| 久遠の空 第三十六章 |
| 『ジャン、忘れ物はない?』 『大丈夫、全部入れた』 『本当に?部屋になにか残ってるんじゃないの?』 忘れ物はないかと尋ねる母親に答えればからかうような姉の声が聞こえる。ハボックはムッと鼻に皺を寄せて振り返ると笑みを浮かべる姉を睨みつけた。 『ちゃんと入れたもん!ほら、リストだって作ったんだから!』 そう言って弟が差し出した持ち物リストを一通り眺めて、クリスは目を細める。 『忘れてるものがあるわよ』 『えっ?なに?』 チェック漏れがあったろうかと慌ててリストを見るハボックにクリスは棚の上に置かれた写真立てを取った。 『はい、みんなで撮った写真。ホームシックになってママが恋しくて泣かないように』 『泣かないよッ』 持っていきなさいと家族で撮った写真を差し出されて、ハボックが顔を赤らめる。 『いらない。ホームシックになんてならないし、泣いたりもしない。もう小さな子供じゃないんだから』 ハボックはそう言って差し出された写真立てを棚の上に戻した。 『寂しがりやのくせに。持ってかないと泣くわよ』 『泣かないってば!』 ムキになる弟は自分から見ればまだ十分子供だ。五つ年上の姉はクスクスと笑って言った。 『まあいいわ。淋しくなったら電話してきなさいよね』 『帰るまで連絡なんてしないよーっだ』 ベーッと舌を突き出してハボックは言う。その時、家の外から呼ぶガルシアの声が聞こえて、ハボックは大きなバッグを肩にかけた。 『じゃあ、行ってくるね!』 『気をつけてね、楽しんでいらっしゃい』 『うん!』 笑って言う母親にハボックは元気よく頷く。 『ブランケットの中なら泣いてもバレないわよ』 『もーっ、クリスにはお土産買ってこないからねッ!行ってきますッ』 前半はクスクスと笑う姉に、後半は母親に向かって叫んで玄関から飛び出したハボックは、ガルシアと一緒に集合場所の教会へと走っていった。 喧しく鳴り響く目覚ましのベルに眠りの淵から引き戻されて、ハボックはゆっくりと目を開ける。手を伸ばして叩くように目覚ましを止めるとベッドの上に身を起こした。 夢に見たのはサマースクールに出かける日の朝の光景だ。あの日、ちょっぴり甘えん坊の気があった自分をからかう姉のクリスといつものように軽い言い合いをしてハボックは家を飛び出した。お土産は買ってこないと言いはしたが、ハボックはクリスの為に綺麗な刺繍を施したハンカチを買ってきていた。悩みに悩んで選んだそれを結局渡すことは叶わなかったが。 (写真……持っていけばよかった) あんな風にからかわれなければ素直に写真を持っていったかもしれない。家に戻ることが出来ないまま村は焼き払われ、ハボックの手元には一枚の写真も残らなかった。引き取られた施設のベッドの中、誰にも気付かれぬまま涙を流してハボックは大きくなり軍へと入った。故郷も家族も失くしたハボックが漸く見つけたロイと言う拠り所、それすら失ってしまったらどうしたらいいのだろう。 (クリス……大佐は村を燃やしたりしてないよね?) 記憶の中で笑う姉に縋るように尋ねて、ハボックは緩く首を振るとベッドから下りシャワーを浴びに浴室へと入っていった。 ガルシアは長く伸びた草に半ば埋もれた道をゆっくりと歩いていく。あの日疫病に冒され焼き払われた村は月日を経て穏やかさを取り戻し、時折鳥が鳴く声が聞こえていた。だが、一見穏やかそうに見える景色も、よく見ればそこここに業火に崩れさった家屋の残骸が草や苔に埋もれるようにして点々と残っている。その光景がこの村が見捨てられて久しい事を物語っていて、ガルシアは込み上がる怒りに唇を噛み締めた。 パリンと踏み出した靴の下で小さな音がして、ガルシアはしゃがみ込んで地面を探る。そうすれば花模様の陶器の欠片が見つかって、ガルシアはそれを手に辺りを見回した。 (この辺りには確か) と、ガルシアは遠い記憶を探る。脳裏に浮かぶ景色の中、仲の良い老夫婦が村の子供たちを招いてお茶会を開く姿が浮かび上がった。拾った欠片はお茶のポットだったかもしれない。子供のいない夫婦はよくお茶会を開いては手作りのスコーンやクッキーを振る舞ってくれた。 彼らは一体どうなったのだろう。疫病に倒れたのか、それとも────。 「……ッ」 ガルシアは目の前に浮かんだ光景にギリと歯を食いしばり再び歩き始める。ゆっくりと歩き続けたガルシアは、暫くして足を止めると再び辺りを見回した。家も木々も焼け落ちて目印になるものはなかったが、遠くに見える山並みからこの辺りに建っていた家の見当がつく。その家に住んでいた金髪に空色の瞳の勝ち気な少女を思い出せば、ガルシアは込み上げてくる熱いものを必死に飲み込んだ。暫くの間その場に立ち尽くしていたガルシアは、地面を見ながらゆっくりと歩き出す。靴の先で草をかき分けここに彼女がいた証を探していたガルシアは、半ば土に埋もれながらも鈍い輝きを放っているものに気付いて足を止めた。近くに転がっていた棒を拾い上げるとしゃがみ込み土を掘り返す。側の草を手で引き抜き土を掘って漸く出てきたそれの先端を掴むと土の中から引っ張りだした。土塗れのそれを袖で拭って汚れを落とす。長いこと土の中にあったにも関わらず殆ど錆もない細身のナイフは、ハボックの姉が野山に出た時下草を払ったり木の実を採ったりするのに使っていたものだった。 「クリス……っ」 胸に蘇る淡い恋心にガルシアは顔を歪める。ナイフを胸に掻き抱きギュッと目を瞑ったガルシアが再び目を開けた時、その瞳に燃え上がったのは故郷の村を大事な家族をそして恋する少女を奪った者への激しい憎悪の焔だった。 |
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