久遠の空  第三十一章


 酔客で賑わう通りを俯きがちにガルシアは歩いていく。偶々目に入ったバーの扉を開けて、ガルシアは中に入った。あまり品の良い店とは言い難い店内は、安い酒の匂いと煙草の煙が充満している。ガルシアはカウンター席が空いているのを見つけると、乱暴にスツールに腰掛けた。
「ウォッカをくれ」
 低い声でそう告げるガルシアをバーテンがじっと見つめる。ガルシアの瞳に浮かぶ狂おしい程の憎悪を無意識に感じ取ったのだろう、何か言おうと口を開きかけたバーテンをジロリと睨めば、バーテンはため息混じりに肩を竦めガルシアが求めるものをグラスに注いでカウンターに置いた。乱暴にグラスを手に取り、ガルシアは度数の強い酒を一息に喉に流し込む。そうすれば身の内がカッと燃えるように熱くなるのが、まるで込み上がる怒りと憎しみに体が焼かれているような錯覚を引き起こした。
「ロイ・マスタング……」
 ガルシアはついさっき聞いた名を低く呟く。国家錬金術師でありイシュヴァール戦線の功労者でもある軍人の名は、ガルシアでも耳にしたことがあった。だが、まさかその男が己の村を燃やした張本人だとは。
「軍の意向を無視して村に火を放った……それも村のみんながまだいるのに……ッ!」
 例え疫病に冒され助かる道がないとしても、生きながらに燃やされなければいけないほどの、どんな罪が彼らにあったというのだろう。焔に包まれ死んでいったであろう村人たちの無念を思えば、ガルシアは故郷を奪われた以上の憎しみがその胸に沸き上がった。
「ロイ・マスタング……絶対に赦さないッ!」
 焔の錬金術師としての力を揮いたい為だけに罪もない己の親や兄弟を村の仲間たちを焼き殺したくせに、英雄面して軍の要職にあるなど赦せるはずがない。
「覚えていろ、必ず……必ず殺してやる……ッ!」
 ダンッと叩きつけるように置いたグラスを割れんばかりに握り締めて、ガルシアはそう心に誓った。


 翌日。
 上機嫌で出勤したホールトンは、思わず鼻歌を口ずさみそうになって弛んだ顔を慌てて引き締める。こんなに上手く事が運ぶとはやはり己の日頃の行いがいいからだろうと笑みを浮かべれば、扉が開いてマシスが入ってきた。
「────随分と機嫌がよさそうだ。余程いい報告が聞けるのだろうな、中尉」
「おはようございますッ、マシス中佐!ええ、それはもうとびきりの報告がございますとも!」
 嫌みのつもりで言った言葉に機嫌良く返されて、マシスは眉を顰める。執務室に入ると続いて入ってきたホールトンを、ドカリと椅子に腰掛けて見上げた。
「では聞かせて貰おうか、ホールトン中尉」
 どうせ大した報告ではなかろうと決めてかかっているようなマシスの態度も今日ばかりは気にならない。ホールトンはニヤニヤとその顔に笑みを浮かべてマシスを見た。
「例の村の生き残りにマスタング大佐が村を焼き払った張本人だと吹き込む件ですが」
 と、ホールトンはわざとらしくそこで一旦言葉を切る。満面に笑みを浮かべたホールトンの顔を睨んでマシスは言った。
「なんだ、さっさと報告せんか!」
 上官に対して焦らすような態度をとるホールトンが癪に障る。バンッと手のひらで机を叩いたマシスは、いつもならビクビクと飛び上がるホールトンがニヤニヤとした笑みを浮かべたままなのを見て訝しげに眉を寄せれば、ホールトンが言った。
「懸命に調査しましたところ、村の生き残りを見つけだしました」
「なにッ?」
 三日以内に見つけてこいと言いはしたが、正直そんなに簡単に見つかるとは流石のマシスも思ってはいなかった。それが昨日の今日で見つけたとは俄には信じられず、思わず疑問の言葉を口にするマシスにホールトンが言う。
「信じられないかもしれませんが本当です、中佐。ちゃんと話もしてきましたから」
「話を?それならマスタングが村に火をつけたと思わせることが出来たのか?」
「ええ、そりゃもう、本気で信じてましたよ。マスタング大佐が村に火をつけたと聞いた時のあの男の顔、中佐にも見せたかったです」
 クスクスと楽しげに笑うホールトンを見ればその言葉を疑う余地はなさそうだ。ニタリと笑って「よくやった」と珍しく労いの言葉を口にしようとしたマシスを、ホールトンは人差し指を突きつけて遮った。
「それと中佐。もう一つ面白い事が判ったんです」
「────なんだ?」
 無礼にも指を突きつけてくる部下を怒鳴りつけようかと息を吸い込んだマシスは、ギラギラと目を輝かせる部下の様子に思いとどまって吸い込んだ息をそのまま飲み込む。促すように見つめてくるマシスにホールトンは言った。
「ハボックもあの村の生き残りだったんです」
「……なんだと?ハボックが?」
 思いがけない情報にマシスはガタンと立ち上がる。
「それで?ハボックにマスタングが村に火をつけたと言ったのか?」
「いえ、それはまだですがっ、あっ、今からでも言ってきますッ!」
 あの時の状況ではアパートに帰ってしまったハボックを追いかけてまで告げるのには無理があった。それでも尋ねられれば慌てて答えて執務室を飛び出していこうとするホールトンをマシスは引き留める。
「構わん。ハボックには私から教えてやろう」
 どうやらロイに心酔しているらしいハボックに村に火をつけたのはロイだと教えてやったらどうなるだろう。
「実に楽しみだ」
 その時の様子を思い描いてマシスはニタニタと笑った。


「おいで、ジャン。世界で一番嫌いな仕事の時間だ」
 ロイは缶の寝床で毛繕いする子猫を抱き上げて言う。ニャアと鳴く子猫の顎を指先でコチョコチョと擽ると、気持ちよさそうに目を細める子猫を胸に抱いてロイは玄関から外へ出た。
「おはようございます、大佐っ」
「ああ、ウルフ、おはよう」
 ピッと敬礼を寄越すウルフに微笑んで答えて、ロイは車に乗り込む。
「さて、お前の兄弟分は今日も元気かな」
「えっ?なんか言いましたか?大佐」
「いや、なんでもないよ」
 ハンドルを握ったウルフが不思議そうに尋ねてくるのにそう答えて、窓の外に広がる空を見上げたロイは子猫の頭をそっと撫でた。


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