久遠の空  第二十五章


「なんだ、この書類はッ!」
「すっ、すみませんッ!今すぐ作りなおしますッ!」
 提出した書類をマシスに投げつけられて、ホールトン中尉は慌ててそう答えると床に散乱した書類を掻き集めそそくさと執務室を出ていく。バタンと閉まった扉を忌々しげに見つめて、マシスはフーッと息を吐き出した。
「まったく、書類一つまともに作れんのか」
 そう呟いてマシスは机の上に積まれた書類に手を伸ばす。以前より高く積まれることが多くなったそれに、マシスは苛々と舌打ちした。
「くそ……ッ、マスタングめ。アイツがハボックを横取りするような真似をするからだッ」
 ハボックが己の部下だった頃、書類仕事はほぼハボックがやりくりしていた。書類の作成から分類、整理は全てハボックに任せれば事足りた。マシス自身はきちんと整理された書類にただサインをすればよかったのだ。中身を知りたければハボックに説明させればよかったし、新たに書類の作成が必要であればハボックにやらせれば良かった。だが、ロイが横合いから奪うように突然ハボックを異動させてしまったせいで、これまで全てハボックに押しつけていた仕事をマシスとその直属の部下であるホールトンとで捌くしかなく、おかげでスムーズに処理されなくなった書類がマシスの机の上に積み重ねられていくようになったのだった。
「ああもう、やってられんッ!」
 マシスは苛々と言って書類の山を手で叩く。その途端、グラリと傾いだ書類が半分ほどバサバサと床に落ちた。
「ッッ!!中尉ッ!!ホールトンッッ!!」
「な、何かご用でしょうかッ、サー!」
「用があるから呼んでいる!この書類をなんとかしろッ!」
「はいッ、ただいまッ!」
 怒鳴り声に慌てて飛び込んできたホールトンは、床に散乱した書類に手を伸ばす。一枚ずつ拾っては書類のページ数を確かめのろのろと順番に重ねていくのを見て、マシスは苛々として言った。
「順番を整えるのなどあっちでやれッ!さっさと私の目に触れんところへ持っていかんかッ!!」
「もっ、申し訳ありませんッッ!!」
 マシスの怒鳴り声にヒィと声をあげて、ホールトンはガサガサと掻き集めた書類を腕に抱えて執務室を飛び出していく。マシスは苛々と立ち上がると、ホールトンの後を追うように執務室を出た。
「私が戻るまでに整理しておけ。さっきの書類もさっさと作り直せ、いいなッ!」
「はっ、はいッ!!」
 マシスの言葉にホールトンはグシャグシャになった書類を前に泣きそうな顔で敬礼を寄越す。それにフンと鼻を鳴らして、マシスは大部屋を出ていった。


「ありがとう、中尉。先に戻っている」
「はい、大佐」
 外での会議を終えて戻ってきたロイは、運転席のホークアイに声をかけると車から降りる。長い会議に凝り固まった首筋をやれやれと回して、ロイは正面玄関のステップを上がった。受付の女性が頭を下げるのに笑みを返して廊下を歩いていく。そうすればちょうど少し先の角から似たような面立ちの部下二人が姿を現した。
「ウルフ、ハボック」
「あ、大佐。おかえんなさい」
 ロイの声に振り向いたウルフがパッと顔を明るくして答える。ロイが来るのを待ちきれないとでも言うように駆け寄ってくるウルフに、ロイは笑みを浮かべた。
「二人そろってとは珍しいな」
 同じロイの部下とは言え、さほど行動を共にすることはない二人だ。そう言うロイにウルフは笑って答えた。
「ちょうどお互い時間があいてたんで、一緒に射撃場に行ってたんです」
「ほう」
 それもまた珍しいと思いながらロイは駆け寄ってきたウルフと一緒に歩いていく。角から出てきたところで立ち止まって待っていたもう一人の部下に近づけば、「お疲れさまでした」と言うハボックを見てロイは言った。
「どうだった?一緒にやると刺激されたか?」
「そりゃそうですよ!ハボックの奴、俺と腕前変わんないですからね」
「お前に聞いとらん」
 ハボックへの質問を横からかっさらうようにして答えるウルフをロイは軽く睨む。それからハボックへと視線を移せば、ハボックが答えた。
「そっスね。ウルフが勝負勝負って煩いから励みにはなるかな」
「勝負?またお前は」
 そう聞いてロイは呆れたようにウルフを見る。そうすればウルフが口を尖らせて言った。
「えーっ、だって折角やるなら勝負しないとつまんないでしょ?」
「まあ、競いあうのはいいことだが。……で?どっちが勝ったんだ?」
 肝心の勝負の行方はどうなったのかとロイはウルフとハボックの顔を見比べて尋ねる。そうすれば、ウルフが眉根を寄せ口角を下げるのを見てロイはクスリと笑った。
「ハボックの勝ちか」
「勝ちったってちょっとの差ですよ!なあ、ハボック!」
「そうなのか?」
 ウルフがムキになって声を張り上げるのを聞いて、ロイはハボックを見る。
「どうだったかな、忘れたっス」
「あっ、おい!ちゃんと殆ど同点だったって言え!」
 笑って肩を竦めるハボックの首にウルフが腕を回して喚いた時、すぐ近くで嫌みったらしい咳払いが聞こえた。
「邪魔だ、ここをどこだと思っとるんだッ」
「マシス中佐」
 その声にハボックが僅かに目を瞠る。ウルフの腕を振り解き敬礼をするハボックをチラリと見て、マシスはロイに向かって言った。
「随分と賑やかな部下をお持ちですな、マスタング大佐。ハボック少尉も私のところにいた時より生き生きとしているようだ」
 そう言われてハボックが困ったように目を伏せる。それを横目で見遣って、ロイは答えた。
「多少元気が余っている位の方が部下としては頼もしいものだよ、マシス中佐。ハボックも上司の尻拭いのようなくだらん書類仕事に忙殺されることもなく、本来の力を発揮してくれている」
「ッ!」
 にこやかに、だが最大限の嫌みを込めて告げられた言葉にマシスは顔を歪める。ロイを睨んだ視線をハボックへと移して言った。
「それはよかったな、ハボック少尉。そっちの狗のように精々尻尾を振りまくって、大佐に気に入って貰えるようにしたまえ」
「ッ?!……んだとッ」
「ウルフ」
 マシスの言葉に目を吊り上げるウルフの腕をハボックは押さえる。マシスを真っ直ぐに見つめて言った。
「尻尾は振れないっスけど、オレはオレの最善を尽くすつもりっス。オレを引き立てて、信頼してくれるマスタング大佐の為に。最低限の仕事をすればいいと思ってたあの頃とは違いますから」
「────精々頑張りたまえ」
 きっぱりと言い切るハボックに、ギリと歯を食いしばったマシスは呻くように言う。「失礼する」と吐き捨てて、マシスは三人に背を向けると行ってしまった。
「結構言うこと言うじゃん、お前」
「わっ」
 その途端、ウルフに笑ってバンッと背中を叩かれ、ハボックは前のめりになる。チラリと伺うようにロイを見れば笑みを浮かべる黒曜石に、ハボックは嬉しそうに笑った。


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