久遠の空  第十一章


「お疲れさまでした、大佐。もう、すぐに司令部ですか?」
「ウルフ」
 漸く全ての予定を終えて出席者達がそれぞれの場所へと帰っていく中、ホークアイと話をしていたロイは背後からかかったウルフの声に振り向く。ロイの視線に頷いて車を回すべく先に出ていくホークアイに軽い敬礼を投げると側へやってきたウルフにロイは言った。
「ご苦労だった」
「いいえぇ」
 ウルフは間延びした答えを返すと懐から煙草を出して咥える。今回は火をつけて旨そうに煙を吐き出す部下に、ロイは苦笑した。
「この後は片づけか?」
「いえ、俺達は警護が役目ですから。今日のところはざっと見回りして終わりですね。後日反省会かな」
「そうか」
 ウルフの言葉に頷いて、ロイは式典の会場を見回す。誰かを捜すかのように視線を巡らせたと思うと、ウルフを見て口を開いた。
「それなら慰労会でもしてやろう。ハボックも誘って三人で。どうだ?」
「本当っスか?」
 慰労会と聞いてウルフは目を輝かせる。
「俺に否があるわけないでしょ。勿論オッケーですよ」
「ハボックは何か予定があるかな?」
「例え予定があっても、大佐が奢ってくれるっていったら絶対大佐を優先するんじゃないですか?」
 やっぱ大佐が最優先事項でしょうと言うウルフに、ロイはなんだそれはと眉を寄せた。
「どうしても無理なら日を改めるが、出来ればアイツが戻る前にやっておきたいな。万年筆を拾ってくれた礼もしようと思いつつ日が過ぎてしまったから」
 ハボックがウルフのところに来るならその間に食事に連れていこうなどと思っていたが、気がつけばあっと言う間に日が過ぎていた。マシスの元に戻ってしまうと連れ出しにくい事もあるだろう。
「三人でってことは内々になにか話でもあるんですか?例えばハボックを引き抜くとか」
「ウルフ」
 ニヤリと笑って言うウルフにロイは顔を顰めた。
「妙な事をハボックに言うなよ。実際そんな人事はまだないんだから」
「まだって事はこれからあるってことでしょ?」
「ウルフ」
 期待を滲ませた声で言うウルフにロイはため息をつく。
「そんな人事はない」
「えーっ」
 きっぱりと告げる言葉にウルフが不満の声を上げたが、ロイは肩を竦めてその話を打ち切ると言った。
「先に司令部に戻ってる。中尉が急ぎの書類が溜まってると煩いんでな。七時にこの間の店にハボックを連れてこい」
「判りました」
 煙草の煙と共に了解の言葉を吐き出すウルフを残して、ロイは会場の外へと歩いていった。


「ああ、いたいた、ハボック!」
 部下たちが事後の報告をしに来る中、なかなか現れないハボックに痺れを切らして会場の中を見回しながら歩いていれば、漸く見つけた姿にウルフが声を上げる。振り向く空色に駆け寄って、ウルフはハボックの腕を掴むと隅へと連れていった。
「なに?」
不思議そうに尋ねてくるハボックにウルフはプカリと煙草の煙を吐き出す。その甘い独特の香りにハボックが首を傾げて言った。
「ジョーカー?」
「いや、アークロイヤル・ワイルド・カード。あれ?お前も煙草吸うの?」
 これまでハボックが煙草を口にしているところを見たことはないはずだ。そう思って尋ねればハボックが答えた。
「禁煙中。側で吸うなよ」
 そう言うハボックにウルフはニヤリと笑ってハボックに向かって煙を吐き出す。パッと片手で鼻と口を覆ってウルフを睨むと、ハボックはくぐもった声で言った。
「なんだよ、煙草見せびらかしにきた訳じゃないだろう?」
 わざわざ探しに来たのだから何か用があるのだろうと尋ねられて、ウルフは「そうだった」と思い出したように手のひらを叩く。呆れたように見つめてくる空色に誤魔化すように笑ってウルフは言った。
「今夜、大佐が俺とお前を食事に連れていってくれるって」
「大佐が?なんで?」
 ウルフはまだしも自分が呼ばれる理由が判らない。喜ぶより先にそう言うハボックにウルフが言った。
「お前さぁ、まずは素直に喜べよ」
「だって」
 ため息混じりに言うウルフにハボックは視線を落とす。伏せ目がちになれば思いの外金色の睫が長い事に気づいて、ウルフは思わずハボックの目元に手を伸ばした。
「……なに?」
「ああ、ごめん。睫なげぇなと思って」
 眉を顰めて睨んでくるハボックにウルフは頭を掻く。そうすればため息をついてフイと逸らされた空色にウルフは言った。
「今回の慰労と、あと万年筆の礼だって言ってた」
「え?」
 そう言われてハボックが驚いたようにウルフを見る。ウルフは手を伸ばしてハボックの金髪を掻き上げて言った。
「七時に店だから十五分前に司令部の玄関に集合な。遅れるなよ」
 ウルフはそう言うと髪を掻き上げた手の親指の腹で長い睫を擽るように触れて手を離す。目元を触られてむずかるように顔を振るハボックから手を離すと、ウルフは「じゃあ後で」と行ってしまった。その背を見送りながらハボックは触れられた目元を手のひらで乱暴にこする。こすった手で顔の半分を覆って、ハボックは唇を歪めた。
「だって、一瞬期待するだろ……」
 もしかしたらあの時助けたのはウルフでなくハボックだったと、気づいてくれたのかもしれない。今更そんな事などあり得ないと判っていても、もしかしたらと期待してしまうのだ。
「しょうがない奴」
 そう呟いてもう一度乱暴に目元をこすったハボックの手のひらがうっすらと濡れた。


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