久遠の空  第二十二章


「よし、これでいいだろう」
 ロイは書いていた書類にサインを認めるとフゥと息を吐き出し万年筆のキャップを閉める。机の上に山積みにされていた書類は粗方片づいて、これならホークアイにも文句を言われず帰ることが出来そうだった。
「待たせたな」
 ロイはチョコレートの缶の中でクッション代わりに敷いてあったハンカチと格闘している子猫に声をかける。生地に爪をかけたままコロンと転がってハンカチに巻かれてしまった子猫の飛び出た尻尾を擽れば、ハンカチの中から子猫がニャアと鳴く声が聞こえた。
「帰るぞ」
 机の上を片づけて、ロイは立ち上がると子猫をハンカチごと持ち上げる。もぞもぞともがいて子猫はハンカチの中から顔を出すと青みがかった瞳でロイを見た。ロイは見つめてくる子猫に笑みを浮かべて執務室を出る。終業時間を過ぎた司令室は部下たちの姿もまばらで、ホークアイも席を外しているのか姿が見えなかった。
「大佐」
そ んな中、まるでロイが出てくるのを待ち構えていたかのようにウルフが椅子をガタつかせて立ち上がる。
「もう帰りっスか?送ります」
「ん?ああ、ガーザに出させるから構わんよ」
 馴染みの警備兵の名を出すロイにウルフが言った。
「俺が送ります。すぐ車回しますから────」
 待ってと言いかけたウルフの机の上で電話が鳴る。ムッと顔を歪めて電話を睨むウルフにロイが言った。
「電話に出ろ、ウルフ。じゃあな」
「すぐ終わるっスから!大佐、待ってて────もしもしッ!」
 ロイに言いながら受話器を取ったウルフは、噛みつきそうな勢いで電話の向こうの相手と話し出す。そんなウルフをそのままに、ロイは子猫を抱いて司令室を出た。
「あっ、大佐、待っ────」
 引き留めるウルフの声が扉に遮られて聞こえなくなる。コツコツと靴音を響かせて廊下を歩いて正面玄関を抜けると、詰め所の警備兵に車を出すよう声をかけようとしたロイは建物の裏手からハボックが出てくるのを見つけてそちらへと足を向けた。
「ハボック、もうあがりか?」
「──大佐」
 俯きがちに歩いていたハボックは、ロイの声にハッとしたように顔を上げる。
「いえ、軍曹と今後の演習の予定組んだんで、司令室戻って計画所書いたら上がるつもりっス」
 足を止めそう答えるハボックに、ロイは少し考えて言った。
「明日にしろ。車を出してくれ」
「えっ?でも、車ならウルフが」
 出すんじゃないのかと言おうとして、じっと見つめてくる黒曜石にハボックはもごもごと口ごもる。ロイはハボックに背を向け歩き出しながら言った。
「いいから出せ。コイツの首輪を買いに行く。つきあえ」
「あ……はいっ」
 肩越しに振り向いたロイが抱いた黒猫を指さして言うのを目を丸くして見つめたハボックは、嬉しそうに顔を綻ばせると車を回すためにロイを追い越して走っていった。その背を見送ったロイは正面玄関のステップの下でハボックが戻ってくるのを待つ。程なくしてハボックが運転する車が来ると、自分でドアを開けて乗り込んだ。
「すんません」
「気にするな」
 自ら扉を開けて乗ってくる上官にハボックが申し訳なさそうに言えばロイが答える。胸元でごろごろと喉を鳴らす子猫を優しく撫でるロイに笑みを浮かべて、ハボックはハンドルを握り直すとアクセルを踏み込んだ。


「くそっ、なんでこのタイミングで電話なんてかかってくるんだよッ」
 漸く電話を終えた頃にはロイの姿はとっくになく、ウルフは口の中で電話の相手を口汚く罵りながら司令室を出る。もしかしたら待っていてくれているかもと淡い期待を抱いて足早に廊下を抜けたウルフは、正面玄関から出るときょろきょろと辺りを見回した。
「大佐……もう行っちまったのか?」
 ウルフがそう呟いた時目の前を車が行き過ぎる。運転席に座っているのが見慣れた金髪だと思った次の瞬間、後部座席に座るロイの横顔が見えてウルフは目を見開いた。
「大佐?!……なんで?」
 警備兵に車を出させると言っていたのに何故と大きく見開いた目で車を見送ったウルフは、夜闇の中遠ざかるテールランプを見つめて爪が刺さるほど手を握り締めた。


「大佐」
「ありがとう」
 街中のショッピングモールの駐車場に車を停めて、ハボックはロイの為にドアを開ける。車から降りて歩きだしたロイは半歩遅れて付き従うハボックに言った。
「ペットショップがあったろう?どこだったかな」
「そこの角右に曲がって二つ先を左に曲がった三軒目っス」
 考える間もなく答えるハボックをロイは驚いたように見つめる。
「即答だな。よく行くのか?」
「えっ?えっと……その、覗きに。自分じゃ飼えないんで」
「動物、好きなのか?」
 照れくさそうに目尻を染めるハボックにロイは尋ねた。
「そっスね。小さい頃は犬やら猫やら馬やら羊やら……いっぱい飼ってましたから」
「馬や羊?」
 犬猫ならともかく馬や羊もとはとびっくりするロイにハボックが言った。
「オレがいたところは田舎だったっスから。ふつうにみんな飼ってたっスよ」
「ふぅん、じゃあ今も帰れば馬や羊がいるんだな。楽しそうでいいじゃないか」
「えっ?……ええ、まあ」
 笑ってそう言う上官に、ハボックは一瞬目を見開いたが曖昧に頷く。そんな会話をしているうちに二人はペットショップの前につく。扉を押し開けて中に入れば店主が声をかけてきた。
「いらっしゃい。やあ、ハボックさん」
「こんばんは」
 尋ねるように見つめてくる店主にハボックが答える。
「オレの上官。今日はコイツの首輪買いに」
 そう言うハボックに答えるようにロイに抱かれた子猫がニャアと鳴く。首輪ならそこだと示されて、ロイとハボックは奥の棚へと近づいた。
「どれにします?」
 ハボックは言いながら色んな色や柄の首輪を比べやすいように並べる。ロイはその中から迷うことなく金色の鈴がついた空色の細い革の首輪を選んだ。
「これにする」
「即決っスね」
 普通は何個か選んだ中から更に検討して買うものじゃないのだろうか。そう思って言うハボックにロイは答えた。
「コイツの目の色だからな。ほら、お前とお揃いだ」
「えっ?」
 ロイはそう言いながら選んだ首輪をハボックの顔の側に翳す。驚いたように見開く空色と同じことを確かめて、ロイは目を細めて笑うとそれを手にレジへと向かった。
「これをくれ。それから餌は何をやったらいいのかな」
 そう言って店主と話し出すロイを。
(オレとお揃いって……)
 ハボックは顔を赤らめて見つめていた。


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