久遠の空  第十九章


「ん……」
 身じろぎした拍子に意識が覚醒して、ロイはゆっくりと目を開ける。軍用車の愛想のない内装と運転席に座る男の金色の頭をぼんやりと見つめたロイは、次の瞬間ハッとしてシートに預けていた身を起こした。
「えっ……あれ?」
「あ、目、覚めたっスか?」
 一瞬状況が掴めずきょろきょろしていれば優しい声が聞こえる。声のした方を見ると、運転席のハボックが肩越しに振り向いてロイを見つめていた。
「あと五分待って起きなかったら起こそうと思ってたところっス」
 そう言う優しい空色をロイは目をパチクリとさせて見つめる。何度か瞬けば漸く自分が会議の会場へ向かって車で移動中だったことを思い出した。
「眠ってたのか、私は」
 そう言えば寝不足でやたらと眠たいの我慢して、時間より早く司令部を出たのだった。懐から時計を出して時間を確かめたロイは、あと十五分ほどで会議が始まる時間だと気づいた。
「自然に目が覚めたのならよかったっス。眠りが足りたってことでしょうから」
 聞こえた声にロイは時計から目を上げる。そうすれば空色の瞳がニコッと笑って、ハボックは体を正面に向けた。
「車、出しますね」
 その声と同時に車が静かに走り出して、ロイは外の景色を確かめる。すぐ目と鼻の先に会議場の建物が見えて、ロイは背をシートに戻すとハボックを見つめた。
「着いたっス」
 車は走り出した時と同じように静かに停まる。建物の車寄せに停められた車の運転席からハボックは降りると、ロイの為にドアを開けた。
「どうぞ」
 ハボックに促されロイは車から降りる。間近からハボックの顔を見つめれば、戸惑ったように空色の瞳が逸らされた。
「司令部に連絡いれてウルフと交代します」
 目を合わさずにハボックが言う。さっきまでは自分を見つめていた空色がこちらを見ようとしないのが気に入らず、建物の中から会議の事務方の男が出てくるのを見てそちらへと促そうとするハボックの腕をロイは掴んでズイと身を寄せた。
「何故?お前がいるんだから交代する必要はないだろう?」
「でも、本来はウルフの仕事だし、きっと今頃怒ってるっスよ」
「怒る?何をだ?いいからついてこい、司令部に戻るまでの護衛を命じる」
「大佐っ」
 言ってさっさと歩き出すロイに、ハボックは守衛に車のキーを渡すと慌ててその背をを追いかける。半歩遅れて付き従いながらハボックは言った。
「大佐、ウルフ、きっと待ってますっ、だから────」
「ハボック、軍人に大切なものの一つに臨機応変というのがある。待ってると思うなら“今日の護衛は自分がやることになったからお前は必要ない”とでも伝えておけ」
「そんなっ」
 ロイは言うと丁度辿り着いた会議場の入口から中へと入っていってしまう。ハボックは入口で立ち止まったものの、結局一つため息をついてロイの後を追って中に入った。


 納得はしていないようだが、それでも結局自分の後についてきたハボックにロイはうっすらと笑みを浮かべる。名前の記されたプレートが置かれた席に腰を下ろし、少し離れたところに立つハボックを見つめた。
 睡眠不足で車に乗った途端寝入ってしまった自分を、ハボックは起こすどころかそのまま眠らせておいてくれた。会議場についてしまえば周りがロイを放っておいてくれないだろうと、会議場のある建物に車を着けることはせず時間ぎりぎりまで近くに車を停めて待っていてくれたのだ。おかげで司令部を出るときには目を開けていられなかった程の眠気が今は綺麗さっぱりなくなっている。
(おかげで鬱陶しい会議も少しは気持ちよく出られる)
 ハボックのさりげない気遣いが、短い時間とはいえ深い眠りと共にロイの疲れを取り去ってくれたのがロイには酷く心地よかった。
(ハボック隊に移りたいと言い出した奴らもきっと同じ事を感じているんだろう。軍人としての能力以外の何かを)
 ロイは戸惑いながらも与えられた任務をこなそうと、周囲への警戒を怠らないハボックをじっと見つめる。
(引き抜いて正解だったかもな)
 その時、会議の始まりを告げる声が聞こえて、ロイはハボックへと向けていた視線を手元の書類へ落とした。


「大佐」
 司令室の扉を開ければウルフの声が飛び出してくる。書類を書いていたらしいウルフは、ペンを置くと不満そうにロイを見た。
「早く出るなら出るって言っておいてくださいよ。急いで戻ってくりゃもう出かけた後なんて、酷いじゃないっスか」
「仕方ないだろう?向こうで用事が出来たんだ。行かずにすんだ分、溜まってた書類が片づいたろう?」
「そりゃそうですけど」
 ロイの言葉にムゥと唇を曲げて頷いたウルフは、ロイの後から司令室に入ってきたハボックに気づいて視線を向ける。じっと見つめられ、困りきって俯いたハボックにウルフはニヤリと笑った。
「大佐のお守りご苦労さん。いきなりで予定狂ったろ?大丈夫だったか?」
「あ……うん。ごめん、連絡入れればよかった」
「別に構わないさ。確かに溜まった書類あらかた片付いたしな」
 ウルフは言ってハボックの金髪をわしわしと掻き混ぜる。指に絡めた金髪をクイと軽く引っ張った。
「いたッ」
 微かな痛みにハボックが顔を歪める。そんなハボックを引っ張った髪ごと引き寄せて、ウルフはその肩口に顔を埋めた。
「大佐のコロンの匂いがする」
「えっ?」
「ずっと一緒だったからかな」
 そう言われて目を瞠るハボックを、顔を上げたウルフが間近から見つめる。暫くの間じっと見つめていたが、少ししてウルフはハァとため息をついた。
「嫌だなぁ、俺ってやきもち妬きだったんだ」
「なんでやきもちなんて妬くのさ。今回はたまたまだろ?」
 ため息混じりに言った言葉に即座にそう返されてウルフは目を瞠る。それからクスリと笑った。
「そうだな。でも、俺どっちにもやきもち妬いてるかも」
「は?」
「まあ、お前も溜まってる書類片付けちゃえよ。そもそもそう言うつもりだったんだろ?」
 言って司令室から出ていってしまうウルフを見送って、ハボックは不思議そうに首を傾げた。


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