久遠の空  第四十一章


 司令室に戻りハボックは自席に腰を下ろす。書類を引き寄せ書き込んでいると、少しして戻ってきたウルフが向かいの席に腰を下ろした。同じように書類を手に取りウルフはパラパラとめくって中身に目を通す。ウーンと腕を伸ばして伸びをすれば机の上の電話が鳴って、ウルフは伸ばした手で受話器を掴んだ。
「はい、司令室。────え?あ、はい。その書類を作成したのは俺っスけど」
 眉を顰めて電話の相手の話を聞いていたウルフの眉間の皺が段々と深くなる。それと比例して情けなく眉を下げていったウルフが、電話が切れると同時にゴンと机に額を打ちつけた。
「なんてこった……」
「どうしたんですか?ウルフ少尉」
 机に突っ伏したまま呟くウルフに、フュリーが尋ねる。ウルフは顔を上げずに低く答えた。
「書類……不備があるから再提出しろって。しかも大至急……」
「それは……ご愁傷様です」
 ウルフの言葉にフュリーは苦笑して言う。
「代わりにやってくんない?」
「嫌ですよ、僕だって仕事あるんですから」
「そこをなんとか!頼むよ、フュリー!!」
「無理ですっ」
 手を伸ばして縋ってくるウルフを背後に下がってフュリーがよければ、ウルフが必死に縋りついた。
「フュリー〜〜ッッ」
「嫌ですってばッ」
 縋りついてくるウルフからフュリーは必死に逃れようとする。頼む、嫌ですを繰り返してウルフとフュリーが騒いでいると、背後から呆れたような声がかかった。
「何をしているんだ、お前たち」
「あっ、大佐!なんとかしてくださいっ」
 しつこくウルフにせがまれて、辟易したフュリーがロイに助けを求める。何事だと視線で尋ねられてフュリーが答えた。
「書類に不備があって、至急再提出するよう言われたそうなんですけど、僕にやってくれって」
 僕だって仕事あるのに、と泣きを入れるフュリーにロイはやれやれとため息をついた。
「ウルフ。自分のミスは自分でなんとかしろ」
「でも俺っ、書類仕事苦手で、また同じミスを繰り返すかもッ」
 だからと言い募ろうとするのを手を振ってやめさせると、ロイはウルフを正面から見て言った。
「いいからさっさと取りかかれ。急ぎの書類なんだろう?さっさとやらんと今後一切飲みに連れていってやらんぞ」
「えーッ?!」
 ロイの言葉が覿面に効果を現して、ウルフは渋々椅子に腰を下ろす。
「あ、先に書類取ってこないとか」
 嫌だなぁとブツブツ言いながら高い背を丸めて司令室を出ていこうとして、ウルフはハッとロイを見た。
「そうだ、視察!これから市内の視察だったっスよね」
「ああ、そうだな」
 聞かれて頷くロイに、ウルフがパッと顔を輝かせる。
「じゃあやっぱ書類なんてやってる暇ないですよねッ!ほら、俺大佐の護衛しなきゃだしっ」
 と言うわけで書類はフュリーに、などとウルフが言い出すのを聞いてフュリーがエーッと抗議の声を上げ、ロイがやれやれとため息をつく。書類から逃げ出す口実が出来たとあからさまにウキウキするウルフにロイが言った。
「護衛はハボックに任せる。お前はさっさと書類を取りに行って再提出しろ」
「えーッッ!!そんなッ!!」
「喧しいッ!それ以上四の五の言うと給料をさっ引くぞ!」
「えええッ!ひどい、ただでさえ薄給なのに……っ」
 大佐のオニ、アクマと騒ぎ立てるウルフの頭をロイはポカリと一発殴る。大袈裟に痛がるウルフにため息をついて、ロイは驚いたように目を見開いているハボックを見た。
「行くぞ、ハボック」
「────え?」
「今の時間、予定はないんだろう?」
 見開く空色にロイは尋ねる。そうすれば、ロイをじっと見ていたハボックがゆっくりと視線を落とした。
「ハボック?」
「────イエッサー、車を回します」
 訝しむ声にハボックは答えてゆっくりと立ち上がる。伏せていた視線を上げた時、瞳に浮かんでいたはずの感情を綺麗な空色の奥へと隠して、ハボックは短く言うと司令室を出ていった。


 先に出ていったハボックに少し遅れてロイが玄関へ出れば、もうハボックは車の側で待っていた。ロイが近づいていくと何も言わずに車のドアを開ける。ロイが体を滑り込ませたのを確認してドアを閉めたハボックは、運転席に回りハンドルを握った。
「どちらへ?」
「そうだな、ルートDから途中エレナ通りを抜けてルートBへ」
「了解っス」
 ロイの言葉にハボックは頷いてアクセルを踏む。暫くは互いに口を開かずにいたが、少ししてロイが言った。
「昨日は何かあったのか?」
「えっ?」
 ロイの問いかけにハボックはギクリとする。だが、続く言葉に体の力を抜いた。
「食事の約束をしたのに、どこにもいなかったろう?」
「……すんません、ちょっと……気分が悪くなって」
「そうなのか?」
「すみません」
 ハボックの説明にロイは驚いて目を瞠る。
「それならそうと誰かに言付けろ。心配するだろう?もう大丈夫なのか?」
「はい────すみませんでした」
 謝るハボックの顔をロイはミラー越しに見た。そう言われればハボックは元気がなく、顔色も悪いように見えた。
「戻った方がよければ────」
「大丈夫です、ご心配には及びません」
 言いかけたロイの言葉をハボックが遮る。ロイはそんなハボックを身を乗り出すようにしてじっと見つめたが、やがてゆっくりとシートに背を戻した。
「この辺で一度停めてくれ」
「アイ・サー」
 少ししてロイが言うのに答えてハボックは車を路肩に寄せる。扉を開けてロイを下ろすと、ゆっくりと歩き出すロイの背を見つめたハボックはその後を追って歩いていった。


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