| 久遠の空 第二十章 |
| アパートに戻ってきたハボックはガチャガチャと鍵を開けて中に入る。扉の郵便物入れに刺さった手紙の類を引き抜くと、それを手にリビング兼ダイニングに入った。小さなソファーに腰を落としやれやれとため息をつく。背もたれに体を預け、ハボックは目を閉じた。 思いがけず会議に出席するロイについて行くことになり、ロイの近くで過ごした数時間はハボックにとって幸せな時間だった。途中ウルフと交代すると自分から言い出したものの必要ないとそのまま護衛を命じられて、驚くと同時に嬉しくて堪らなかった。ウルフに悪いと思いながらほんの少しの間でもロイに必要とされた時間を思い出して、ハボックは笑みを浮かべる。その途端、ウルフに引っ張られた髪の痛みと己に似た顔が脳裏に蘇って、ハボックは閉じていた目を開けた。 「ちょっとだけ、だからさ。いいだろ?それくらい」 ハボックは浮かんだウルフの面影に向かって呟く。一つため息をつくと、取ってきた郵便物に目を落とした。光熱費の請求書やつまらない広告に混じって、消印のない封筒があることに気づく。封筒を返して裏に小さく記された名前を確かめたハボックは、封を開けることなくテーブルの上に放り投げた。勢いよく立ち上がりキッチンに行くと冷蔵庫からビールの缶を取り出す。蓋を開け一気に半分ほども飲み干すと深いため息をついた。 「もう、ほっとけっての」 そう呟いてハボックは飲みかけの缶をシンクに放り込む。さっきまでの幸せな気持ちはすっかりと消え去って、ハボックは緩く首を振るとシャワーを浴びようと浴室に向かった。 翌日は珍しく朝から雨だった。雨の音で目を覚ましたロイは枕の下に突っ込んであった懐中時計で時間を確かめたものの、起きるどころか再びブランケットを引き上げて中に潜り込んだ。 「雨の音で目が覚めるなんて最低だ」 今日はもう司令部に行くのをやめてしまおうかと思ったものの、その途端ホークアイの鳶色の瞳が浮かんでロイはブランケットの中で眉を顰める。じっと見つめてくる瞳にうまい言い訳がが思い浮かばず、ロイは仕方なしにベッドから出た。顔を洗い眠気を飛ばすと着替えを済ませてロイは、階下に降り途中新聞を取ってキッチンに向かう。コーヒーを淹れカップを手にダイニングの椅子に腰を下ろすと新聞を広げた。目を通しながら気になった記事にチェックを入れる。中程まで読み進んだロイは、ほんの小さな記事に目を留めた。三十秒もあれば読み終わってしまうような短い記事を何度か読み返して、ロイはそれにもチェックを入れた。そのまま先に読み進め丁度読み終わった頃に迎えが来たことを知らせる玄関のチャイムが鳴る。ロイは畳んだ新聞を手に玄関に向かった。 「おはようございます、マスタング大佐」 扉を開ければ顔馴染みの警備兵がピッと敬礼を寄越す。それに頷いてロイは家を出ると迎えの車に乗り込んだ。 シトシトと雨の降る通りを車は走っていく。司令部の近くまで来たところでロイは窓の外をよぎった姿に、警備兵に車を停めるよう言った。 「何か?大佐」 「ああ、いや」 尋ねてくる警備兵に曖昧な答えを返して、ロイは車の中振り向くと後ろの窓から外を見る。雨の中、通りに置かれた段ボール箱の側に佇む人影がハボックだと確かめて、ロイは扉を開けて顔を出した。 「ハボック!」 少し離れたところに立つハボックに向かって声を張り上げれば、ハボックが俯けていた顔をロイに向ける。声の主が上官だと判ったろうに、ハボックは近寄ってくるどころか再び足下に視線を戻した。 「何をしてるんだ?」 ほんの少し不快そうに呟いて、ロイは雨の中外へ出る。