久遠の空  第三十五章


「大佐、この書類にサインください」
 軽いノックをして扉を開け執務室に入ると、ハボックは書類の山に埋もれて仕事をしているロイに言う。書いていた書類から顔を上げて差し出された書類を受け取ったロイは、手早くめくって目を通すとサインを認めた。
「ほら、ハボック」
「ありがとうございます」
 差し出された書類を受け取ろうとして、ふとハボックは書類を持つロイの手に目をやる。長い指は綺麗に爪が切り揃えられていて、ハボックは焔を生み出すその指を食い入るように見つめた。
「どうした?」
「────え?……あっ、いえっ、なんでもないっス!」
 書類を受け取ろうとしないハボックにロイが訝しむように言う。その声にハッとしてハボックは引っ手繰るようにして慌てて書類を受け取った。
「どうした、ハボック?」
 やはりどうも朝から様子のおかしいハボックにロイが眉を顰めて尋ねる。じっと見つめてくる黒曜石にハボックは心の中を見透かされそうな気がして、「失礼します」と口の中で呟くと慌てて執務室を出ようとした。
「ハボック」
 だが、強い口調で呼び止める声にハボックの足が止まる。ロイはゆっくりと立ち上がるとハボックに近寄りその腕を掴んだ。
「どうした?どうも朝から様子が変だな」
 ロイは言ってハボックの顔を覗き込む。見つめれば逸らされる視線に、ロイはきつくハボックを呼んだ。
「言いたいことがあるならはっきりと言え」
「なにもありません!」
 そう言えばきつい口調で返る言葉にロイは目を瞠る。ハボックは逸らしていた視線をロイに戻してきっぱりと言った。
「別に言いたいことなんてないっス」
(そうだよ、言いたいことも聞きたいこともないって、そう決めたろう?)
 ハボックはロイに答えながら思う。
(なにも、ないんだから)
 そう心に決めて見つめてくるハボックの、どこか必死さの滲む瞳をロイは驚いたように見つめた。だが、これ以上何か言ってもハボックは答えないだろうと察して、一つため息をつく。掴んだ腕をポンポンと叩いて言った。
「判った。それならいい。だが、さっきも言ったが言いたいことがあるならいつでも言いに来い、いいな」
「──はい」
 言って真っ直ぐに見つめてくる黒曜石に頷くと、ハボックは一礼して執務室を出ていく。パタンと閉じた扉を見つめて、ロイはため息をついた。
「おい、どう思う?」
 ロイはそう言って子猫を見る。今の二人のやりとりなどまるで気にした風もなく毛繕いする子猫に、ロイは髪をボリボリと掻いて唸った。
「どうして言葉にしないんだ。私は錬金術師であって超能力者じゃないんだぞ」
 空色の瞳はいつだって何か言いたげだ。相手の気持ちを読み駆け引きする事は得意な方だが、あの空色が言いたいことがなんなのか、ロイには判らなかった。
「まったく……」
 ロイはやれやれと首を振ると椅子に腰を下ろす。その時、扉をノックする音がしてウルフが顔を出した。
「大佐、サインください」
 そう言って書類を差し出すウルフの表情は宿題を提出して教師のチェックを待つ生徒のそれだ。ロイがサインを認めて書類を返せばウルフはホッと嬉しそうに笑った。
「訂正なし?やった」
「お前は判りやすいな」
「え?」
 単純に笑うのを見てロイが苦笑混じりに言えばウルフがキョトンとする。
「いや、なんでもない」
 なにか?と見つめてくるウルフをロイは手を振って下がらせた。
「足して割れればいいんだがな。────いや、そんなことをしたら勿体無いか」
 判りやすくとも彼を形成する個が失われてしまっては意味がないだろう。
「もっと精進しろということか」
 ロイは苦笑混じりに呟いて窓の外の空を見上げた。


 沈む心を奮い立たせて何とか一日の業務を終えるとハボックは家路につく。通い慣れた道を重い足取りで辿りアパートに着いたハボックは、自分の部屋の前に立つ長身に眉を寄せた。
「ハボック」
「何しに来たんだよ」
 迷惑だと思っている事を全く隠さず声と表情に乗せてハボックは言う。ガルシアを押し退けるようにしてアパートの鍵を開けるとハボックは中に入った。
「ハボック」
「帰れよ」
 冷たく扉を閉めようとすれば、ガルシアが強引に中へと入ってくる。キッと目を吊り上げて睨みつけるハボックに、ガルシアが言った。
「村を焼いた犯人が判った」
 そう聞いて、ハボックがハッと目を見開く。ハボックはガルシアが何か言う前にその体を部屋の外へと追い出そうとした。
「帰れっ、帰ってくれ!」
「ハボック!俺の話を聞け!俺たちの村を焼いたのは」
「聞きたくないッ、帰れッ!!」
 ガルシアに最後まで言わせずハボックは大声を上げる。だが、扉の向こうに追い出されかけながらもガルシアは、ハボックに負けない大声を張り上げた。
「ロイ・マスタングだッ!!俺たちの村を焼いたのは、生きながら村人を燃やしたのはマスタング大佐なんだッ!」
「ッッ!!」
 大声で告げられる名にハボックの体が大きく震える。ガルシアはハボックの両肩をガッシリと掴んで言った。
「マスタング大佐だ。お前も軍にいるなら知っているだろう?あの焔の錬金術師が己の力を誇示するために村を、俺たちの親や友人を燃やしたんだッ!」
「やめろッッ!!」
 ガルシアの言葉を打ち消そうとするように大声で叫んでハボックは両手で耳を塞ぐ。それ以上聞くまいとするようにギュッと耳を塞いで、ハボックはイヤイヤと首を振った。
「バカなこと言うなッ!大佐はそんなこと絶対にしないッ!しないんだからッッ!!」
 有り得ないとそう自分に言い聞かせて、尋ねることもしなかった。そうして何も知らないフリで目も耳も塞いでしまおうとしているのに、そんな努力をないものにしようとするガルシアが赦せなくて、ハボックは幼い頃から知っている男を睨みつける。
「出てけッ!大佐はそんな事をする人じゃないッ!二度と来るなッ!!」
「ハボックッ!!」
 ハボックはガルシアの手を振り払うと外へと追いやり、何もかも断ち切ろうとするようにバンッと音を立てて扉を閉めた。


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