久遠の空  第三十九章


「大佐、ハボック、どこにもいないです」
 もしかして提出した書類に不備があって引っかかっているのかもと、総務に覗きにいっていたウルフが戻ってきて言う。司令部の入口に立つ警備兵にも聞いてみたが人待ち顔で入口に立つハボックは見ていたものの、その後はもう日が暮れていた事もあって出ていくハボックの姿に気づいた者はいなかった。
「なにか急用が出来たんですかね。それなら誰かに言付けてくれりゃいいのに」
 ハボックが約束を放り出すなんて事は考えられないし、警備兵が気づくようなトラブルもなかったのであれば、何かしらどうにもならない急用が出来たのだと考えるしかないだろう。
「どうします?大佐。俺、腹減ってんですけど」
 腹を両手で押さえたウルフはいかにもな様子で言って考え込むロイを見る。眉を寄せて考え込む仕草をしていたロイは、視線を感じてウルフを振り向いた。
「大佐ぁ」
 情けなく眉を下げるウルフにロイはため息をつく。正直今日誘ったのはハボックで、食事を口実に普段あまり自分のことを話さないハボックの話を聞き出したかったのだが、だからと言って腹が減ったと訴える部下をおいて帰るというのも気が引けるのは事実だ。
「────軽く食って帰ろう」
 ため息混じりに言えばウルフがパッと顔を輝かせる。無邪気に話しかけてくるウルフと共に歩き出しながら、ロイはハボックの姿を探して司令部の建物を顧みたのだった。


 夜の街をハボックはトボトボと歩いていく。考えに沈んで俯きがちに歩くハボックを、ぶつかりそうになった通行人が罵ったが、それすらハボックには聞こえていないかのようだった。
『マスタングを殺せ、ハボック』
 不意にガルシアの声が頭に響いてハボックは大きく体を震わせる。声と共にじっと見つめてくるガルシアの昏い瞳が蘇り、ハボックは飲み込まれそうな錯覚にギュッと握り締めた手を胸元に寄せた。そうすれば懐にしまい込んだ固いナイフの感触にハボックはギクリとする。その固い感触が呼び起こしたかのようにガルシアの声が次々とハボックの頭の中に響いた。
『トマスも、アレンも、メイも、ジョージも』
『カレンも、ジミーも、ルイスも、ハンナも』
『みんなみんな全てを奪われた。奪われなければいけない理由など何一つなかったのに……っ。』
『お前の両親はどうした?クリスは?そうさ、マスタングが燃やしたんだ、マスタングに殺されたんだよ』
 頭の中に響く昏く囁く声を打ち消そうとハボックは首を振る。そうすればまるでそれを見ているかのように一際大きくガルシアの声が響いた。
『生きてたのにッ!』
「ッ!!」
 その声にハボックはビクッと大きく体を震わせて目を見開く。行き交う人々の向こう、昏い瞳でこちらを見つめるガルシアの姿が浮かんで、ハボックは息を飲んだ。
『生きてたのに……生きていれば助かる方法もあったかもしれないのに……クリスは燃やされたんだ……』
「違う……そんなこと、大佐はそんなこと……」
 ハボックは低く囁く声に何とか抗おうと呟く。その途端、懐のナイフがハボックを嘲笑うように存在を主張した。
『殺すんだよ、ハボック……マスタングを殺せ……。そして俺たちと一緒に村に帰ろう……』
 優しく誘うように囁く声に、ハボックは賑わう通りの中進む事も戻る事も出来ずに立ち尽くしていた。


「おはようございます、大佐、ウルフ少尉」
「ああ、おはよう」
 迎えにきたウルフと共に司令室へと入れば、フュリーが朝の挨拶をかけてくる。それに答えたロイは、視線を巡らせて部屋の中を見回した。
「ハボックの奴、まだ来てないみたいですね」
 同じようにハボックの姿を探したらしいウルフが言う。ロイは答える代わりに一つため息をついて執務室へと入った。
 夕べはウルフを連れて手近の店で軽く食事を済ませた後、すぐに家に戻った。もしかしたらハボックから断りもなく食事の約束を破ってしまったことに詫びの電話があるかとも思ったが結局電話が鳴ることはなく、心配に思う反面ロイは何となく自分が蔑ろにされているような気になった。
 執務室に入れば椅子に腰を下ろす間もなくホークアイがやってくる。まだ始業時間前だろうと露骨に嫌な顔をするロイに、ホークアイがすまなそうに言った。
「南方司令部から出張してきているクラーク中佐が戻る前に少しお時間を頂きたいと仰られて」
「仕事熱心なのはいいが、こちらを巻き込まんで欲しいものだな」
 列車に乗る前の時間で打ち合わせしたいという申し出にロイは嫌みったらしく言う。それでも断る理由はなく、ロイは仕方なしにクラークを呼ぶようホークアイに告げた。


 列車が出る時間に間に合うギリギリまで粘ろうとするクラークをなんとか追い返して、ロイはうんざりとしたため息をつく。苛々とした仕草で立ち上がると、執務室の扉を開けて大部屋を見回した。
「ハボックはどうした?来ていないのか?」
 チラリと壁の時計を見れば始業時間から三十分以上経っている。声に滲む苛立ちに気づかず、フュリーが答えた。
「来られましたけど、演習があるからってすぐ出て行かれましたよ」
 その言葉にロイはムッと顔を歪める。それでも自分の方が打ち合わせをしていたのであれば、例えハボックがロイと話をしたいと思っても割って入る訳にはいかないのは明らかで、ロイは不満を飲み込むように大きく息を吸い込むと次の会議に出るために司令室を出ていった。


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