傘の代わりに片腕を頭の上に翳して、ロイはハボックの側へ駆け寄った。 「ハボック」 「……大佐」 駆け寄ってくるロイにハボックは軽く頭を下げる。傘のない上官の上に手にした傘を射しかけて、ハボックは言った。 「どうしたんスか?大佐」 「こっちの台詞だ。こんなところで何をしてるんだ?」 そう尋ねてくるロイにハボックは答える代わりに足下に目を落とす。ハボックの視線を追って足下に置かれた段ボール箱に目をやったロイは、雨に濡れて震えている黒い子猫を見つけて目を瞠った。 「子猫?」 「捨て猫みたいっス」 「拾ってやらんのか?」 側に立っていると言うことは拾う気があると言うことではないのだろうか。そう思ってロイが尋ねれば、ハボックは首を振った。 「拾っても飼えないっスから」 「────そうか」 確かに最後まで面倒を見られないなら安易に手を差し出すべきではないのだろう。可哀想だが仕方ないと車に戻ろうとしたロイは、ハボックが動こうとしないのを見て足を止めた。 「ハボック、行くぞ。一緒に乗っていけ」 そう言って促そうとするが、ハボックは子猫に目を向けたままだ。苛立ちを含んだ声で再度名を呼べば、ハボックはロイに目を向けずに言った。 「誰か拾ってくれるの確かめたら行きます」 「……お前なぁ」 拾い手がいつ現れるか、そもそも拾ってくれる誰かがいるのかすら判らない。ため息混じりに言うロイをハボックはチラリと見る。ロイの言わんとしていることをしていることを察して、ハボックは言った。 「あと十五分したら行きます」 「サボるなよ」 そう言えば頷くハボックをおいてロイは車に戻る。雨の中佇む長身を振り返るロイを乗せて、車は司令部に向かった。 始業時間ぎりぎりになって、ハボックが司令室に駆け込んでくる。しっとりと雨に濡れた金髪にロイが尋ねる視線を向ければ、ハボックが言った。 「誰も拾ってくれる人いなかったんで、傘、置いてきたんス」 ハボックは垂れてくる滴を払って自席に腰を下ろす。そんなハボックに「風邪をひくなよ」とため息混じりに声をかけて、ロイは執務室に入った。二時間ほど書類仕事に忙殺されたロイは、気分転換にと席を立ち大部屋との間を仕切る扉を開ける。コーヒーをくれと言おうとして、ロイはハボックがいないことに気づいた。 「ハボックは?」 「さあ?少し前に出ていきましたけど」 ロイの言葉にウルフが書類から顔を上げて答える。少し考えて、ロイは司令室の扉に向かった。 「大佐?」 「すぐ戻る」 ウルフの声にそう答えて、ロイは司令室を出る。足早に廊下を歩き玄関まで来ると、ロイは受付の女性に傘を借りて外に出た。 シトシトと雨が降り続く通りをロイは今朝ハボックと話をした場所を目指して歩いていく。角を曲がったロイは道端に蹲る姿を見つけて近づいていった。 「何をしてるんだ、お前は」 「大佐」 子猫を雨から庇うように軍服の胸元に抱いて蹲っていたハボックが、傘を差しかけるロイを見上げる。 「傘、なくなってて」 「────それで?ずっとそうしているつもりか?」 そう尋ねられてハボックは一瞬見開いた目を落として「すんません」と呟いた。 「────寄越せ」 「え?」 「私が飼ってやる」 「えっ?」 ムスッとしてロイが言うのにハボックが空色の目を瞠る。ロイは手を伸ばしてハボックの胸元から猫を奪い取ると、ポカンとするハボックを見下ろして言った。 「帰るぞ。書類が山積みだ」 「────はいっ」 歩き出せば立ち上がったハボックが追ってくる。並んで歩きながらロイの手の中の子猫の頭を嬉しそうに指先で撫でるハボックの空色の瞳を見つめて、ロイは笑みを浮かべた。 |
| → 第二十一章 第十九章 ← |