久遠の空  第三十七章


「お前だって忘れちゃいないんだろう?」
「忘れてないさ、忘れられるわけないだろうッ!」
 ガルシアの問いに相手の男は吐き捨てるように答える。座っていた椅子から立ち上がり、苛々とした様子で歩き回りながら男は言った。
「でも……そんな事出来るのか?相手は軍人で俺たちは素人なんだぞ?」
「だからこそチャンスなんだ。アイツらは俺たちに警戒なんてしないだろうからな。それに」
 と、ガルシアは目を細める。
「ハボックがいる。今、ハボックはマスタングの直属の部下なんだ」
「直属の?でも、ハボックだって今は軍人なんだろ?だったら軍に逆らうなんて事────」
「するさ」
 相手の言葉を遮ってガルシアは言った。きっぱりと言い切るガルシアをあの日同じように大切なものを失った男は目を見開いて見つめる。
「するさ、ハボックだって赦せないと思ってる。アイツならマスタングを殺せる」
 宙を見据えて低い声で言ったガルシアは、目を見開いて自分を見つめる男を見るとポケットの中から何やら小さなものを取り出した。
「お前の家があった辺りから見つけた。一度村を見に行け、腹が決まる」
 そう言ってガルシアが差し出したものを男は恐る恐る受け取る。手のひらに落とされたそれを目にした男の顔がクシャリと歪み、男はがっくりと膝をついた。
「また連絡する」
 嗚咽を零す男を残して、ガルシアは玄関を出ていった。


 あの日故郷を訪ねてからガルシアは散り散りになった仲間を捜して歩いた。突然親を失い施設や里親に引き取られた子供たちは、多少の差はあれ謂われのない差別を受けるなど不幸な人生を送っているものが大半だった。それでも自分ではどうしようもないことと諦め現状を受け入れていた仲間たちを、ガルシアは説得して回った。
 復讐しよう、と。
 そう言えば当然の反応として否定の言葉が返ってきたが、ガルシアは諦めなかった。元々理不尽な形で故郷を親兄弟を奪われ、本来なら普通の子供として手にしていた筈の幸せを奪われて、心の奥底では運命を恨み鬱憤を抱えて生きてきた者たちだ。同じ怒りを抱えたガルシアの言葉は聞くものの心に封じ込められた憎悪を揺り起こした。ガルシアの訪問は一人、また一人と復讐者を生み出していく。
「覚えていろ、このままでは済まさない。必ず復讐してやる」
 昏い焔をその瞳に宿したガルシアは、懐のナイフを握り締めて低く呟いた。


「では解散!」
 演習を終えてハボックはゆっくりと歩き出す。汗と埃に塗れてくすんだ金髪を掻き上げてため息を零した。建物の中に入りロッカールームに向かって廊下を歩いていくと向こうからマシスがホールトンを引き連れて歩いてくる。それに気づいたハボックは手近の会議室の扉を開け中へと体を滑り込ませた。
 ロイが村を焼き払ったという話をマシスから聞かされ、更にはガルシアからも告げられた。だが、ロイの非道を明かす言葉をハボックは信じなかった。信じたくないというのが本音かもしれない。少なくとも出会ってから知り得たロイという人物が、マシスやガルシアの言うような事をするとはハボックにはどうしても思えなかった。
(クリス……教えてくれよ。大佐は自分の欲を満たす為にそんな事をする人じゃないよね。大佐はクリスを焼き殺したりしてないよね……?)
 瞼に浮かぶ姉の姿に縋るように問いかけて、ハボックは会議室の扉に背を預けてマシスの気配が遠ざかるのを待つ。何度か家に訪ねてきたガルシアも最近は姿を見せることもなく、ハボックは心に流し込まれた毒を消し去ろうと必死になっていた。


「えーっ、そんなぁ」
 司令室の扉を開ければ素っ頓狂なウルフの声が飛び出してきて、ハボックは目を瞠る。纏わりつくウルフを押しやったロイが扉のところに立つハボックに気づいて笑みを浮かべた。
「おかえり、ハボック。演習は終わったのか?どうだった?」
「あ……はい。バッチリっス」
「そうか」
 答えて中に入ってくると自席に腰を下ろすハボックに笑みを深めて、ロイはハボックの金髪をポンポンと叩く。見上げてくる空色を見返してロイは言った。
「久しぶりに飲みに行こうか?ハボック」
「えっ?」
 そう言う黒曜石の輝きをハボックは切なげに見上げる。ハボックが口を開くより早く、ウルフが二人の間に割って入った。
「二人でなんてズルイっス!俺も俺もっ!」
「煩いぞ、ウルフ」
「俺も行きたいっ、大佐っ」
 ズイと顔を寄せてくるウルフにロイは思い切り顔を顰める。大型犬がじゃれつくようにロイに絡むウルフを驚いたように見ていたハボックは、フッと笑って言った。
「いいっスよ、大佐。三人で行きましょ」
「よっしゃ!そうこなくっちゃ!」
 ハボックの言葉にウルフがグッと拳を握って言う。ロイの言葉を待たずに喜ぶウルフに苦笑しながら、ロイはハボックに尋ねた。
「いいのか?」
「三人じゃ拙いってこともないっしょ?」
「まあ、な」
 どこか残念そうにしながらもロイは頭を掻いて頷く。「やった!」と騒ぐウルフの頭をポカリと叩いて執務室へと入っていった。
「ありがとうな、ハボック」
「いや」
 にこにこと笑って言うウルフに笑みで答えてハボックはホッと息を吐く。
(三人の方が余計なこと聞きたくならないし)
 二人で飲みに出かけたりしたら、聞く気がないことを聞いてしまうかもしれない。陽気に話しかけてくるウルフに答えながらハボックはそんな事を考えて執務室の扉を見つめた。


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