久遠の空  第三十三章


「まったく、マスタングというのはとんでもない男だよ」
 マシスは目の前に立つ元部下を見上げて言う。信じられないとばかりに見開く空色を見れば楽しくて仕方なかったが、マシスはいかにも残念そうに言った。
「もう少し時間をかければ村を疫病から救う手段があったに違いないんだ。だが、マスタングは己の力を振るいたいばかりに村を燃やしたのだからな」
 マシスはそう言って立ち尽くすハボックの顔を覗き込む。
「どうだ?マスタングは尊敬するに値しない最低の男だと判ったろう?ん?いやまったく、貴官もとんでもない男のところへ配置転換になったものだよ。気の毒に……なんならもう一度私のところで使ってやっても────」
「オレには信じられません」
 いい気になってベラベラと喋っていたマシスは、いきなり言葉を遮られキョトンとしてハボックを見る。ハボックはキュッと唇を噛み、それから口を開いた。
「錬金術師としての力を振るいたいためだけに大佐が村を焼いたなんて……大佐はそんな事する人じゃないっス!」
 自分の上官はそんな人間ではないときっぱりと言い切るハボックに、マシスはムッとして顔を顰める。それでもハボックを哀れむように見上げて言った。
「信じたくないという貴官の気持ちは判るがね。だが真実はいつだって残酷なものだ」
 マシスがそう言って肩を竦めれば、傍らに控えていたホールトンも言った。
「私が書類を調べたんだ。残念だが間違いない」
「でもっ」
 そろって断言するかつての上官二人にハボックは必死に抵抗する。
「大佐がそんな事するはずないっス!だって……だって大佐は……ッ」
「ハボック少尉」
 そんなハボックをマシスはじっと見つめていたが哀れむように呼んだ。
「こんな話をしなくてはいけなくなって実に残念だよ。話さずに済ませばよかったのかもしれないが、知らないままマスタングに尽くそうとする貴官の姿を見ているのは忍びなくてねぇ」
 マシスはため息混じりに言って緩く首を振る。大きく見開く空色に不安の影を見つけてマシスは内心ほくそ笑んだ。
「話というのはこれだけだ。ああ、演習があるんだったな。まあ、適当に頑張りたまえ」
 マシスはそう言うと手振りでハボックに退室を促す。だが、ハボックがすぐには出ていこうとしないのを見て、マシスは眉を顰めた。
「少尉、話は終わりだ。さっさと演習にでもなんでも────」
「大佐はそんな事しないっス!だって、大佐は子猫を……っ」
「子猫?なんだ、それは。訳の判らん事を言っとらんでさっさと出ていけ」
 これまでの話とはまるで関係がないような事を言い出すハボックに、マシスが明らかに不快だと言う態度で言えばそれに答えるようにホールトンがハボックを執務室から追い出してしまう。バタンと閉まる扉をハボックは半ば呆然として見つめていたが、やがてゆっくりと歩きだした。


「隊長っ!」
「──えっ?うわッ?!」
 演習場の一角、ぼんやりと立っていたハボックは聞こえた声にハッとして顔を上げる。目の前に迫る拳を咄嗟に首を曲げて数ミリの差でよけると、ハボックは殴りかかってきた相手の腕を掴んで体を捻るようにして肩に担ぎ上げて地面に叩きつけ、その腹に肘を落とした。
「ぐはッ!」
「あっ、ご、ごめんっ」
 反射的に(とど)めまで刺してしまってから、ハボックは地面でのたうつ部下に慌てて手を差し伸べる。チラリと周りを見回せば模範演技を見ていた筈の部下たちの非難する視線を感じて、首を竦めたハボックは逆流してきた胃液の苦さに口元を押さえている部下の背を何度も撫でた。
「隊長、申し訳ないですが少し外れて下さい。下手すると怪我させられそうなんで」
「……ごめん」
 申し訳なさそうに言う副官に、ハボックはしょんぼりと答えて皆から離れる。演習場の隅に置かれたベンチにドサリと腰を下ろし、タオルで顔の汗を拭った。


 マシスとの話を終えたハボックは遅れて演習に参加したものの、正直全く身が入らなかった。気がつけばマシスに告げられた言葉が頭の中で鳴り響き、そればかりに意識が向いてしまう。考えまいと思えば思うほどそればかり考えてしまって、ハボックは汗を拭いたタオルを地面に叩きつけて立ち上がった。
「悪い、今日はあがる。後は任せるから」
 ハボックは声を張り上げて副官に告げると、返事を待たずに歩き出す。司令部の建物に戻ったハボックはロッカールームで服を脱ぎ捨て奥に続くシャワールームに入っていった。湯ではなく水を出して頭からかぶる。水の冷たさに驚いた体がキュッと縮こまったが、それに構わずハボックは水を浴び続けた。
(大佐が村を燃やしたなんて)
(それも錬金術を使いたい為だけになんて)
(そんなの絶対あり得っこない)
 ザアザアと冷たい水が飛び散るブースの壁に手をついてハボックは思う。
(だって、大佐は子猫を……オレの代わりに子猫を引き取ってくれたんだ)
 雨の中捨てられていた子猫を拾ってやりたくて、でもそう出来ずに子猫と一緒に雨に打たれていたハボックの腕から取り上げた子猫をロイは飼ってくれた。首輪を買いペットショップでやり方を聞いて餌の用意をし、毎日司令部に連れてきてまで大切に育ててくれている。そんなロイが命の重みを知らない筈はなく、そうであればマシスの話を鵜呑みにすることは出来なかった。
(有り得ない、大佐に限ってそんな事……)
 だが、そう思うと同時に心の奥底に小さな疑念の芽が芽生えた事も事実だった。
(幾ら小さい村と言っても丸ごと燃やすなんて……そんなのそう簡単には……それこそ錬金術でもない限り……っ)
 そんな考えが頭に浮かんでハボックは激しく首を振る。
(違うッ!大佐はそんな事しない!絶対にするもんかッ!)
 ハボックは何度も違うと繰り返しながら、ザアザアと降り注ぐ冷たいシャワーを浴び続けていた。


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