久遠の空  第十二章


 パタンとロッカーの扉を閉めてハボックはため息をつく。壁に掛けられた時計を見れば、長針がカチリと音を立てて10の文字を指したところだった。
「行くの、やめようかな」
 式典の警護要員としてかり出されロイの元で任務について二週間、それも今日でおしまいだ。後日反省会はあるだろうが多忙なロイが出席するとも思えず、そうであればもうロイと話す機会もないだろう。ロイは再び遠い存在となり、自分はマシスの元でじわじわと飼い殺されていくしかないのだ。そんな自分が今更ロイと何を話せというのか。
「それに、ウルフと一緒じゃ」
 ウルフの姿は自分がなりたかった姿そのものだ。ロイとウルフと、二人が一緒にいるのをこれ以上見ていることは、今のハボックには辛すぎた。
「やっぱやめよう」
 ウルフに言ってロイに伝えて貰おう。ハボックはそう決めるとロッカールームを出た。


「あ、来た。遅いぞ、ハボック」
 司令部の玄関でハボックが来るのを待っていたウルフは、漸く自分とよく似た姿が現れたことに気づいて寄りかかっていた壁から背を離す。待ちかねたように手を振れば、それに気づいたハボックが足を早めて近づいてきた。
「遅かったな、何かあったか?」
 もしかして会場で何かあったのだろうかとふと思って、ウルフは尋ねる。そうすればハボックが首を振って答えた。
「ううん、向こうは特に何も問題はなかったよ」
「そうか。さ、急ごうぜ。大佐、もう出たみたいだから」
 ウルフはそう言って歩き出す。だが、ハボックがついてこない事に気づくと足を止め、振り返った。
「なにやってんだよ。行こうぜ、ハボック」
「オレは遠慮するよ」
 行こうと促せば返ってきた答えにウルフは目を見開く。歩いた距離を戻ってハボックの側へ来ると、ウルフは眉を顰めてハボックを見た。
「遠慮するってなんでだよ?」
「行く理由がないし」
「は?慰労会だって言ったろ?それに万年筆拾って貰った礼だって」
「あんなの、礼をして貰うほどの事じゃないよ」
 ウルフの言葉にハボックは苦笑する。不満そうなウルフを見てハボックは言った。
「とにかくオレは行かない。大佐には礼言っといて、声をかけて下さってありがとうございますって」
 ハボックはそう言うと「じゃあ」と手を振って歩き出す。司令部を出て繁華街へ続く道とは違う方向へと曲がっていこうとするハボックの腕を、追ってきたウルフが掴んで引き留めた。
「一緒に行こうぜ、ハボック。大佐だって待ってる」
 な?とウルフが笑うのを見ればハボックの中に俄に苛立ちが募ってくる。ハボックは掴まれた腕を乱暴に振り払って言った。
「行かないって言ってるだろ!大佐はお前がいればいいんだから!」
 ロイにとって命の恩人はウルフでありハボックではない。側におきたいと思ったのはウルフで、ハボックではないのだ。
「なに言ってんだよ、大佐がお前も一緒にって言ったんだぜ?」
「そんなの」
 ただの気まぐれだ。そんなものにつき合わされてこれ以上心を掻き乱されたのではたまったもんじゃない。
 流石に声には出せず言葉を飲み込んでハボックはウルフを睨む。思い切りウルフの手を振り払うとクルリと背を向け歩きだした。だが、そのまま数歩歩いたところで、ハボックは肩に回された腕でグイと引き戻される。「うわっ」と背後に倒れそうになった体を引っ張られて、ハボックは反対方向への道を歩きだしていた。
「ウルフ!」
「お前を連れていかなかったらオレが大佐に怒られちまうだろう?」
「別に怒られたりなんか ────」
「それに」
 と、ハボックの言葉を遮ってウルフは言う。肩に回した腕で引き寄せるようにハボックの顔に己のそれを寄せて続けた。
「大佐からなんかいい話が聞けるかもしれないしな」
「は?いい話?」
 思わずそう返してしまってからハボックは眉を寄せる。別にそんなの聞きたくもないと肩に回された腕から抜け出そうとするハボックに、ウルフが言った。
「そんなこと言って、聞かなかったら絶対後悔するから」
「後悔って……」
「だから行こう、な?」
 ニコニコと間近で見つめてくる蒼い瞳に、ハボックはそれ以上拒絶する事が出来ずに口を噤む。俯くハボックの顔を覗き込んで、ウルフはニヤリと笑った。
「急ごう。早く行かないと旨い酒、奢って貰えなくなっちまう」
「…………」
 何も言わずに見つめてくる空色に笑って、ウルフはハボックを抱え込むようにして通りを歩いていった。


「上官を待たせるとはいい度胸だな」
 パチンと懐中時計の蓋を閉じてそう呟く。珍しく約束の時間に店についていたロイは、やれやれといった風に椅子に背を預けた。
「ハボックか」
 無意識にそう口にすればハボックの姿が思い浮かぶ。その時、ふとよぎった既視感にロイは眉を顰めた。
「なんだ?」
 一体なんだろうと考えようとしたが、その時には既視感もハボックの姿もロイの脳裏から消えていた。
「────まあ、いい」
 思い当たらないということは大した事ではないのだろう。
「まったく、アイツら。奢って欲しいならさっさと来い」
 ロイは冗談めかしてそう呟くと、部下たちの到着を待った。


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