久遠の空  第十三章


「お待たせしました、大佐!」
 バタバタと乱れた足音がしたと思うと、店の者が開けた扉から元気な声と共にウルフが顔を出す。椅子の背に体を預けて目を閉じていたロイは、目を開けるとウルフを軽く睨んで言った。
「遅刻だ。飲める酒の量が減ったな」
「えーっ、そんなこと言わんでくださいよっ、大佐!」
 意地悪なロイの言葉にウルフが情けない声を上げる。そのウルフに腕で抱き込まれるようにして部屋に入ってきたハボックを見て、ロイが笑った。
「どうした、ハボック。まるで拉致されたような格好だな」
「え?────いえ、そんな」
 そうロイに言われてハボックは一瞬目を見開いてロイを見たが、スッと視線を逸らして呟く。その様子に訝しげに眉を寄せたロイにウルフが言った。
「コイツ、司令部を出る直前になって行きたくないって駄々をこねたもんで」
 そう聞いてロイはハボックの横顔を見つめる。
「無理に誘って迷惑だったか?」
 尋ねるロイを見ずにハボックが答えた。
「いえ。でも、個別に誘って頂く理由がありませんから」
「万年筆の礼だって、俺ちゃんと言ったんですけど」
 ロイが口を開く前にウルフが言う。ロイはウルフに向けた視線をハボックに戻したが、ハボックは頑なにに視線を背けたままだった。
「まあいい、二人とも早く座れ。いい加減腹が減った」
 そう言われてウルフは漸くハボックから腕を離し、ロイの向かいの席に腰を下ろす。ウルフはその場に立ち尽くしたままのハボックを見上げて言った。
「なにやってんだよ、ハボック。早く座れって」
 ウルフに促されたハボックはロイをチラリと見る。その黒曜石がじっと自分を見ているのに気づいて、ハボックはキュッと唇を噛むとウルフの並びの席に腰を下ろした。
 それを見てロイが傍らに控えていた給仕に合図する。そうすればすぐさまワインが運ばれて三人のグラスに注がれた。
「式典の警護、ご苦労だったな。特にハボック、最終日はよくやってくれた」
 グラスを掲げてロイにそう言われて、ハボックは無言のまま軽く頭を下げる。乾杯の音頭と共にワインを飲み干せば、早速ウルフがあれを食いたい、これを飲みたいと騒ぎだした。
「好きな物を頼め」
「やった!」
 苦笑してロイが言った途端、ウルフは次々と給仕に注文する。その様子にやれやれとため息をついたロイは、ハボックに視線を移した。
 ウルフとは対照的に一口飲んだグラスを置いたきり、ハボックは口を開こうとしない。僅かに伏せたその瞳が泣いているように見えて、ロイはハボックを呼んだ。
「ハボック」
 そうすればハボックが俯けていた視線を上げてロイを見る。その空色を濡らすものがないのを見て、ロイはどこかホッとしながら言った。
「この二週間、どうだった?」
「どう、って……、普段あまりない仕事でしたので、いい勉強になったっス」
 それだけ答えるとハボックはまた視線を伏せてしまう。なかなかこちらを見ようとしないハボックに、ロイが苛立ちを覚えた時、ウルフが大きな声で言った。
「大佐、この酒、旨いですね」
「あっ、お前、いつの間に!」
 気がつけば店で一番いい酒のボトルがテーブルに鎮座している。ロイに睨まれてウルフはムゥと唇を突き出した。
「好きなものを頼めって言ったじゃないですか」
「だからって少しは遠慮と言う物を知らんのか、お前は」
「大佐、高給取りなんだからこれくらいどうってことないでしょ」
 確かにアメストリス国軍大佐で国家錬金術師であるロイにとって、店で一番いい酒だろうが大した出費ではない。ロイはやれやれとため息をついて、ボトルに手を伸ばすと自分のグラスに注いだ。
「まったく、油断も隙もないな」
「ごちそうさまです」
 へへへ、と笑って言うウルフにロイも笑みを浮かべる。出される料理に舌鼓を打って楽しそうに喋るウルフに、ロイも引き込まれるように食事を口に運びながら相槌を打っていた。


 楽しげに話す二人の様子にハボックはそっとため息をつく。並べられた旨そうな料理にも手を伸ばす気になれず、ハボックはする事もなくワインを口にした。
(やっぱ来るんじゃなかった)
 この場に自分は必要ない。例え振りでも楽しい顔をすることも出来ないのでは、いたところで場の雰囲気を悪くするだけだ。そう思ったハボックがグラスを置いて帰ろうと思った時、不意にウルフの声が聞こえた。
「そう言えば、あの時お前もあそこにいたんだろう?ハボック」
「────え?」
 突然そう尋ねられて、ハボックは驚いて顔を上げる。そうすれば二対の瞳が己を見ていることに気づいて、ハボックは狼狽えた。
「なんだよ、聞いてなかったのか?今、あの時の話しててさ。俺が大佐を助けた時の話」
 そう言われてハボックは身を強張らせる。だが、ウルフはそんなハボックの様子には気づかず、楽しげに続けた。
「最後の悪足掻きって感じでしたよね、そこいら中、辺り構わず銃をぶっ放して」
「あの時は殆ど目が見えなかったからな。流石に生きた心地がしなかった。いざとなったら発火布を使うつもりだったが、下手をすると味方を巻き込む危険性があった。正直お前が来てくれて、本当に助かったよ、ウルフ」
 改めて礼を言われてウルフが照れたように頭を掻く。そんな二人のやりとりを見ていれば、ハボックは泣きたい気持ちになってテーブルの下で手を握り締めた。
「大佐が発火布使うところも見てみたかったですけど、消し炭になるのは嫌ですからねぇ」
 ウルフがそう言うのを聞けばハボックの脳裏にあの日見た焔の龍が蘇る。脳裏に浮かぶ美しいその姿に、ハボックは握り締めた手に力を込めた。
(あの日、オレは焔の龍を見た。大佐の龍が空を舞うのを見たんだ)
 その後、敵が放った爆弾の閃光で一時的に目をやられたロイを助けた。ロイを守る為に敵と戦ったのは自分だった。それなのに。
(なんでオレじゃないんだろう)
 楽しげに話すウルフの声を聞きながら、ハボックはそっと目を閉じた。


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