久遠の空  第十六章


「ハボック少尉を引き取る、だと?」
「はい。これがそのための書類です。期限は一週間後。ハボック少尉の後任の人選はこちらで済ませてあります。速やかに引き継ぎを済ませて少尉を司令室へ寄越して下さい」
 淡々とそう告げる鳶色の瞳をした中尉を、マシスは口を大きく開けて見つめる。ぶるぶると拳を握り締めるとキッと目を吊り上げた。
「突然そんなことを言われては困る。幾らマスタング大佐とはいえ勝手な都合で異動などされては、こちらにも都合があるんだ!ハボック少尉は私の大事な部下だ、大事な戦力なんだ。いきなり引き抜かれたりしては────」
「その大事な戦力を貴方はどのように扱ってこられましたか?」
「な、んだと?」
 言い募る言葉を遮られてマシスは細い目を瞠る。ホークアイはマシスを真っ直ぐに見つめて言った。
「戦場で、司令部に戻って、貴方がどのように少尉を扱ってきたかこちらが知らないとでも?なんでしたら全部書き上げて貴方の上官としての無能ぶりを世に晒しても構いませんが」
「な……ッ」
 冷たく告げられ凍り付くマシスの机の上にホークアイは手にしていた書類を置く。スッとマシスの方へ書類を押し出して言った。
「ハボック少尉の異動に関する書類です。サインをして、すぐに異動の手続きを始めて下さい」
「きっ、貴様……ッ」
 マシスはギリギリと歯を噛み締めてホークアイを睨む。だが、全く無表情で見返してくるホークアイにチッと舌打ちして、書類を引き寄せ乱暴にサインを認めた。
「これでいいんだろうッ!」
「ありがとうございます、中佐。では、一週間後に」
 ホークアイはそう言って書類を取り上げると部屋を出ていこうとする。扉の前で足を止め振り向いたホークアイは言った。
「念のために言っておきますが、この一週間の間にハボック少尉の身に何か起きたり異動が遅れるようなことがあった場合には、こちらとしてもそれなりの対応をさせていただきますので」
 失礼します、とホークアイは部屋を出ていく。パタンと閉じられた扉を呆然と見つめていたマシスは、次の瞬間怒りに任せて机の上を思い切り手で払った。机の上に置かれていたペンやインク壷、ペーパーウェイトや灰皿が床に落ちて派手な音を立てる。その音に更に怒りを煽られて、マシスは書類を撒き散らし軍靴でダンダンと踏みつけた。
「ふざけやがってッ!青二才のくせにッ、よくも……ッッ!!」
 書類を踏みつけペンや灰皿を蹴飛ばしたマシスはハアハアと肩で息をする。ダンッと両の拳で机を叩いて、マシスはドサリと椅子に腰を下ろした。
「どうやって取り入りやがった、くそッッ!!」
 ハボックを式典警護のために借りたいなどと言われた時は一時のことと我慢したが、まさか引き抜かれてしまうとは。これまで自分の都合のいいようにハボックを使ってきただけに、マシスのロイに対する怒りは大きかった。
「くそうッ、このままで済ますと思うなよ、マスタングめ……ッ!」
 そう呟いてマシスは爪が刺さるほど震える拳を握り締めた。


「あっ、中尉!おかえんなさいッ!」
 執務室の扉を開ければロイにサインを貰っていたらしいウルフが、満面の笑みを浮かべて振り向く。ウルフは期待に満ちた目でホークアイを見つめて言った。
「ハボックの異動書類、サイン貰ってきたんでしょう?」
「ええ」
 ホークアイは頷いて手にした書類をロイに差し出す。その内容に目を通して頷くと、ロイは書類をホークアイに返した。
「人事に回しておいてくれ」
「はい」
 ホークアイは頷いて手にしていたファイルに書類を挟む。二人のやりとりを見ていたウルフは嬉しそうに笑った。
「やったぁ!これでハボックもここの一員ですね!ありがとうございます、大佐っ」
「別にお前のためにハボックを異動させた訳じゃないぞ」
 あまりのウルフの喜びようにロイは苦笑する。
「アイツには私の部下としての十分な能力がある。私の為に働いて貰うためにここへ呼ぶんだ」
「そうでしょうとも。判ってますって」
 腕を胸の前で組んでうんうんと頷くウルフを見て、ロイとホークアイは顔を見合わせプッと吹き出した。
「どうみてもウルフ少尉のためみたいですわね」
「まったく、コイツは」
 クスクスと笑うホークアイにロイは苦笑する。それでも満足げにウルフを見て言った。
「ともあれ一週間後にはハボックが司令室に来る。先輩として色々教えてやってくれ」
「任せてください。大佐のあれやこれや全部漏らさず教えますから!」
「なんだ、あれやこれやって」
 ウルフの言葉にロイは眉間に皺を寄せる。それでもすぐに笑みを浮かべると、ハボックが来るのが待ちきれないと言うように窓の外に広がる空を見上げた。


「えっ?異動、っスか?」
「そうだ。一週間後に司令室だ」
「司令室……」
 半ば呆然としているハボックをマシスは見上げる。
「満足か?どうやって取り入ったか知らんが嬉しくて堪らんのだろう?」
「ッ、そんなことは……」
「ふん、隠す必要などない」
 慌てて首を振るハボックにマシスは忌々しげに言った。
「さっさと引き継ぎを済ませろ。漏れがあったらすまさんからな」
 マシスはそう言うと手を振ってハボックを部屋から追い出してしまう。執務室の扉をパタンと閉めて、ハボックは覚束無い足取りで自席までくるとポスンと腰を下ろした。
「本当に異動だなんて……」
 正直どうしていいのか判らない。ロイの側にいける喜びとウルフの存在と。ハボックは身動き出来ないままに呆然としていた。


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