるのを見ていながら一歩も動けずにいたホールトンがハッとしたように言う。だが、ハボックの空色の瞳で見つめられて、ホールトンはそれ以上何も言えずに口を噤んだ。時間にしてはほんの数十秒、三人それぞれに身動きせずにいたが、最初に動いたのはハボックだった。驚愕に見開くマシスの瞳を間近から見つめたまま木の幹に突き刺したナイフをゆっくりと引き抜く。そうしてマシスの目の前に翳したナイフには黒々とした大きな蜘蛛が突き刺さっていた。
「毒はないと思うっスけど」
 言ってハボックがナイフを一振りすれば蜘蛛の死骸が刃から抜けてホールトンの方へ飛ぶ。「ヒィッ」と悲鳴を上げて頭を抱えて蹲るホールトンに冷たい視線を投げて、ハボックは言った。
「演習があるので失礼します、サー」
 ナイフをしまってハボックは敬礼すると背を向けて歩き出す。ハボックの姿が司令部の建物の中に消えても、マシスはその場を動けなかった。


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