| 久遠の空 第二十六章 |
| 「くそ……ッ、くそーーーッッ!!」 ドカドカと靴音も荒く廊下を歩きながらマシスは大声で呻く。無意識に口をついて出た声に近くにいた軍人たちが驚いたように視線を寄越したが、怒りに駆られたマシスはそんな視線にすら気づかなかった。 「ハボックの奴、生意気な口を……ッ!それもこれもあのマスタングのせいだッッ!!若造のくせにッッ!!」 己より地位も実力もあるロイの唯一自分より劣っているのは、生きてきた年月の長さくらいだ。だが、別段若いということは欠点などではなく、寧ろ経験という点から言えばロイの方がずっと密度の濃い年月を過ごしてきた筈だった。 「くっそーーーーッッ!!何かあの若造に思い知らせてやるネタはないのかッ」 階級が上であれば幾らでもやりようもある、それこそこれまで自分がハボックにしてきたように。だが、如何せんロイは大佐であり国家錬金術師であり東方司令部の副司令官だった。とはいえ、このまま黙っているのも業腹だ。己の執務室に戻ったマシスは、ドカリと椅子に腰を下ろすと腕を組んで宙を睨んだ。 「マスタングにだって弱みの一つ二つあるはずだ。そこをつつけば或いは……」 ブツブツと呟いたマシスはキッと執務室の扉に目を向ける。 「ホールトンッッ!!ホールトン中尉ッッ!!」 大声で副官を呼べば、転がるような勢いでホールトンが執務室に飛び込んできた。 「すっ、すみませんっ、サー!書類の整理でしたら後もう少しで終わりますのでッ!」 すっかりごちゃ混ぜになってしまった書類の整理は思った以上に面倒で、書類の縁で手を切ったり悪戦苦闘していたホールトンはマシスに怒鳴られる前にと声を張り上げる。だが、書類の事などすっかり忘れ去っていたマシスは、ホールトンを睨んで言った。 「書類?そんなものは後回しでいい!それよりもマスタングのことを調べろ!軍に入る前、士官学校時代……いや、それより前の子供の頃の事から事細かに全部調べてくるんだ!マスタングの弱みを探してこい!あの若造の鼻っ柱を折ってやれるようなネタを探してくるんだッ、今すぐッ!!」 「えっ?そ、そんなネタどこに……」 「それを探してくるのがお前の役目だろうッ!さっさと行かんかッ!!」 「はっ、はいッッ!!」 バンッと両手で机を叩くマシスの怒鳴り声に追いやられるように、ホールトンは飛び上がって執務室を飛び出していく。マシスは乱暴に閉じた扉を睨みつけていたが、やがて大きなため息と共に深々と椅子に体を預けた。 「今に見ていろ、マスタングめ。その生意気な鼻っ柱を叩き折ってやる」 マシスはギリギリと歯を食いしばり、憎々しげにそう呻いた。 「大佐?至急この書類にサイン────あれっ?」 急ぎの書類にサインを貰おうとコンコンとノックすると同時に扉を開けたハボックは、主のいない椅子を見て空色の目を見開く。右に左に視線を動かしどこにもロイがいないのを確かめて、ハボックはやれやれとため息をついた。 「参ったな」 ハボックがそう呟いた時、大きな執務机の上から「ニャア」と子猫の鳴く声がする。ハボックは机に近づくとチョコレートの缶の縁に掴まって顔を覗かせてる子猫の頭を指先で撫でた。 「おい、お前のご主人様はどこに行ったんだ?」 この時間、会議の予定はないはずでてっきり中にいるものだと思っていた。主の不在も気づかない自分が何となくショックで、ハボックは缶の中から子猫を抱き上げるとその黒い顔に頬を擦りつけた。 「お前はいいな、いつも大佐と一緒で」 あの雨の日、私が飼うと言って子猫をハボックの腕から取り上げてから、ロイは毎日司令部に子猫を連れて出勤し、帰りは胸元に抱いて帰っていた。餌も首輪を買ったペットショップで色々と聞き込んで子猫に最適な物をあげているらしい。あまりの可愛がりようにほんの少しヤキモチを妬きながら子猫の名を尋ねたハボックに、ロイは「内緒だ」と言って悪戯っぽく笑ったきり教えてくれなかった。 「おい、お前、なんて名前を貰ったんだ?」 それがどんなものであれロイに貰えるなんて羨んでしまう。小さな子猫にすらそんな事を思ってしまう自分にハボックが苦笑した時、賑やかな声がしてウルフとロイが執務室に入ってきた。 「あ、ハボック」 「どうした、何か用か?」 子猫を抱くハボックを見て、二人が声をかけてくる。そんな二人の姿を一瞬声もなく見つめたハボックは、子猫を缶に戻して言った。 「急ぎの書類なんです。サイン貰えるっスか?」 「どれ、見せてみろ」 ロイはハボックが差し出した書類を受け取って椅子に腰を下ろす。素早く書類に目を通し、内容を確認すると最後にサインを認めた。 「ほら、これでいいか?」 「ありがとうございます」 返された書類を受け取ってハボックは礼を言う。ニャアと鳴いて見上げてくる子猫の空色の首輪の鈴を指先で鳴らすと、軽く頭を下げてロイに背を向けた。 「ねぇ、大佐。さっきの────」 扉が閉まる寸前、ウルフがロイに話しかける声がする。パタンと閉じた扉でその声を遮って、ハボックはため息をついた。 「いいな、アイツもいつも大佐と一緒で」 そう呟いたハボックは緩く首を振ると、書類を手に司令室を出ていった。 定時を過ぎて少しすると、ロイが執務室から出てくる。それを見たウルフがすぐさま立ち上がり、二言三言会話を交わすと車を回すために足早に司令室を出ていった。子猫を抱いたロイはゆっくりとした足取りでウルフの背を追うように司令室を出ていこうとして振り向く。そうすれば自席に座ったまま見上げてくる空色の視線に気づいて、ロイは目を細めた。 「残業か?ハボック」 「あと少ししたら帰るっス」 「そうか」 ロイはそう言うと「お先に」と出ていく。「お疲れさまでした」とロイを見送ったハボックは広げていた書類を纏めて抽斗にしまった。それから暫くの間何をするでもなくその場に座り続ける。 「もう、帰ったかな……」 そう呟いて立ち上がったハボックはゆっくりとした足取りで机を回り、自席の向かいに置かれたウルフの机の前に立つ。ダンッと思い切りその表面を拳で叩いて、ハボックは低く呻いた。 「頼むからオレに見せつけんなよ」 当然のようにロイと一緒にいるウルフが妬ましい。そんな風に思う自分が嫌で堪らなかったが、それでもロイの側から離れたくなくて、嫌み満々のマシスに「自分の最善を尽くす」などと口にしてみて。 「サイテー」 胸が痛くて堪らない。ハボックは苦々しく呟くと司令室を後にした。 |
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