久遠の空  第十八章


「ハボック!やっと来たか!」
 司令室の扉の前に立ち尽くしたまま動けずにいたハボックは、中から飛び出してきた声にビクリと体を震わせる。その声の主が誰なのか顔を見る前から判って、ハボックは答えを返す事も中に入ることもせず手を握り締めて俯いた。
「呼ばれてるぞ」
「わっ」
 そんなハボックをじっと見ていたロイが、ハボックの背をポンと押す。軽いものの予想していなかった一押しに、ハボックはよろけるように司令室の中へ足を踏み入れた。
「待ってたぜ、ハボック」
 慌てて踏みとどまったハボックは、いきなりガシッと抱き締められて目を瞠る。まん丸に見開く空色を間近から覗き込んでウルフが言った。
「今日からだって聞いてたのにいっくら待っても来ないからさ、大佐に迎えに行けって言っちまったよ。もしかしてあのマシスとかいう野郎になんか言われたのか?」
「えっ?あ……」
「引き継ぎ書類を破いてやがった。全くケツの穴の小さい男だ」」
 聞かれて口ごもるハボックに代わって答えたロイが、中へと入ってくる。パタンと扉が閉まると同時に、ウルフが思い切り顔を顰めて喚いた。
「やっぱり!絶対嫌がらせしてくると思ったんスよ、あのクソ中佐!!」
「二人とも、口が過ぎます」
 口々にマシスを罵るロイとウルフに、ホークアイが眉を顰めて言う。相変わらず抱きついたまま離れようとしないウルフに、ハボックが困ったように身を捩った。
「いい加減離してくれ」
「ん?だってお前、離したら帰っちまいそうだから」
「────そんなわけ」
 言われて一瞬間をおいたハボックがもごもごと否定するのをロイがじっと見る。その黒曜石の視線を頬に感じて、たった今口にした言葉と真逆に司令室を出ていきたいとハボックが思った時、フュリーが言った。
「そうやってると、お二人本当に似てますね」
「え?そう?そういや前に大佐にも言われたな」
 フュリーの言葉にウルフがハボックの顔を見る。ハボックは何とかウルフの腕を振り解くと、ウルフの視線からもロイの視線からも逃げるように顔を背けた。
「おい、ハボック」
「その辺にしておけ、ウルフ」
 そんなハボックにしつこく手を伸ばそうとするウルフを制してロイが言う。そう言われてウルフが渋々と手を引っ込めるのを見てロイは言った。
「今日からこの部屋の一員となるジャン・ハボック少尉だ。先日の式典警護でも手を貸してくれたから知らない事もないだろうが、これからは正式に私の部下になる。ウルフと違って引っ込み思案だからな、みんな、よろしく面倒を見てやってくれ」
「大佐っ」
 まるで小さな子供のような扱いに、ハボックが顔を赤らめる。そんなハボックの背をバシンと叩いて、ウルフが言った。
「勿論っスよ、大佐。ハボック、何か判らない事があったら何でも聞いてくれ」
「ウルフ」
 ニッと笑うウルフをハボックが見る。何か言いたげに口を開いたものの結局何も言わずにハボックは口を閉じた。
「一緒に働けて嬉しいわ。改めてよろしく、ハボック少尉」
「あ、はい!ホークアイ中尉」
 ホークアイが差し出した手を、ハボックは慌てて答えて握り返す。優しく見つめてくる鳶色をハボックは恥ずかしそうに見返した。
「僕はフュリー曹長です。この間の警護では直接お会いできませんでしたが、これからよろしくお願いします」
「こ、こちらこそよろしく」
 ピッと敬礼を寄越すフュリーに、ハボックは戸惑ったような笑みを浮かべる。そんなハボックの腕を引いてウルフが言った。
「お前の席はここ。オレの正面な」
 ウルフは椅子を引きハボックを座らせる。背後からハボックの両肩に手を置いて、顔を覗き込んだ。
「お前が来てくれて嬉しいよ。これからは一緒に大佐のこともり立てていこうぜ」
 言ってニッと笑うウルフを、ハボックは複雑な想いで見つめた。


 コンコンと響いたノックの音に答えれば、ハボックが書類を手に入ってくる。机に書類を広げたまま椅子に背を預けて目を瞑るロイに、ハボックが言った。
「お疲れっスか?大佐」
「んー、ちょっと徹夜で本を読んでしまってな」
 寝不足だと欠伸を噛み殺すロイにハボックは苦笑して書類を差し出す。ロイは受け取ってざっと目を通すと、サインを認めハボックに返した。
「どうだ?少しは慣れてきたか?」
「えっ?あ……はい、なんとか」
 聞かれてハボックがおずおずと頷く。ハボックが司令室に異動になり、そろそろ二週間が過ぎようとしていた。ウルフと同じように小隊を預かる事となり、最初は戸惑っていた様子のハボックも今では大分隊長職が板についてきていた。
「知ってるか?ウルフの隊の部下の中にお前の隊に移りたいと言っている奴がいるという話だぞ」
「え?なんで?」
 ニヤリと笑って言うロイにハボックが僅かに目を瞠る。口を噤んだハボックの表情を見て、ロイはどうやら良くない方向に考えているのだろうと察して言った。
「なんでそうマイナス思考なんだ、お前は。純粋にお前の元で働きたいと思っているからとは考えんのか?」
「そんな……。オレは来たばっかりだし、オレんとこに来たいと思う理由なんてないっしょ?」
 目覚ましい働きをしたわけでも何でもないのだ。移りたいと思うような理由は見当たらないと言うハボックに、ロイは軽くため息をついた。
「お前とウルフを足して二で割ると丁度いいんだがな」
 そう言ってロイは時計を見る。
「少し早いが出かける。ウルフは戻ってきているか?」
「いえ、演習中の筈っスから時間にならないと戻らないと思います」
「そうなのか?」
 ハボックの言葉にロイは眉を寄せる。少し考えてハボックを見上げて言った。
「この後のお前の予定は?演習は入っているのか?」
「や、今日はないっス。書類をやっつけちまおうと思ってたんで」
「そうか、なら車を頼む」
「えっ?でも」
 ハボックがロイの元に移ってからもロイの身近にいるのはウルフで、外出時の護衛もウルフかもしくはホークアイがつくのが常だったからハボックは思いがけないロイの言葉に躊躇う。
「別にウルフでなければ拙いと言うこともないだろう?」
「でも、時間、早いんでしょう?待ってれば時間通りに戻ってくるっスよ?」
「待ってたら眠くて出かけたくなくなりそうなんだ。いいから車を出せ」
 ロイはそう言って腕を突き出して伸びをすると立ち上がる。早くしろと急かされて、ハボックは慌てて書類を自席に放り投げるとロイと一緒に司令室を出た。
「大佐」
 ハボックは急いで車を玄関前に回し、入口で待つロイに声をかける。扉を開けて待っていれば、近づいてきたロイがするりと滑り込むようにシートに腰を下ろした。
「ああ、眠い……これから会議なんて絶対寝そうだ」
 運転席に座ったハボックの耳にロイが眠そうにそう呟くのが聞こえる。ゆっくりと走り出せば間を置かずに後ろから気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
「時間……まだあるよな」
 元々早めに出てきてしまったのだ。会議には十分時間があるのを確認して、ハボックは眠るロイを起こさないよう丁寧に車を走らせながら一番遠回りのルートで会議場へと向かった。


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